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“他人の言動”も“他人の目”も気になる日本人 理由は「暇だから」?

 職場でもSNSの中でも、他人の言動を過剰に気にする日本人。「自分基準」の生き方を取り戻し、心地よい居場所をつくるために必要なものは何か。90万部を突破した人気シリーズ『頭に来てもアホとは戦うな!』の著者・田村耕太郎さんに聞く。(タイトル写真:撮影/小山幸佑)

田村耕太郎『頭に来てもアホとは戦うな! 賢者の反撃編』(朝日新聞出版)
田村耕太郎『頭に来てもアホとは戦うな! 賢者の反撃編』(朝日新聞出版)

■日本は世界有数の「アホ大国」?

 シンガポールにアホはいない。

 いや、いないこともないが、日本よりはるかに少ない。なぜなら、みんな自分のことに精一杯だからだ。

 ここで言うアホとは、あなたを執拗に怒鳴りつける上司や、あなたのアイデアを横取りする先輩や、あなたの意見を潰そうとする同僚など、不条理な嫌がらせをする人物である。日本社会に蔓延する不条理なアホどもは、他人であるあなたに強い関心を持っている。

 私はシンガポールに移住してから、日本よりも生きるのが楽だと感じる。

 この国の人たちは、他人にあまり関心がない。厳しい競争社会で生き抜くことに必死なので、人のことを気にする余裕がないのだ。だからこの国では、他人に嫌がらせばかりしている暇なアホが少ないのだろう。

 一方、日本は他人のことに異様に関心を持つ人が多い。

 たとえば、有名人の不祥事が報じられると、SNS上ですぐさまインフルエンサーが意見を述べる。すると、一般人も次々と参戦してきて、延々と議論が続くのだ。

 ジャニーズや吉本興業の問題、大谷翔平選手の元通訳の事件のときもそうだった。そんなSNSの論争を見るたびに、「よくそんなに他人の話で盛り上がれるなあ」と、ある意味感心したものだ。

 シンガポール人もゴシップに関心がないわけではないが、何日も議論することなどない。私の見る限り、欧米の人々も同じだ。どうでもいい他人の話で延々と盛り上がれるのは、日本人だけではないだろうか。

 暇にまかせて赤の他人を責めても一銭にもならないのにである。時間とエネルギーの無駄使いなのだ。

「日本は余裕があるなあ」とつくづく思う。それはつまり、アホが生まれやすいということである。アホは暇人だからだ。

田村耕太郎『頭に来てもアホとは戦うな!』(朝日新聞出版)
田村耕太郎『頭に来てもアホとは戦うな!』(朝日新聞出版)

■「他人からどう見られるか」をやめてSNSから距離を置こう

 日本のSNSでは、おしゃれな食べ物やブランド品など、キラキラした私生活を公開している人が多い。明らかに「他人からどう見られるか」を意識した行動だ。

 そういう人を見ると、私は「本当は不幸なんじゃないか?」と勘繰ってしまう。充実した幸せな人生を送っていたら、人の目なんて気にしないはずだ。

 私の知る成功者たちは、そもそもSNSをほとんどしない。まず彼らには暇がない。自慢して反感を買っても仕方ない。加えて、金持ちであるように見えることは、わざわざ敵を増やし、犯罪の対象になりかねない、リスクを増やしているのだ。

 自分のビジネスや家族との人生で頭がいっぱいなので、他人の生活に興味がないし、他人の目も気にしない。だから大金持ちのくせに、いつもTシャツと短パンというラフな服装でいたりする(シンガポールのような南国ならなおさらだ)。金持ちに見えていいことは一つもないことを本当の金持ちは知っている。

 そんな姿で、たとえば高級ホテルの中を歩いていると、日本なら白い眼で見られることもあるだろう。だとしても、彼らはまったく気にしない。「他人の基準」で生きていないからだ。

 他人の基準ではなく、自分の基準で生きられるから、シンガポールは居心地がいいのだ。

 もしあなたが他人からバカにされたとしても、相手はどうせすぐ忘れる。他人の基準で生きるなんてバカらしいことは、やめたほうがいい。

 どうしても他人が気になるという人は、まずSNSから少し距離を置こう。それが「自分の基準」を取り戻す第一歩だ。自分の人生を生きられないとても不幸なことなのだ。