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第10回 林芙美子文学賞 受賞作が決定! 大賞受賞作の冒頭を特別公開します。

 過去には芥川賞作家・高山羽根子さん、三島由紀夫賞作家・朝比奈秋さんも輩出した林芙美子文学賞の受賞者が決定しました。第10回となる本年は「森は盗む」(大原鉄平)が大賞を、「人にはどれほどの本がいるか」(鈴木結生)が佳作を受賞いたしました。受賞作全文、および井上荒野さん、角田光代さん、川上未映子さんによる選評は3月17日に発売となる「小説トリッパー」2024年春号に掲載いたします。大賞を受賞した大原鉄平さんの受賞の言葉と受賞作の冒頭部分を特別に公開します。

 佳作受賞作「人にはどれほどの本がいるか」(鈴木結生)はこちらで冒頭を公開しております。

大原鉄平さん

受賞の言葉

 一九九七年、大学三年の時に親のワープロを借りて感熱紙に原稿用紙五十枚の小説を書いて、それからは書いて、書いて、夏休み二ヶ月閉じこもって書いて、社会に放り出されて書いて、バイト先のレジでしゃがみ込んで書いて、お腹痛いふりしてトイレで書いて、カフェの真冬のテラス席で耳栓して書いて、就職して書いて、独立して書いて、書けなくなって、また書いて、そうして生まれた、世に出られなかった数百人の登場人物たちの繋がりの果てにいる今作の彼ら彼女らが、今回ようやく日の目を見ることになって本当に嬉しいし、受賞に至るまでに僕の物語を拾い上げようとしてくださった全ての方々に感謝します。僕は僕の物語を必要としている次の誰かに繋げたい。また書きます。

受賞者プロフィール

大原鉄平(おおはら・てっぺい)1976年生まれ。大阪府在住。

■大賞「森は盗む」(作品冒頭)

 その檻は森の奥深くにあった。
 檻は屋根もなく雨ざらしで、私が見つけた時はあちこちに青緑色の苔が生えており土台も腐朽が始まっていた。
 檻と言っても鉄格子ではなく木造で、明治時代の監獄のような太い木の格子が、一切の金物を使わずに見事に組み上げられている。私は錠のついていないかんぬきに手をかけ、格子戸を開いて、狭い開口部をくぐって中に足を踏み入れた。
 床にはヒノキが張られていたが、小柄な女性である私が三歩ほど歩いただけで一部の板を踏み抜いてしまった。現場経験の少ない設計士としてはもう少し歩いてみて木材の腐朽度合いを確かめたかったが、あいにく三歩以上は歩けない。この檻は畜産用ではなく、牢なのだ。
 私は檻の中心に立ち、格子越しに四方をぐるりと見回してみた。どの方角を向いても鬱蒼とした木々が果てしなく続いている。葉色の暗い常緑樹が頭上に広げる土気色をした枝はまるで人間の四肢ほどに太い。その生気のない肉に絡みつく血管のように、無数の細いツタが複雑に交差しながら枝や幹の表面を走っている。ここから見える木々は、決して枯れ木ではなく充分な葉を付けているのに、生きている感じがしないのはなぜだろう。盛り上がった太い腕のように見え、鍛え抜かれた太い脚のように見えるあの幹や枝が、せめて何か人の生きた一部であったならと祈りのような感情を過去へ向けるが、その着地点は永久に見つからない。
 ここに閉じ込められていた子供はもうどこにもいないのだ。
  
