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第10回林芙美子文学賞大賞、大原鉄平氏の受賞後第一作「八月のセノーテ」が「小説トリッパー」24年秋季号に早くも掲載!冒頭部分を特別公開

 2024年「森は盗む」で第10回林芙美子文学賞大賞を受賞された大原鉄平さんの受賞後第一作「八月のセノーテ」が早くも「小説トリッパー」24年秋季号に掲載されました。より多くの人に読んでいただきたく、冒頭部分を特別公開いたします。

「小説TRIPPER」2024年秋季号(朝日新聞出版)
「小説TRIPPER」2024年秋季号(朝日新聞出版)

「八月のセノーテ」

 この街は少しずつ沈んでいるらしい。
 森本仁寡ひとかはその話を同級生のりょうから聞いた。りょうは塾でもトップクラスの成績で、下らない噂話に流されるタイプではなかったので、きっとその話は本当だろうと仁寡は思った。この街は少しずつ沈んでいる。
「年に何ミリだか、何センチだか、知んないけどね」
 りょうは真新しい赤色の自転車に飛び乗るようにまたがり、ペダルに足をかけ、仁寡を振り返って言った。
「全部沈んじゃったら、あんたはどうする?」
 日が傾きつつある放課後、りょうは塾の開始時間に間に合わせるため、週に三回、自転車に乗って家路を急ぐ。真っ赤な夕焼けのような色をした自転車は、まだりょうのイメージに馴染んでいないと仁寡は思う。
 仁寡の返事も待たず、じゃあね、と小さく手を振り、りょうは正門からまっすぐ続く坂道を下っていく。ひるがえるスカートと夕焼けの色があっという間に遠ざかり、正門の角を曲がって消えていく。波輝町北中学校は人工の小高い丘の上にあるため、自転車通学の生徒は皆、帰りの下り坂をノーブレーキで降りていくのだった。仁寡はりょうが消えていった正門をしばらく見つめた後、踵を返してグラウンドに向かい、そのさらに向こう側にある水泳部の部室へと歩いていった。
 まだ水温が上がりきらない六月、水の色は曇天を映し薄暗く濁っている。男子ロッカールームで競泳用水着に着替え、ゴーグルを肩にかけ、仁寡は外にあるシャワーに向かった。プールサイドでは二年の男子部員である月見先輩が既に準備体操を始めていた。それを横目で見ながらコックをひねってシャワーを浴びようとした時、誰かがすぐ側を走り抜け、そのままの勢いでプールに飛び込んだ。プールサイドからかなり離れて立っているはずの自分の足元にまで飛沫がかかり、仁寡は嫌な予感がしてプールの中心に目をやった。しばらくして、水面に金色に染めた髪がくらげのように浮かび上がってきた。三年の男子部員の野口先輩だった。野口先輩は水中から顔だけを出すと、プールサイドに突っ立っている仁寡に「おい」と声をかけた。
「おい一年、お前、あれ持ってこいや」
 仁寡が言われるままに倉庫から消毒用の塩素系錠剤を持ってくると、野口先輩は既にプールから上がっていて、代わりにプール中央には月見先輩が立たされていた。野口先輩は「動くなよぉ」と小太りの身体をよじって振りかぶり、小石ほどの大きさの錠剤を月見先輩に向けて水切りのようにして投げた。月見先輩が思わず目をつぶり、仁寡の背筋が凍った。水面を勢いよく走った錠剤は、幸運にも月見先輩を大きく外れてプールから飛び出し、プールサイド脇のコンクリートの壁にぶつかって割れた。お前ガリガリやからなあ、当てにくいわ。野口先輩の笑い声が灰色の空に響く。野口先輩は気が向いた時にしか部活に顔を出さず、顔を出した時はこうして他の部員をいじめ、からかい、練習が始まる前に姿を消すのだった。仁寡は水泳部に入って数日後に月見先輩から「三年にややこしいのが一人いるけど相手にするな」と忠告を受けていた。仁寡は「相手にしない」ということが具体的にどうすることか分からず黙っていた。
