女優・南沢奈央さんによる、朝井リョウ『スター』文庫解説を特別公開!
わたしは大学時代、現代心理学部映像身体学科だった。「心理学部だった」というと、「じゃあ人の心読めるの?」と言われるし、「映像を勉強していた」というと「いずれ監督とかやりたいの?」と言われる。そういう人もいただろうが、わたしは人の心も読めないし、監督志望でもない。
では何を学びにいっていたのか説明するのはむずかしいのだが、大学のホームページの言葉を借りるならば、映像身体学は、“映像と身体をめぐる新しい思考と表現を探究する”学問で、2006年に立教大学に新設され、わたしが入学したときにはまだ卒業生も出ていなかった新しい学部学科だ。
事務所にスカウトされて、右も左も分からないまま高校から女優を始め、“仕事を続けたい気持ち”と“まだ勉強したい気持ち”を両立できる場所を見つけて入った。もともと勉強することは好きだったけれど、小中高と比にならないくらい、“学ぶこと”が楽しかった。卒業しないでずっと大学に通っていたかったし、今でも戻りたいくらいだ。
座学で映画史を学ぶ講義などもあったが、シアター型教室やスタジオ棟、舞台として使えるロフト教室もあった。大きなスクリーンとふかふかのシートの、映画館のような教室では、とにかく映画をたくさん観た。黒澤明や小津安二郎など、監督ごとに深掘りしていったり、ホラーやドキュメンタリーとジャンルごとに演出を分析していったり。自分たちで映像作品を作るワークショップも多かった。わたしも、授業の中でテーマを決め、一人でカメラを持って取材して、編集し、ドキュメンタリー(と言えばかっこいいが、実際はホームビデオ感溢れる)映像を作ったり、ミュージックビデオを撮ったときは、数人のチームで制作したりした。自分が出したコンテ案が採用されたはいいが、いざ現場で監督として演出するとなると無性に恥ずかしくなって、カメラマンと交代してもらった。その時に、現場の中心に立って揺るがずに周りに指示していく演出って、自分には出来ないなと気づいた。それ以来、仕事で出会う監督や演出家はもちろん、全部署のスタッフさんを見る目が変わった。
この時期は大学の講義以外にも、時間があれば映画に触れていた。当時はサブスクもなかったのでTSUTAYAに行ってDVDを借りられるだけ借り、名画座含めさまざまな映画館の上映情報をチェックしては劇場へ足を運んだ。渋谷のユーロスペースや池袋の新文芸坐のオールナイトに行けば、同級生の誰かしらには会えたのが懐かしい。
長々と個人的な大学時代を回想してしまったが、そんな大学時代を一緒に過ごしてきたかのような二人が、本作の主人公たちなのである。
ただ好きなようにアウトプットとインプットが出来た大学時代。大学時代のアウトプットも全力ではあったけど、失敗が許されるものだった。女優の仕事はもちろん別として、大学で作った映像作品はいま誰にも見せられないような(実際データがどこにあるのかも分からない)代物だが、それは自分にとってなんのキャリアの傷にもならなかった。こういう学生がほとんどだろう。だけど、それが評価されたことで人生が動いていったのが、立原尚吾と大土井紘だ。
大学の映画サークルで二人で監督して作った映画『身体』が、ぴあフィルムフェスティバルでグランプリを受賞し、新聞から受けたインタビューの記事から本作は始まる。そこでいかに対照的な二人であるかが示される。
映画好きの祖父の影響で、小さい頃から映画館に行って世界の名作に触れていた尚吾。一方で、紘は島出身で美しい景色は周りに当たり前のようにあったが、映画館には上京してから初めて尚吾に連れて行ってもらい、スクリーンの大きさに驚くほどの素人だ。映画との距離感がまったく違う二人は、製作過程においても感覚が異なる。慎重に見せ方を追求していく尚吾と、直感で瞬間を切り取る紘。そんな組み合わせでぶつかり合わずに、でも混ざり合いもせず、他にないような映画に仕上がったからこそ賞を取れたのだろうと想像できる。
そして大学4年生の3月、かつて『身体』を特別に上映してくれた名画座・中央シネマタウンで、『門出』という映画界の巨匠と伝説の映画スターがタッグを組んだ名作を観た後、ポスターを見つめる二人の目を向ける場所の違い。非常に象徴的であり、印象に残る。ポスターのクレジットを見る尚吾と、そこに写った俳優の表情を見る紘。つまり、興味の対象が、製作過程を含めた映画そのものか、それとも被写体である人間そのものか。まさに、二人の方向性の違いが表れていた。