 こらあっ、吉武ぇっ! なんぼ同じこと言わせんのんじゃっ!
 という怒号が倉庫の方から聞こえてきて、それと同時にぱちんと頭をはたく音も届き、さらにガンという強い音がしてブリキのバケツが私の目の端を横切って転がっていく。それらは全く同じタイミングのように思われたが、叫んで、叩いて、蹴る、の三つを人は果たして同時に行うことができるものだろうか。実際はどうだったのか、叫んで、蹴って、同時に叩いたのか。蹴って、同時に叩いて、それから叫んだのか。音速というのは音の感じによって速度が違うのだろうか。そう考えてみれば、ぱちんよりも怒号よりも「ガン」が一番速そうだ。つまり社長はまずよっちゃんの頭をはたきながら怒鳴り、次にバケツを蹴り飛ばしたのではなかろうか。そうして先行したぱちんと怒号に対し、俊足のガンがあとから追いついたのだ。そして勢い良く蹴られたバケツがそれらの音と同時に私の視界にゴールインした…のだろうか。
 などとものすごくどうでもいいことを考えながらCADの画面から目を離し、慢性ドライアイ&眼精疲労の両目を擦って天を仰ぐ。時計を見ると午前十時十五分、しかし私の両目は早くも限界を迎えている。昨日だって結局図面を家に持ち帰って夜中まで修正していたのだ。わがままな施主のせいで一体何度やり直しをさせられるのか、社長のコワモテと筋肉があれば私だって言ってやりたい、なんぼ同じことやらせんのんじゃ! と。
 視界の右端から左端へ転がっていったバケツを追うように、しばらくして右から左へとよっちゃんがふらふらと走っていく。今日もピタピタのワークウェアに身を包み、そのせいで強調された四十代とは思えないほど貧相な身体を折り曲げながら、赤黒いひげ面をさらに赤くしてよっちゃんは走る。耳かき棒のふさふさに着火したみたいな髪型は今日も全然風になびかず、一つの脂っぽい塊となって頭上で揺れていて、着ているポリウレタン混の白いウェアからは顔と同じように赤黒く貧しい首と腕が伸びている。よっちゃんを遠目に見るとその白く清潔なウェアだけが肉体から異様に浮かび上がっていて、何か人間にむりやり服を着せられた野生動物のような、そんな物悲しささえ感じる。
 おそらくまた社長の煙草を盗んだのだろう。よっちゃんは大工歴二十七年の熟練の棟梁なのに手癖が悪い。どんな親に育てられたらこんなアホになるんじゃ、と社長はコワモテの顔をさらにしかめて事務所に上がり、ほとんど白髪になった坊主頭をかき、取り返した煙草に火を点ける。服と髪に臭いがつくから事務所で吸わないで欲しいといくら社長に言っても聞いてくれないので、私はよっちゃんが社長の煙草を盗むたび、少し気分が良くなってしまう。社長はぶつぶつ言いながら大股で歩いて自分の社長席に座り、くわえ煙草で積み上げられた書類に目を通す。
「上湖ちゃん、どこまでできた」
 書類から目を離さず、社長がぶっきらぼうに私に聞く。
「全部直して朝イチで送りましたよ」
「ほなそれ、何やっとるんや」
「まだ納得いかないところを調整してるんです」
「さすがやなあ。向上心の塊や。あのアホとえらい違いやな」
 社長は書類を机の隅に放り投げ、大きく溜息をつきながら煙草を揉み消す。その溜息と一緒に吐き出された煙が、社長席の斜向かいにある私の席に、いくらか濃度を減衰させながらもそのまま届くので、私はわざと社長に見えるように製図用のプレートでその煙を大げさに扇いでやるが、社長はちらりと見ることもせず、机から目を離さない。
「やっぱり親やな。こういうのは親のしつけや。あの人も親としては、ええことなかったんかも知らんな」
 社長は独り言のように呟き、二本目の煙草に火を点ける。
 あの人、というのはよっちゃんの親で、この工務店の先代棟梁だった人のことだ。小さい頃から先代の仕事ぶりを見ていた社長は工務店を継いだ後も先代に頭が上がらず、先代が八十歳で腰を悪くして引退するまでは先代の前でよっちゃんを叱ることができなかったという。だから今は、それまでため込んでいたストレスが爆発しているのだ。
 日当たりのいい事務所に少し角度のついた春の陽射しが斜めに射し込み、その反射光がヤニで黄色くなった事務所のクロス壁と天井に跳ねている。地方の街の郊外の、国道から離れて住宅地に入ったところにあるこのエリアには、行き交う車もなければ、歩く人の姿も見えない。社長が不在で、隣にある倉庫の作業音も無い時間帯は、まるで世界中で働いているのが自分一人だけのような気分になる。