 野口先輩はいつも通り、顧問の教師が来る直前にいなくなった。野口先輩が練習に参加するのを仁寡は一度も見たことがなかった。それから二時間後、練習を終えた仁寡が男子ロッカールームで帰り支度をしている時に、野口先輩がまたどこからかふらりと現れた。野口先輩は顧問がいないのを確認すると、仁寡の肩を乱暴に引き寄せ、今から服のままプールに飛び込むか、これを吸うか、どちらか選べ、と低い声で言った。仁寡は突然目の前に突き出された火の点いた煙草を凝視した。ついに自分がターゲットになったのだと思った。部屋に漂う煙草の煙が自分の頭の中にも充満していくように思い、気が動転した。おい、はよ選ばんかい、野口先輩が笑いながら顔を近づけて言い寄ってきた。野口先輩の肌はぶよぶよしていて白く、制服から変な香水と煙草の煙が混ざったような臭いがして頭がぼうっとなった。仁寡は何も言えないまま、野口先輩のにやけた口元から覗く欠損だらけの黄色い歯を見つめていた。
 たまたま月見先輩が他の先輩数人を連れて忘れ物を取りに戻ってきたので、野口先輩は仁寡から離れ、事なきを得た。野口先輩が帰った後、ごめんな、と月見先輩は言った。その瞬間に胸が息を吹き返したように高鳴り、動悸が治まらず仁寡はその場に座り込んでしまった。月見先輩に塩素系錠剤のことを謝ろうと思ったが、うまく声が出なかった。
 それから数日間は緊張しながら部活に通った。しかしその間、仁寡が野口先輩の姿を見ることはなかった。野口先輩は部活だけでなく学校に来ること自体少なく、あの人は幽霊部員っていうより幽霊生徒やね、と別の女子の先輩が教えてくれた。
 六月のプールの色は底のラインが見えないほどくすんでいる。仁寡はこのプールがプールらしい青色に染まったところをまだ見たことがなかった。日に日に上昇する気温とは裏腹にプールの水温はいつまで経っても上がらない。入念な準備体操を終え、淀んだ水面に足先を差し出すと、痺れるような冷たさが身体の芯を貫き、不安になる。
 太古の昔、生き物は海に住んでいたという。しかし自分はとうてい海に住めるとは思えない。自分には何の力もない。海に住むどころか、野口先輩から逃げることすらできないでいる。
「もしこの街が海に沈んじゃったら、あんたはどうする?」
 思い切ってプールに飛び込むとその瞬間に音が消え、自分の意思とは関係なく全身の筋肉が硬直した。仁寡は真空になった不明瞭な世界でいつかのりょうの言葉を反芻した。感覚の残っている筋肉や関節を少しずつ動かし、丁寧にほぐしていくと、次第に手足の指先に体温が戻ってくる。よし、今日も大丈夫だ、仁寡はそう思い、息継ぎをしてもう一度深く潜ってみる。
 もしこの街が沈んだなら。
 その問いかけへの答えは、まだ持っていない。

 窓を少し開けると、陸から海に吹く風が部屋の中に乱暴になだれ込み、仁寡は慌てて窓を閉めた。学習机に置いてあった先日のテストの答案用紙が数枚飛ばされ、床の上に音もなく広がった。落ちた答案用紙をまとめて机の上に戻すと、見たくもない点数がいくつか目に入った。点数が最も悪かった数学の答案用紙は母親を通じて父親の手に渡り、先日、それが原因で父親にひどく叱られたのだった。仁寡はベッドの上に身体を投げ、視線を宙に漂わせた。壁に貼ったアニメのポスターと、本棚に飾ったゲームキャラのフィギュアがぼんやりと目に入る。本棚の近くには南西向きの巨大な窓があり、その向こうには青紫色の夜空が広がっていた。仁寡はしばらく空を眺めた後、視線を室内に戻し、白いビニールクロスが貼られた何も無い天井の中心をじっと見つめた。
