今こそスタンフォードに学ぶべき多様な思考フレームと「できるよ感」世界との人材循環が日本の次世代を創る
※「前編」よりつづく
日本のスタートアップエコシステムは、ゆっくりとしか変われない大企業中心の日本経済に必要なダイナミズムやフレキシビリティーを注入するポテンシャルがあり、大企業を置き換えなくても大企業の方向性を変えるという重要な役割も担う。
ここ10年で、日本におけるスタートアップエコシステムのパーツは著しく発展し、それぞれのコンポーネントで好循環スパイラルができあがりつつある。VC業界の発展が進み、日本におけるVCの投資額は、2011年の824億円から2021年には7801億円と、過去10年間で約10倍に増加していて、独立系投資家の台頭により成熟してきた。
また、日本のスタートアップエコシステムは一流大学、大企業、政府、などからのエリート人材を活用している。大企業も、単独では容易に達成できないことを行うために、オープンイノベーションの取り組みでスタートアップと提携する例が増えている。
大学発のスタートアップも急増しており、ディープテック(deep tech)からバイオなどの領域まで有望な企業が生まれ、どんどん上場している。上場の規模はまだ小さいが、上場経験者が増え、事業を上場させた人たちが次の世代に投資をしてメンタリングする循環も生まれている。
政府、経済団体連合会、東京大学総長、行政の経済戦略計画などがそろってスタートアップエコシステムの成長を明確に後押ししていて、過去半世紀のどの時点に比べても、スタートアップエコシステムの社会的正当性(legitimacy)は高くなっている。
さらに、エコシステムのそれぞれのコンポーネントに目を向けると、好循環スパイラルが見られる。
VC業界は独立系VCが主役となり、1990年代の後半に東証マザーズなどの小資本市場が整備されたことで、新興企業の早期IPOが可能になった。VCが投資リターンを実現し、リターンが増えるにつれ、より多くの資金と経験者がVC業界に集まり、スタートアップの資金調達の機会を増やし、VCのさらなるリターンを実現する機会が増えた。
労働市場では、スタートアップエコシステムにおける労働市場は流動的でダイナミックなものとなり、エリート卒業生が大企業やエリート省庁の職を離れてスタートアップに行けば行くほど、かつての同僚や学友などの人脈や社会的正当性などから、次の人材の波がスタートアップエコシステムに引き寄せられやすくなり、人材の流動性がさらに高まった。
また、日本の情報技術(IT)分野の発展や外資系企業の金融分野への進出が加速したことで、労働市場の流動性が高まり、スタートアップエコシステムを後押しした。
大学発スタートアップも、先輩たちがスタートアップを興せば興すほど、次の世代はスタートアップを興すことが通常の選択肢に含まれるようになり、ラボを率いる大学教授のコミュニティーにも大学にもノウハウがたまる。ノウハウがあればあるほど、次の大学発スタートアップを考える人たちのハードルが下がり、さらなるスタートアップが生まれやすくなる。
スタートアップエコシステムの各コンポーネントはそれぞれ他のコンポーネントと補完関係があるので、全体が発展するには時間がかかった。たとえば人材の流動性が低いとスタートアップに行く人材が限られ、そうするとVC投資をしても成功する確率が低くなり、リターンが少なければ資金が集まらず、成功するスタートアップが少ないと上場経験者が増えず、エンジェル投資家が増えなくなり、業界に資金が集まらない、という事態になっていた。しかし、好循環スパイラルがいくつもできて、それぞれのコンポーネントが伸びてきたので、エコシステム全体が成熟してきていて、将来が期待できる。
■次のフェーズは世界との人材循環
日本のスタートアップエコシステムの次のフェーズでは世界との人材循環が大事になってくる。これまで述べてきたように、自らとは異なるフレームをもつ人たちとの深い交流で新しいアイデアを見つけたり、日本にいるだけではできないと思われたりしていることが実はできるという感覚である。
逆に、自分が限られた環境でどんなにすばらしいと思っていても、世界のあらゆるところから来た人たちはその上を行くアイデアや、議論を通してのフィードバックで思わぬ方向に構想を高めたり、小さめのスケールで考えたりしていたことを本当にグローバルなスケールで考えるなど、得られる価値は大きい。スタンフォードへの留学、進学などは、もっとも刺激も人脈にもめぐり会える機会かもしれない。しかし、強いていえばスタンフォードでなくてもよい。
海外経験は出張よりも長いほうがよいが、コロナ鎖国が長引いた日本では、たとえ短期出張でも新しい感覚にめぐり会いやすい。たとえば2022年にはすでにロンドンのタクシーの3分の1が電気自動車になっているとわかれば東京にEVが走った場合の綺麗な空気が想像できるようになる。スタンフォード近郊のパロアルトやメンローパークのアッパーミドルクラスの住宅地で、場所によっては3割以上の家にテスラが停まっているのを見ると、世界は本当にEVにシフトするのかどうかという疑心を抱く日本国内の議論は、もし日本がEVに舵を切らなくても、世界は間違いなくその方向に動くであろうということがわかる。
スマートフォンに比べて自動車は複雑で、充電インフラも必要だが、同じようにディスラプトされる危険性や、EV化がもたらすさまざまな生活様式の変化をチャンスととらえられる。テスラではすでに車内で車載カメラと大画面を使ってZoom会議ができる。寒い日や暑い日にアイドリングをせずに空調をかけて仕事ができる「個室」の姿を見たら、さまざまなビジネスチャンスを見出すことができるだろう。日本の高齢化・過疎化する地域での「移動も待機もできる個室」という概念に新しい町づくりを見出せるかもしれない。
海外経験を劇的に増やそうと思ったら国の予算を充てるという発想もあるが、「頭脳流出」を懸念する声は必ず出る。しかし、頭脳流出は頭脳「循環」の第一歩であり、さまざまな人脈を作り、外の感覚を身につけたほうが日本のためにもなる。実際に本書の著者たちはスタンフォードの経験に刺激され、もう日本には戻らずに日本人をもやめてしまうという発想ではなかった。
「もっと海外へ」という構想を持ち出すと、機会の平等を重んじる日本の議論で頻繁に出る反論は「経済事情で海外に行けない人もいるので、そんな議論は格差を広めるだけだ」というものである。しかし、社会全体をより良い方向に向けて触媒となる人々(VC、医療、アントレプレナー、大企業内の変革者、教育改革者など)と、触媒になりうるポテンシャルがある人たちのモチベーション、影響力、そしてネットワークが、国内の格差を埋める第一歩であるという思考フレームもある。留学をサポートする奨学金も増えている。
■次の世代のチェンジメーカーへ
本書『未来を創造するスタンフォードのマインドセット』の各章で掲載したスタンフォード経験者はチェンジメーカー(先駆者)でもあり、触媒でもある。スタンフォードは教育に本気であり、高校生から社会人まで幅広く教育を行っている。本書の著者たちは次のチェンジメーカーを育てることにも熱心であり、ライフワークにしている方もいる。
スタンフォードで得た経験は著者たち自らを伸ばし、まわりも伸ばし、次はより広く社会に良いインパクトを本気で、そして具体的な解像度で与えようというモチベーションになった。しかもそれを実現させられるような「できるよ感」を与えてくれた。
本書で紹介されたさまざまな例と、本書を締めくくる本章が少しでも読者にとって具体的な次のアクションを取るきっかけになれば本望この上ない。