リベリアで出会った娼婦は200円で客を取り、150円のご飯を食べる…悲惨か幸福かを決めるものとは? <武田砂鉄×上出遼平対談>
『わかりやすさの罪』の武田砂鉄と、『ハイパーハードボイルドグルメリポート』の上出遼平による初の対談。「テレビ的なもの」を疑いながら、わかりやすさに抗う物書きに、テレビの境界ぎりぎりを攻めるテレビマンはどう挑むのか。全5回でお届けする。
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上出:ぼくは、武田さんの『わかりやすさの罪』を読んで、絶対に戦っちゃいけない相手に真っ向勝負を挑んでいる感じがしたんですよ。つまり「わかりやすさ」というものに対して。
武田:戦っちゃいけない相手、ですか。
上出:ぼくは、わかりやすさに抗っても勝ち目がないと思っていたので、そこに言及することを避けていたんです。「わかりやすすぎるのはエンターテインメントとしてつまんなくないですか」という方向に逃げていた。だって、ぼくたちは何かを伝える仕事をしているわけですけど、この世界は複雑怪奇にできていますよね。それを伝えようと思ったら、わかりやすくする作業とは切っても切れないじゃないですか。そもそも言葉だって、世界をわかりやすく理解するために生まれたようなもので。
武田:この本自体が矛盾している、という自覚があります。なぜって、「わかりやすさばかりを求めるのって罪なんだよ」ということを、どうしたらわかりやすく伝えられるかをやったわけですから。わかりやすさを論じることへの自分なりの戸惑いもあれば、いまさらそんなことを言わなくてもいいだろうという恥じらいもそのまま混ぜながら、思考をアメーバ状に広げていきました。
上出:わかりやすくするのはサービスの本質でもあるじゃないですか。お客さんに頭を使わせないようにして、負担を減らすという。市場原理に投じたら、わかりやすくすることは当然の帰結というか、そこから逃れられないですよね。
武田:自分と上出さんの大きな違いは、上出さんはテレビを作る側で、自分は見る側です。本来であれば、あまりにわかりやすすぎるものを見たときに、こちら=テレビを見る側が「ちょっとなんだこれ、視聴者をなめんなよ!」って怒らなきゃいけないんですよね。作る側は、こっちを見て番組を作っているわけだから。
<あなたの考えていることがちっともわからないという複雑性が、文化も政治も、個人も集団も豊かにする。>(『わかりやすさの罪』より)
上出:でも結局、作り手からすれば数の話になってきちゃうんですよね。1万人が「なめんなよ」と言っても、100万人が「わかりやすい最高!」と言ったら、そっちに流れてしまう。
武田:こうやって文章を書く行為なんてのは、テレビに比べれば隅っこでの細かな活動になりますが、テレビについて「ここまで単純化していいのかな」と、草の根的に言うしかない、とは思ってますね。
上出:はがゆいですよね。つまんないんですよ、作ってても。テレビ東京には、市井の人々を取材してVTRを作る番組が多いんですけど、想定外のできごとへ飛んでいくからおもしろいはずなのに、編集の段階でわかりやすい物語に加工されてしまうことがあります。多くの視聴者は「待ってました」と喜んでくれるかもしれないけど、それで「よかったね」で終わらせてしまっては、作り手としても刺激がないし、成長がない。
武田:「ハイパーハードボイルドグルメリポート」は、テロップをシンプルにしたり、ボイスオーバー(外国語に日本語の音声をかぶせること)をしていなかったり、とにかく、なにかと抑制している感じがします。
上出:情報量としては、一般的なテレビ番組の倍ぐらい詰まっているんですよ。というのは、普通テレビ番組を作るとき、ドキュメントの中でも何か現象が起こったら、同じものを三脚を立ててきれいに撮り直して、ナレーションをつけて説明してから、次の場面に進むんです。それぐらい丁寧なんですけど、ぼくのはそれを全部なくしているんです。だから、情報が多い分わかりづらいというか、丁寧ではないですね。
武田:「ハイパー」の初回で、リベリアに行かれていますよね。そこで上出さんはある娼婦に出会い、彼女が客を探すのについていく。彼女が対価として一人の男性から得た金額が200円。その後、立ち寄った食堂で食べたスープとライスのセットが150円。それを見て多くの人は「200円、安いな。150円、高いな」と思うはず。でも、上出さんはそこに意味づけをしません。値段をことさら強調して、「この悲惨な現実……」などナレーションをつけることもできるけど、それをしたくないわけですね。
上出:そうなんです。ぼくはやっぱり、悲惨だって思っていないんですよ。その値段のバランスはすさまじいなと思うんですけど、悲惨かどうかはぼくが判断できることじゃない。彼女は働いてお金を稼ぎ、彼女の稼ぎからしたらバカ高いであろう食事をうまそうに食ってしあわせだって言っているんで、そこに「非常に不幸な状況です」というナレーションをあてるのは不誠実だし、あの番組では、それだけはしたくないんです。
<咀嚼するうちから、ラフテーの顔に至福の表情が浮かんだ。僕はこの表情を見たかったのだ、と思った。こんな表情をたくさん撮りたくて、わざわざこんな遠くまでやって来たのだ。>(『ハイパーハードボイルドグルメリポート』より)
武田:何を悲惨と思うかは人それぞれです。見る方も問われる。「うん、でも、彼女の人生は彼女の人生で、とっても素晴らしいよ」なんて軽々しく肯定するのもよろしくない。
上出:映像の作り手としては、悲惨か悲惨じゃないか、しあわせかしあわせじゃないか、人によって受け取り方が違うことが、豊かなコンテンツであることを示すのではないかと思ったりしていました。
武田:上出さんが撮ってきた彼女の姿を見て何を感じるかは、視聴者にあずけられる。つまり、わからないまま、差し出される。この感じがとても貴重です。今は、意味をやたらと明確にして、「わかる」という状態の固形物で差し出さないと、情報を食べてくれない。本当は、そうやって確固たる形にする過程で「捏造」「過剰」などの成分が混じっていないか、疑ってかからなければいけない。でも、「わかる」固形物を欲するんです。
上出:「ハイパー」の中でもわからないことに対するストレスに相当直面しましたが、特にロシアのある宗教の信者が暮らす村を取材したときは、彼らはわからないことから解放されようとしてここにいるんじゃないかということを強く思ったんですよ。日本人はわからないことと向き合う手立てを持っていないような気がする。宗教が弱いということはあるのかなという気がしますが……日本に特有のことなのかな。
(構成/長瀬千雅)
第2回<「コミュ力ある人」はむしろ悪人ではないだろうか>へつづく(全5回)
■武田砂鉄(たけだ・さてつ)
1982年、東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年からフリーライターに。新聞への寄稿や、週刊誌、文芸誌、ファッション誌など幅広いメディアで連載を多数執筆するほか、ラジオ番組のパーソナリティとしても活躍。9月28日スタートの新番組『アシタノカレッジ』(TBSラジオ、月~金、22時~)の金曜パーソナリティを務める。
■上出遼平(かみで・りょうへい)
1989年、東京都生まれ。2011年株式会社テレビ東京に入社。『ハイパーハードボイルドグルメリポート』シリーズの企画、演出、撮影、編集まで番組制作の全課程を担う。空いた時間は山歩き。