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\これぞ伊坂幸太郎の集大成/「そうだ、こういうのが読みたかったんだ、と思った。」/大矢博子さんによる『ペッパーズ・ゴースト』文庫解説を特別公開!

 伊坂幸太郎さんの長編小説『ペッパーズ・ゴースト』の文庫版が2024年12月6日(金)朝日文庫より発売されました。少し不思議な力を持つ中学の国語教師・檀(だん)先生や、「ネコジゴ・ハンター」と呼ばれる可笑しな二人組が登場し、伊坂作品の魅力が贅沢に詰まった記念碑的作品です!
刊行を記念して、大矢博子さんが本作の魅力やよみどころを見事に記された文庫解説を特別に掲載します。

伊坂幸太郎『ペッパーズ・ゴースト』(朝日文庫)

※解説は本作のストーリー展開に少々触れている箇所がございます。ご注意下さい。

 2020年に新型コロナウィルスが世界を襲ってからというもの、最初の半年は混乱の中に放り込まれ、次の1年は次々更新される情報と新しい生活様式になんとかついていこうと頑張り、そして2021年の秋には、私たちはすっかり疲れ果てていた。

 そんな時に刊行されたのが本書『ペッパーズ・ゴースト』である。

 飛沫感染で未来が見える超能力……?

 それまでの人生でほとんど使ったことがなかった「飛沫感染」という言葉をまるで流行語のように、けれど祟りを怖がるかのごとくおそるおそる口にしていたあの頃。そんな不吉な言葉が、素頓狂な超能力とセットで使われるのを見て、思わず「ふふっ」と笑いが漏もれた。力が抜けた。

 そうだ、こういうのが読みたかったんだ、と思った。

 本書は複数のパートからなるが、まずは中学校の国語教師、だん千郷ちさとの章から紹介しよう。

 檀には奇妙な予知能力がある。くしゃみや会食などで誰かの飛沫を浴びると、その人物の翌日の一場面を見ることができるのだ。

 ある日、とある生徒が新幹線事故に巻き込まれる未来を見てしまった檀は、放っておけず「占い師が言っている」などと適当な言い訳をつけて生徒にその旨を伝えた。災禍を免れた生徒からは感謝されたものの、生徒の父親・里見八賢はどうして事故を予測できたのかといぶかしむ。なぜなら里見は内閣情報調査室に勤務する身であり、その新幹線事故は人為的なものである可能性があったから。そこから檀は爆弾テロが絡む大きな事件に巻き込まれていくことになる。

 という主軸の物語と並行して語られる別のパートがある。生徒が書いた小説、つまり作中作(という表現は正確ではないのだがそれは後述)だ。猫を虐待するネット配信を面白がって支援していた人たちを特定し、粛清してまわる二人組、ネコジゴ・ハンターの話である。楽観主義のアメショーと悲観論者のロシアンブルからなるこの二人組は、かつて動画内で猫がやられたのと同じ方法で、支援者たちに復讐してまわる。

 このふたつの筋がどう関係していくのかが本書の読みどころだが、こうして書くと本筋も作中作もなかなか物騒だ。檀は怪しまれ、途中経過は明かせないが監禁の憂き目に遭いながらもテロ事件を防ぐべく奮闘する。ネコジゴ・ハンターの二人はもっと物騒だ。彼らがやっていることはほぼ拷問で、にもかかわらず彼らは実に淡々と、ときにはジョークも交えながらその任務を遂行するのだから。

 ところが、それほどシビアだったり残酷だったりするはずの物語が、実に心地よくするする楽しめてしまうから驚く。

 その理由はみっつある。ひとつは伊坂幸太郎ならではの、飄々ひょうひょうとした語り口だ。登場人物たちの会話はどこかトボけていて、おかしみに満ちている。ネコジゴ・ハンターのアメショーがターゲットの家に押し入ったときに言う「ハラショー、アメショー、松尾芭蕉」って何だそれ。耳について離れないじゃないか。どうしてくれる。しかもご親切に、残酷な場面は作者が気を遣って(!)ぼかしてくれたりもする。

 かと思えば、小粋でしゃれた箴言しんげんもある。たとえば檀の母が言う「偉そうな人って、だいたい、自信がないからなんだよね」という言葉だ。偉い人は自信と実績があるから余裕がある、でも偉そうな人は「偉そう」だから立場を維持できてるのであって、威張ってないと立っていられないという彼女の言葉には思わず膝を打った。

 読んでいるだけで心地いい、目が楽しい文章で、これがクセになる。しかもそれが天性のようでいて、実は緻密に計算された言い回しだったりもするから侮れない。トボけたこと言うなあ、と笑っていたらそれがめちゃくちゃ大事な伏線だったりもするのだから。

 ふたつめは、匿名で悪事をそそのかす者や自己保身のため他者を犠牲にしていとわない者が成敗されていくというのが痛快なのである。ここに描かれるのは人生への絶望、法で裁けない罪、匿名の悪意など、私たちが日々出会う理不尽ばかりだ。その鬱憤をこの物語は晴らしてくれる。ネコジゴ・ハンターの章は物理的に、檀の章は精神的に。

