【試し読み】書店員さんから大反響! 精神疾患を抱えた妻の介護と仕事…約20年にわたる苦悩の日々を綴った傑作ルポ『妻はサバイバー』
あとがき
「奥さんの闘病について、連載記事を書いてみませんか」。かつて貧困問題をともに取材した同僚の清川卓史記者(社会保障担当編集委員)から、2017年にそんな提案を受けたことが、この本の発端でした。
そのとき、「やる意味はあるが、実現可能性は極めて低い」というのが率直な思いでした。
患者や家族から見た医療や福祉のあり方、精神障害への偏見。そうした問題について自分の体験を通して提起することは記者として取り組む意味を感じました。しかし、そのためには、妻にとって思い出したくない過去を表に出さざるをえません。彼女が承知するわけがない。そう思いながら、ダメもとで本人に聞いてみたところ、意外な答えが返ってきました。
「ぜひ書いてほしい。私みたいに苦しむ人を減らしたいから」
彼女は続けました。――つらい出来事の後遺症に苦しむ被害者はたくさんいるけれど、私みたいに新聞記者の夫を持つ被害者なんてめったにいないと思うよ。私は書く力はないけれど、あなたは書くのが仕事でしょう。代わりに発信してよ。
私は迷いました。幼少期の虐待もあれば、大人になっての性被害もある。「本当に書いていいの?」。半年ほどの間、そう問いかけを続けましたが、「全部書いて」という彼女の思いはぶれませんでした。私も腹を決めました。
2018年1~6月、清川記者の仲介により朝日新聞デジタルで連載記事「妻はサバイバー」(計6回)を発表。デジタルのページビューが100万近くに達した回もあるなど大きな反響がありました。さらに約4年かけて加筆し、できたのがこの本です。
このルポは妻と私それぞれの悪戦苦闘をありのままに報告したものにすぎません。彼女に対する私のサポートはそのままモデルにできるものではなく、むしろ反面教師にしてほしいところもあります。
描いた内容は、「都市部に住む正社員の男性」という限られた視点から見えた光景です。これが仮に「地方に住む非正社員の女性」が精神障害の男性を支えるかたちであれば、まったく違った光景が見えるはずです。医療機関や福祉サービスの選択肢はより少なく、お金や時間のやりくりはより厳しく、当事者からの暴力はいっそう重くのしかかったでしょう。今の日本社会ではむしろ後者のケースの方が多いかもしれません。
本人の最も近くにいるとはいえ私の立場は伴走者でしかなく、当事者である妻の内面をどれほど理解できたかもわかりません。そうしたルポの限界を踏まえたうえで、似た状況にあって困っている方の参考にしていただくとともに、心病む人が生きやすい社会についてともに考えてくだされば幸甚です。
新聞記者は本来、取材対象との間に適切な距離をおくのが鉄則です。今回、私生活について自分の内面まで踏み込んで文字にするのは気が重い作業でした。途中までは妻の飲酒がやまず、一時は出版をあきらめました。
折れそうになる気持ちを支えてくれたのは、職場の仲間たちでした。朝日新聞デジタルの連載中、私より若い世代、とりわけ女性記者が好意的な反応をくれたことは励みになりました。かつて、ある精神科医から「今の朝日新聞には文句を言いたいこともあるが、あなたに記者を続けさせている点は高く評価したい」と言われたことがあります。こんなにややこしい事情を抱えた記者が仕事を続けていられるのは仲間の助けがあるからです。
執筆の時間や精神的余力を確保できたのは、医療スタッフやホームヘルパーら専門職の皆さんの力が欠かせませんでした。妻本人と信頼関係を結んでくださっていることはもちろん、「家族のサポートも仕事です」と私のことも気遣ってくれます。この場を借りてお礼申し上げます。
取材にあたっては、何人かの専門家にご協力いただきました。わけても、心理療法「ホログラフィートーク」で知られる心理士の嶺輝子さんと国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長の松本俊彦さんには、お忙しいなか、たびたび貴重な知見をいただきました。深謝の意を表します。
そして、連載の書籍化を提案してくださった朝日新聞出版の四本倫子さん、4年間にわたる励ましと助言をありがとうございました。
この原稿を自宅で書いていると、妻が歌うCoCoの「夢だけ見てる」が聞こえてきました。午後の日差しのなか、今日も「ひとりライブ」で盛り上がっています。まもなく私は夕食の準備をしなければなりません。
彼女と一緒になったおかげで、こんな穏やかな日常がかけがえのないことだと知ることができました。
この本は私の単著のかたちをとっていますが、妻と2人でつくりあげたものです。彼女が苦難を生き抜き、私の背中を押してくれなければ、生まれなかった作品です。彼女への感謝は言葉に尽くせません。
本当にありがとう。これからも共に生きようね。