 十時半きっかりに機械で木を削る音が倉庫から届き始めると、それに呼応して私の集中力も戻ってくる。十時から十時半が職人の一服の時間になっているが、社長がいようがいまいが、よっちゃんがそれを過ぎてサボったことは私が知る限り一度もない。よっちゃんは会社にも施主に対しても誠実な大工だ。ただ、手癖が悪い。人のものを盗る。
 二本目の煙草を吸い終わらないうちに社長の携帯に別の施主から電話が入る。ああ、はい、はい、すんません。ほな手が空き次第行きますさかい、もうちょっと待っといてください。えらいすんません。
「どこからですか」
「前田さんや。また雨漏りや。行ったかてどうせ何もできんけどな、来て欲しいんやろ」
「社長が行かなくてもいいんじゃないですか」
「こういうのは、一番役に立たんもんが行ったらええんや」
 昨年の台風で広範囲の瓦が飛び、冗談のような量の屋根の修繕依頼が一気に届いた。それでいつも使っている屋根屋さんがパンクしてしまい、全部の屋根を直すのに丸一年はかかるとのことだった。それからというもの、お施主さんからの屋根修理の苦情電話が鳴るたびに社長は軽トラに乗って謝りに行く。
 社長は自分のことを役立たずだというがもちろんそんなわけはなく、本当に役立たずなのは私の方だ。現場でも、お客さんの苦情に対しても、私にできることは何も無い。
 私の世界はこのパソコンのディスプレイの中だけだ。疑似的に三次元を再現した空間で、私は大きな家を建てたり、自分では到底買えない素敵なインテリアを集めたり、四人家族のママのふりをしたり、子供が巣立って寂しい思いをしている熟年の妻のふりをしたりしている。真夏日にも真冬にも粛々と現場に出る職人の人たちが、焼けるように熱せられたいぶし銀の瓦の上を歩いたり、かじかんだ指を真水の中に突っ込んで道具を洗ったりするのを横目で見ながら、私は手で触れることのできない架空の道具を使い、奥行きのない平面に像を描き、電源を切ればあっという間に消えてなくなる世界を生きている。
 今、私は二児のママとしてそこに立っている。この動線じゃ子供が学校から帰って来た時に手を洗うところがないから、玄関に土間を設けて、そこに手洗いシンクを設置すればどうかしら、そうしたら言うことを聞かないあの子たちも、自然に手を洗うのが習慣になって、私がいちいち怒らなくてもよくなるんじゃないかしら。でも玄関にはパパのゴルフクラブを置かなきゃだから、やっぱりリビングを狭くして、玄関にもう少し余裕を持たせるべきよね。
 パパは家に興味がないから、私が頑張らなきゃ。
 あーちゃん、たっくん、ママ、家づくり頑張るからね。
「まだやってんのかいな、もう昼やで」
 よっちゃんのがらがらに割れた声が事務所の入口から届き、私は我に返る。気付けば社長の姿はなく、時計もとっくに十二時を過ぎている。私はよっちゃんに「はいはい」と手を挙げて、学生時代から使っているお弁当箱の蓋を開ける。
 いくぶん変色したそのお弁当箱には私が子供だった頃の記憶が染み込んでいる。そのお弁当箱を開く時、私は私の現実を突きつけられ、まともになる。
「たまにはええもん喰わんとあかんで。残りもんやろ、それ」
「そっちこそコンビニばっかりじゃないですか」
「上湖ちゃん、愛妻弁当作ってぇな」
「700円でどうですか」
「それ愛が無いがな」
「愛ってお金で買えるんですよ」
「今の若い子はかなんなー」
 昨日フラフラになりながら冷凍食品とレトルトでつくった夜食の、その残り物ばかりで構成された「ええもん」ではないお弁当は、学生時代に流行したデザインの、ところどころプラスチックが削れて底がざらざらになった弁当箱の中に敷き詰められた、誰のものでもなく、いわれのない味付けの、ずしりと重い私の履歴書だ。私は出来合いの食品で育てられ、母の味をほとんど知らない。
「俺が作ったってもええんやで」
 そんなセクハラぎりぎりの発言が続くよっちゃんもまた、私が知る限りコンビニ弁当しか食べていない。そういうところでお互い仲間意識があるのか、他の職人さんに比べて、よっちゃんとの会話は楽でいい。
 昼休憩に入って静まり返った倉庫と事務所に、どこからか小鳥のさえずりが届いている。そのやけに甲高い声はどこか色めき立って浮ついたもののように感じられ、あ、そういえばもう春なんだ、と気付き、おかずを口に運ぶお箸がふと止まった。

(作品の全文は「小説トリッパー2024年春号」に掲載されます)

第7回受賞者 朝比奈秋『私の盲端』

『植物少女』

第4回受賞者 小暮夕紀子『タイガー理髪店心中』

第2回受賞者 高山羽根子『オブジェクタム』

『如何様』

『オブジェクタム/如何様』(朝日文庫)