 そしてこれがみっつめの理由につながる。これは希望の物語なのだ。檀もネコジゴ・ハンターも、それからここではまだ紹介していない別の人物たちも、方法はかなり違うが、つまるところ彼らは皆、理不尽に立ち向かっているのである。ときには軽やかに、爽快に。ときには全力で、懸命に。ここに描かれているのは、悪は必ず報いを受ける、絶望は覆せる、未来は変えることができるという力強いエールだ。これは人生を肯定する物語なのである。だから読後に希望が残る。清々しさが満ちる。勇気が湧く。

 その希望はどこから来るか。ストーリーの展開そのものはもちろんだが、随所にまぶされた「物事の受け取り方は人によって違うし、何通りもある」というメッセージだ。アメショーとロシアンブルの会話が典型的だが、同じトンカツでもロシアンブルは火がちゃんと通っているかいちいち確認し、アメショーはただ美味しい しい美味しいと頰張る。贔屓ひいきの野球チームが記録を狙う強打者と対戦するときには、アメショーは登板するのがエースだから不幸中の幸いだと言い、ロシアンブルはエースが打たれたらおしまいだから他の投手の方がましだと思う。他の人たちの場面でも同様に「ひとつの事象をどう解釈するか」が繰り返し語られる。何度も引用されるニーチェの『ツァラトゥストラ』の「永遠回帰」の概念など、その最たるものだ。

 これはどちらが正しいという話ではない。私たちは往々にして、結論はひとつしかないと思い込み、見えない何かにおびえがちだ。けれどそれは唯一のものではなく、自分が選択できるのだと本書は告げている。動くか動かないか、戦うか逃げるか、もっといい方法はないか、他の考え方はないか。これは解釈の物語なのである。

 それが最後の「真相」につながる。そう来たか。タイトルの意味はそこにあったのか。なんと清々しく希望に満ちた物語だろう。

 これを、どこに不満をぶつければいいのかわからないコロナ禍の閉塞感の中で読めたのは、本当に、風穴が空いて空気が流れ始めたような気がしたものだ。

 特に私が感じ入ったくだりがある。バス停で視覚障碍しょうがい者が傘で突かれて重傷を負ったというニュースを見た悲観論者のロシアンブルが「世も末だ」と嘆いたとき、檀が言った言葉だ。これはすごくいいので、ぜひ本編でお確かめいただ……え? ロシアンブルと檀の会話? ロシアンブルは作中作なのでは?

 と、思ったでしょ。これが実は本書の構成の最大のポイントである。あまりネタを明かすのもよくないので、これはたとえば現実と虚構が入り混じるようなファンタジーではない、と言うだけにとどめておこう。いいですか、ファンタジーではありませんよ。すべてちゃんと理に落ちますよ。

 この構成もそうだが、本書には、著者本人も単行本刊行当時のインタビューで語っているように、伊坂幸太郎の得意技がみっちり詰め込まれている。

 現実の話とファンタジーっぽい話が思いがけない形で交差するという手法は『マイクロスパイ・アンサンブル』(幻冬舎)にも使われているし、『フィッシュストーリー』(新潮文庫)も並行する物語が意外な形で交差する構成だ。妙な超能力は『魔王』(講談社文庫)や『オーデュボンの祈り』(新潮文庫)にも登場するし、ネコジゴ・ハンターのコミカルなコンビは『マリアビートル』(角川文庫)の蜜柑みかん檸檬レモンを思い出す。ちなみにロシアンブルの「かっ、むっ、ちっ」は、『グラスホッパー』(角川文庫)の「はっ、むっ、ちっ」『マリアビートル』の「ほっ、むっ、ちっ」だ。本書では「忘れることが大事」という言葉が出てくるが、『777 トリプルセブン』(KADOKAWA)には記憶力が良すぎて忘れることができない人物が登場する。猫といえば『夜の国のクーパー』(創元推理文庫)が浮かぶ。そうそう、作中には『ガソリン生活』(朝日文庫)の緑のデミオや『魔王』のあの人のカメオ出演もあるので探してみていただきたい。

 そしてもうひとつ、これも「得意技」と言っていいのではないかと思う特徴がある。先見性だ。2019年に刊行された『クジラアタマの王様』(NHK出版/新潮文庫)はその内容から(どんな内容かはお読みください)予言の書か、と言われた。本書にも、まるでその後を表しているかのような描写が複数ある。

 たとえば本書にはホームランの日本記録を超えるかもと言われた野球選手・天童が登場するが、刊行翌年に東京ヤクルトスワローズの村上宗隆内野手が実際にその記録に迫った。ジャッキー・チェンの映画に出てくる「戦争反対なんだよ!」についての会話には、2022年にウクライナが、2023年にパレスチナ・ガザ地区がそれぞれ戦場となり、2024年9月現在もなお紛争が続いている状況を重ねずにはいられない。

 なにより、作中に登場する、ルワンダではラジオ放送の刷り込みで虐殺が起きたという話や、『ツァラトゥストラ』の「永遠回帰」の解釈によってあるサークルのメンバーが一方的な考え方にどんどんハマっていく様子など、現代のエコーチェンバー問題そのものだ。

 私はコロナ禍の閉塞感の中でこれを読めてよかったと思ったが、今、2024年のこの時期に文庫化されるというのも、時宜を得たと言っていいのではないか。

 いやむしろ、時を選ばずに読める普遍的な面白さがあるということだ。それこそ、伊坂作品の最大の特徴なのかもしれない。

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