 人工島にあるオーシャンビューが売りの高層マンションの最上階、その南西の角部屋が仁寡の自室だった。三年前、父親はこれまで住んでいた旧市街地の一戸建てを売りに出し、新築のマンションに移った。父親が意気込んで購入したそのマンションは販売開始後わずか数日で売り切れた。そのような人気物件の、一番高額な最上階の角部屋を買ったというのがここ数年の父親の最大の自慢話だった。ところが先日発売された一冊の週刊誌により、今やこの島全体の不動産価値が大幅な下落を起こしつつあった。
「マスコミが、余計なことしくさって」
 父が怒気を含んだ声で呟いた。
「どないなるんやろか」
 母が不安げに父を見た。
「あいつら、ちょっとしたことを何倍も大げさに書きよる。そもそも沈下の事実がないんや。訴えたら勝つし、放っといたら、そのうち皆忘れる」
「そやけど、学者さんが調査したって」
「学者かなんか知らんけど、そんなもん秋吉に言うて黙らせたるわ。あいつ、高校の頃から世話したったさかい、俺の言うこと何でも聞きよるんや。あいつのツテで別の雑誌に反対の記事書かしたったらええんや」
 食卓には仁寡の好物であるクリームシチューが並んでいた。両親は食事に手を付けなかったが、仁寡は料理が冷めるのが嫌で、そっとスプーンを持ってそれを口に運んだ。少し前から、父の帰りが急に遅くなっていた。訴訟や責任や補償といった単語が食卓を行き交った。仁寡は野口先輩に嫌がらせをされているということを相談しようと思っていたが、とてもそんな小さな話を言い出せる雰囲気ではなかった。父は仁寡が食事を終えたことにも気付かないまま、なかば演説のように会話を続けた。
 仁寡は小さく手を合わせて「ごちそうさま」と呟き、食器を流しに運んで水を張った。それから自室に戻り、またベッドに寝転がった。街が沈んでも沈まなくても、いつも似たようなものだと思った。両親は常に何かを言い合っている。自分には分からないもののことを喋っている。
 ベッドに寝転がり、天井の白いビニールクロスを見上げた。そこには浮遊する島と、大海原と、焼けるような日射しがあった。仁寡は皺一つなく綺麗に貼られた無地のビニールクロスにいつものイメージを思い描いていった。伝説の三つのしるし。まだ発見されていない海のワームホール。厚い雲の向こう、はるか太古に滅んだとされる、神々の一族。
「おい、お前、これどないなったんや」
 急にドアが開き、父が入ってきた。手には先日の数学の答案用紙があった。お前、これ、全部やり直して、どこがどうあかんかったんか、理由を横に書けちゅうたやないか。やってへんのかこれ。
 仁寡の顔から血の気が引いた。忘れていたのだ。
 舐めとんのか。
 何をされたのか一瞬分からなかった。気付けば、父に胸ぐらを掴まれ、硬い肘で壁に押しつけられていた。殺される、仁寡が本能的にそう感じた瞬間、母が後ろから飛びついて父を羽交い締めにした。
「仁寡、はやく言いなさい、お父さんに、ごめんなさいって謝りなさい」
 仁寡は、ごめんなさい、と叫んだ。気道が圧迫されてうまく声にならなかった。父は怒りで紅潮した顔のまま、仁寡の肺を押しつけていた肘を離した。それと同時に、ひとりでに仁寡の頬に涙が流れた。肩で息をする父は我に返り、自分の怒りの感情の強さを仁寡に悟られまいとするかのように背を向け、後ろ手に荒々しくドアを閉めて部屋を出ていった。
 伝説の浮遊する島には、地上ではとっくに滅んだはずの珍しい生き物がたくさん住んでいる。そこには遥か昔に移り住んだ人類が作り上げた独自の文明がある。彼らは「セノーテ」と呼ばれる、この地上と行き交うことができる泉を持っている。島のセノーテと地上のセノーテは互いがワームホールとなって深い奥底で繋がっているのだ。けれど、浮遊する島からも、地上からでも、セノーテに入るには一人前の冒険者として認められなければならない。力、知恵、勇気。そのいずれかがあることを証明しなくてはならない。そのしるしが必要なのだ。