「とにかく、本物の実力を持った、本物の映画監督になりたい」
「自分がかっこいいと感じたものをかっこよく撮る、ということを極めたい」
やはり卒業後、二人は対照的な道を歩んでいく。尚吾は憧れの名監督・鐘ヶ江誠人のもとに弟子入りし、紘は『身体』に出演したボクサーを撮影してYouTubeで発信することに。
紘は自分の作った映像がすぐに世に出るようになり、量を求められるようになる。YouTubeチャンネルの人気が出始め、更新頻度を上げること、本意ではない内容を撮ることに苦しむ。でも尚吾から見たら、〈厳しい選考を経て高品質で伝統ある環境に辿り着いた自分が足踏みをしていて、野良から飛び出した紘のほうが先に世の注目を浴びている現実を受け入れられない〉。
お互いにお互いを意識し合い続け、自分の道を貫こうとする。それぞれの道を歩んでいたかのように見えたが、徐々に辿る道が重なってくる。
置かれた環境で、今求められることと今自分のやりたいことの間にある溝にはまり、悩み、苦しんでいく。それでも思考する。質とは。本物とは。価値とは。時代とは。正解のない問いに向き合うのは体力も、精神力も削られる。それでも何かを掴んでやろうという二人のエネルギーを軽やかに描き、気づいたらこちらまで体が熱くなっているのである。
〈私は最近、出演しているNHKの落語番組で、YouTubeの話題が積極的に取り上げられることに意外性を感じていた。とは言え私自身もネットで落語を観ることが多く、確か番組を始めた昨年の春頃は、「動画配信サービス」と表現を濁すよう言われていたはず……。〉
2020年11月、単行本が出版された直後、実は読売新聞でも書評させていただいた。そのときの導入部分でこう書いたのだが、2年が経ち、解説を書かせていただくことになって改めて本作を読んで、その感覚が全く湧かなかった。テレビ番組でYouTubeの話題が出ることに今や意外性など1ミリもない。最近は、この人誰だろう?と思うと、だいたいYouTuberかTikTokerだ。もはや話題に出すことを違和感と感じていたことすら忘れていたほど、日常になっている。この2年の間にも、時代は目まぐるしく移り変わり、価値観も変化してきているということを、身をもって体感した。
反対に、2年前感じなくて今回あったのは、懐かしさと切なさ。大学時代の全力で映画に向き合った時間を思い出し、飯田橋のギンレイホールを彷彿とさせるような中央シネマタウンの描写に、あの頃のように心躍らせて2本立てを観に行きたくなる。そして、尚吾と紘を見ていて頭に浮かんだ、監督志望だった二人の同級生。一緒にワークショップで映像を作った仲間なのだが、どちらも映画監督になりたいと言いながら、卒業後、1人はNHKでディレクターになり、割とすぐにわたしの出演する番組で再会し、1人はフランスのどこかの監督に弟子入りすると言ったのが最後、連絡が途絶えてしまった。尚吾と紘と重ねるわけではないが、卒業してから10年経つけれど、仲間として、それぞれが自分の大事な部分は変わらずに持っていてくれたらいいなと願うのである。
わたしもついに人生の半分が芸歴になり、その中で作り手としてのたくさんの葛藤も味わってきた。みんなに良いと言われたいと思っていたときもあるし、知名度を上げることを目指していたときもあった。だけど今は、無責任かもしれないが、誰か一人にでも響けばいいと思ってお芝居をしている。しかも見る人数が限られる舞台という場所が多くなっている。でも一人のためにやってみたら、もっと多くの人に伝わることもある。その奇跡を信じたい。そして芝居だけではなく、こうして文章を書かせてもらってもいる。表現方法の選択肢をいくつか持ちながら、わたしはやりたいことをやりたい場所でやっていきたいと思う。そんなことも、青々とした尚吾と紘の姿に背中を押され決意していたことを、ここで告白しておきたい。
本作は時代を切り取った作品だと思っていたが、変化した時代の流れの中でまた改めて読み、いつ読んでも、「変化する時代と、質と価値」というテーマはビビッドに浮かび上がってくる、揺らがない作品だと思った。と同時に、感性を積み重ねられていたことにほっとする。周りに流されずに自分の感性を持ち続けられているか確かめるためにも、時代がいくら変わっても、人生の指針として一生そばにおいておきたい一冊である。
(みなみさわ なお/女優)