見出し画像

難民キャンプの疲れ切った少女が一瞬、微笑んだのはなぜ…写真家・長倉洋海が子どもを撮り始めたきっかけは?

 これまで68カ国を訪れ、世界中の紛争地やアマゾンなどの辺境の地を中心に取材を続けてきたフォトジャーナリストの長倉洋海さん。彼が子どもたちを撮るようになったのは、ある少女を目にしたことがきっかけだった。各地の子どもたちのいきいきとした姿を集めた写真集『元気? 世界の子どもたちへ』(朝日新聞出版)に掲載されたインタビューを、抜粋して紹介する。

 世界中のどこへ行っても、最初にぼくを受け入れてくれるのは、子どもたちでした。1980年代、激しい内戦が続き、多くの人が難民となった中央アメリカ・エルサルバドルでも、市場や下町で子どもたちに「やぁ、元気?」と声をかけると、興味津々、笑顔で近寄ってきてくれました。

「写真を撮ってもいい?」

 言葉が分からなかったとしても、しゃがみ込んで目線を合わせ、身振り手振りするだけで“会話”ができます。楽しいときにアハハと笑い、悲しかったら涙を浮かべ、ガッカリしたら肩を落とし、心の中のありのままの様子を見せるようにしていたら、子どもたちはいつの間にかぼくを仲間として受け入れてくれるようになりました。

 再び訪れたときには、撮らせてもらった写真を持って子どもたちのもとを訪ねると「わぁー!」と大喜びしてくれ、お互いの心の距離がぐっと縮まります。

シラカバが立ちならぶシルクロードの旧街道をロバ車で帰路につく=2009年、中国・新疆ウイグル自治区(撮影/長倉洋海)

「ヒロミ、面白いものがあるよ! こっちに来て!」

 ぼくの手を引いて友だちに紹介してくれたり、住んでいる家や自分が好きな場所を案内してくれたりします。

 最初は警戒して遠巻きに見ていた大人たちも、子どもたちの様子を見て、ぼくに心を開いてくれるようになりました。国境や民族、年齢、性別など大人の世界を隔てている壁が、子どもたちにはないのです。

 訪れるたびに子どもたちの知らなかったさまざまな表情を発見できました。その間にも子どもたちはどんどん成長していきました。エルサルバドルの難民キャンプで1982年に出会った3歳の少女ヘスースは現在44歳。あれから夜間学校に通い、農園の仕事に就いて、やがて結婚し、3人の子を持つ母親になりました。そんな子どもたちが、ぼくが撮った写真を、自分の成長や家族の記録として大事に持っていてくれるのを見ると、とてもうれしい気持ちになります。

 コソボ紛争(1998~99年)では、家を焼かれ一族36人で共同生活をしていたクラスニーチェ家の長男・ザビットの家族に惹かれて撮影しました。4年ぶりに訪れると、一家はトラックの荷台で生活しながら家を建て始めていました。最初に訪れたときには、井戸の中に遺体が折り重なっていたり、家族の遺体を掘り起こしている人がいたり、悲惨な状況でしたが、訪れるごとに厳しかった状況も少しずつ変わっていきました。

完成間近の家の前で馬の世話をするベジール=2003年、コソボ(撮影/長倉洋海)

 一方で、最初の頃と変わらないものもあります。ヘスースは今も幼い頃と同じように相手 の気持ちを和らげてくれるヒマワリのような笑顔を見せてくれていますし、ザビットの一家は小さな家にみんなで仲良く暮らしています。そんな姿にぼくはいつも心が満たされます。

「どうしてぼくだけ…」子どもを撮るきっかけに幼少期の記憶

 1980年、戦場カメラマンを目指していた20代のころです。エチオピアの戦火を逃れソマリアにやってきた難民がいるキャンプを訪れたことがあります。

 強い日差しが照りつける中で、国境からトラックで難民キャンプに移送されてきて疲れ切って地面に座り込んでいた少女を見つけ、ぼくはカメラを向けたのです。その間、想像していなかったことが起きました。その子がこちらを見てほほ笑んだのです。

 どんなにつらい中でも、写真を撮られるなら少しでも元気な自分を見せたい。そんな気持ちだったのでしょうか。それからは紛争地帯でもただ悲しんでいるだけじゃなく、少しでも彼らの心に迫る写真を撮りたいと思うようになりました。

 ぼくが撮るのは、思ってもいなかった表情や姿を見せてくれる人々の写真です。なかでも子どもたちが遠くを見るような表情やフッとため息をつく大人のような表情に心惹かれます。子どもたちがいつも元気で明るいばかりではなく、しんどいところもあるんだなと、知ることができるからです。

 ぼくが子どもを撮るきっかけになったのは、最初に訪れたエルサルバドルの首都の中央市場でした。一生懸命に露店で母親を手伝って働く子どもたちを見てからです。ぼくが幼い頃、家は商店をしていたので、親と一緒に市場に買い出しに行ったり、店の番をしたりしていました。でも「どうして手伝わないといけないの。みんな遊んでいるのに、どうしてぼくだけ……」と思っていたのです。そんな自分と随分違うなあと感心させられました。

内戦が終わり、平和になったエルサルバドル。市場で働く子どもの姿は減りました=2001年、エルサルバドル(撮影/長倉洋海)

 市場で働く子どもたちは客に野菜や果物を売っては母親のところに戻って売り上げたお金を渡し、また次の商品を手にすると元気に駆け出していくのです。

 紛争地帯や辺境の地でも「ぼくならつらくてめげてしまうだろうな」と思ってしまうようなシーンがたくさんありました。でも、ぼくが出会った子もたちは下を向いてメソメソするんじゃなく、「負けないぞ」というように踏ん張っていました。そんな姿に、ぼくはたくさんのシャッターを切ってきたのです。

 つらいことや悲しいことは、私たちにもあるはずです。でも、何とか乗り越えようとする。その姿が「とても素敵で美しいんだ」とも思うようになりました。

「人は人と出会って過去の自分も今の自分も見えてくるんだ」と思うようにもなりました。写真界のトップに立って「世界のナガクラ」と評価されることを夢見ていましたが、今は「長倉洋海にしか撮れない写真」を目指しています。

(取材・構成/生活・文化編集部 金城珠代)