 セノーテは透き通るほど美しい青みをたたえ、いつでも冒険者たちを待っている。
 力、知恵、勇気。
 父にはそのどれもがあるように思えた。仁寡は布団にくるまって、野口先輩のことと、父親のこと、そしてしるしのことを考えた。痛みと恐怖でまだ胸が震えていた。何一つ手にしていない自分を思い、恥ずかしさが身体の奥からこみ上げてきた。

 りょうの髪型が「ショートボブ」という名前だということを、仁寡はりょうから借りたマンガで知った。そのマンガの主人公の女の子は快活で、勉強ができて、目が大きくて黒い髪が耳の下くらいまである、まるでりょうそのものの姿だった。マンガを返す時にそう伝えると、やった、嬉しい、とりょうは笑顔になった。あたしこんな子になりたいと思ってるんだよね、だから髪型も真似してみたんだよ。りょうは両親の離婚に伴い小学三年生の時に仁寡のクラスに転校してきたが、小学校を卒業するまでずっと特定のグループからいじめを受けていた。しかし中学校に上がる直前、りょうは髪を切り、いじめに毅然と抵抗するようになった。それと同時にりょうは仁寡と学校で喋ることを嫌うようになり、その結果登下校も別々になってしまったのだが、りょうの変わり様を思えば、仁寡はそれもなんとなく納得できるのだった。
 りょうは、これ気に入ったんなら続き持ってくるね、と言ってマンガを鞄に素早く入れた。それから赤い自転車のハンドルを握り、あ、そうだ、と振り返った。
「今週末、突堤行かない?」
「勉強は?」
「お母さんまた旅行に行くんだってさ」
 猛スピードで坂を下っていくりょうの自転車が、正門の向こうに消えていった。仁寡はグラウンドの端まで歩き、巨大なネットの向こうに広がる街並みを眺めた。同じ形に統一された無数の屋根がどこまでも続いている、ひしめき合った記号のような建物の、そのわずかな隙間を縫うようにして、りょうの赤い自転車が走って行く様子が見える。
 りょうの家は「旧市街地」と呼ばれるエリアにあった。そこはかつてニュータウンとして大々的に埋め立て開発された街だったが、数年前、隣接するエリアにさらなる埋め立てが行われて新市街地が誕生してからは、急速に過疎化が進んでいた。新市街には都市直結の駅が開通し、仁寡の住むタワーマンションを含む広大な住宅エリアが建造され、さらに市役所や消防署、郵便局などの生活インフラも移転したため、人の流れが一気に変わった。そこに追い打ちをかけるように今回の事件が起きた。旧市街も同様に広範囲での地盤沈下の実態があり、古い設計の旧市街の方が危険であるという記事が週刊誌に掲載されたのだった。
 週末、先に港に着いた仁寡は、いつものように堤防の手前に青色の自転車を停め、コンクリートの短い階段を上がって突堤に向かった。今や仁寡が外でりょうと話せるのはこの場所だけだった。二人は時々この場所で待ち合わせて、ジュースやお菓子をつまみながら時間を潰すのが習慣になっていた。
 りょうが髪を切ったのは、りょうが別の自分になるための儀式だったのだと仁寡は思う。ショートボブになったりょうは明るくなり、いじめに屈しなかった。その変化を間近で見ていた仁寡にとって、りょうのショートボブは何かのしるしのように思えた。
 りょうの黒髪が水面に広がっている様を思い浮かべてみる。彼女の髪は波に洗われながら目に見えない水流に躍り、複雑な文様を描いてあっという間に水中に消える。それから少し遅れて泡が立つ。セノーテ、と口に出して言ってみる。
「落ちるよ」
 驚いて顔を上げると、缶ジュースを二つ持ったりょうが立っていた。ジュースを受け取り、プルタブを引くと、すぐに中から無数の炭酸の泡がせり上がってきた。その瞬間、水面に広がったりょうの黒髪が再び脳裏を過った。りょうは仁寡の隣に腰を下ろすとジュースをあっという間に飲み干してしまい、オーバーサイズのスウェットの、その何重にも折った袖口で口元を乱暴にぬぐった。
 二人は突堤の一番先端の部分に座っていた。突堤の縁には今日も数人の釣り人が竿を垂らしていて、仁寡はこんな埋め立て地でも魚がいるのかといつも不思議に思う。仁寡は釣り人から目を離し、りょうに言った。
「今日、ばあちゃんはええん?」
「ヘルパーさん来てるから」
「ばあちゃん、久しぶりに会いたいなあ」
「んー、調子いい日は、普通なんだけどね」
 旧市街の家で一人暮らしをしていたりょうの祖母は、十数年ぶりに帰ってきた娘を複雑な心境で迎えつつ、孫との同居を喜んだ。その際、祖母は貯金を切り崩して築四十年の家にリフォームをかけたが、ほどなく認知症を発症し、今では時々りょうのことが分からない。
 風が強くなり、冷たい気流が肌を刺した。りょうは髪を暴れるままにさせて水平線の先に目をやった。仁寡も同じ方向に視線を向けてみたが、そこにはくすんだ色の海と空があるだけで、見るべきものは何も無かった。時折泡立つ濁った海面を眺めながら、このエリアはまるで場所取りゲームの残りかすのようだと思う。
 海は内海だった。工場誘致と宅地開発のために埋められ、今や漁業はできず、泳げる浜辺もなく、切り立ったコンクリートの陸地の脇にブイが緩慢に揺れているだけの何もない海だった。りょうはしばらくの間水平線を眺めた後、陸の方を振り返り、この突堤からも見える、遠くにそびえ立つ仁寡のマンションに目をやって言った。
「仁寡の家ってさ、塔みたいだよね」
 仁寡はりょうを見た。
「私たちが死んでも、仁寡だけは助かるかもね」
 どこから迷い込んだのか、場違いな海鳥が一羽、頭上を横切っていった。純白の海鳥は突堤を過ぎ、高度を上げ、仁寡のマンションへ向かって飛んでいった。仁寡はすべてが海の底に沈んだあとの世界を想像してみた。あの建物が塔として残された世界。少し斜めに傾いたまま倒れずに、水平線から突き出した塔の、その一番上の部屋。窓の外では白い海鳥が騒がしい鳴き声を立てて旋回する。ほとんどの窓ガラスが割れている。餌を求める海鳥の影が割れたガラスの中で交錯する。やがて世界の終わりのような毒々しい夕陽が海面を覆い、部屋を赤一色に染めてしまう。
「僕だけ助かるっていうのは、嫌やなあ」
「じゃあ一緒に死ぬ?」
 なんでそうなるん、仁寡は思わず笑おうとしたが、りょうの目は笑っていなかった。仁寡は少し怖くなって目を逸らした。また強い風が吹いて髪がりょうの表情を隠した。
 仁寡は足元で蠢く海原に再び目を落とした。無数の風が立ち、泡が起き、砕けていく。りょうとの約束がなければ、本当は海になど来たくない。海はプールとはまるで違う。揺さぶられ、叩きつけられ、弱い者は生き残れない。隣で同じように海原を眺めていたりょうがふと言った。
「やっと中学生だよ。なんでこんなに遅いんだろ。早く大人になりたいなあ」
「大人になって何するん」
「べつに。子供の自分が嫌なだけ」
 りょうのことはまるで分からないと仁寡は思う。反対に、りょうは自分のことを分かってくれているんだろうかと不安になる。何度目かの強い風が髪を逆立たせた時、もう帰ろ、とりょうは暴れる髪を押さえ、鼻の頭に皺を作って言った。

 最後までお読みいただきありがとうございました。続きは「小説TRIPPER」2024年秋号でお楽しみ下さい。