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おおたわ史絵・中野信子が語る依存症「やめたいんだったら死ぬしかない」と思っていた…

麻薬性鎮痛剤の依存症だった母に薬を与えていた父。高校生の娘が帰るのは、使いまわした注射器が散らばった家だった……。
 おおたわ史絵さんの著書『母を捨てるということ』(2020年、朝日新聞出版)には、これまで誰にも明かしてこなかった家族の歴史がつづられている。そのなかに「誤解」という見出しがある。依存症、なかでも薬物依存症は偏見をもって語られることが多い。依存症に陥った母を最も近くで見つづけてきたおおたわさんは、その誤解が依存症からの回復の妨げになっているという。脳科学者の中野信子さんとの特別対談は、「世間が思う依存症と、その実態とのギャップ」からはじまった。(写真撮影/掛祥葉子)

おおたわ史絵著『母を捨てるということ』(朝日新聞出版)
おおたわ史絵著『母を捨てるということ』(朝日新聞出版)

おおたわ:依存症とひと言でいっても幅が広くて、もっとも有名なのはアルコール依存症です。あとはギャンブル、薬物、セックス、万引き。DVなどは暴力の依存ですし、最近では痴漢や盗撮なども依存症の側面があるといわれています。何に依存するにしても、だいたいは「意志が弱いからなる」「それだけ気持ちいいからやめられないんだ」と思われてしまう。それは結局、本人がダメな人間だ、家族が甘やかしたせいだという考えにもつながります。依存症というもの自体が、まだまだ理解されていないと感じます。

中野:性格の問題にされがちですよね。意志でどうにかできるのなら、依存症の人はいまよりずっと少ないはずです。私はここが日本の科学教育の残念なところだと思っているのですが、もっと脳の仕組みを理解する必要があります。脳の仕組みを知っていれば、自分の意志以上の強い力が働くから、依存「症」として扱うのだとわかります。

おおたわ:誤解しているうちは家族や周囲も「なんとかやめさせなくちゃ!」ってなりますよね。そうするほど悪循環にはまってしまうのですが。

中野:ドーパミン(神経伝達物質のひとつで、これが出ると人は「気持ちいい」と感じる)の影響力は凄まじいですね。ドーパミンがたくさん出ている状態を脳が覚えてしまったうえに、その受容体が増えてしまうと、ちょっとの刺激では物足りなくなる。その刺激なしでは生きていけなくなるし、「もっと欲しいもっと欲しい」という欲求で頭がいっぱいになり、ほかのことが考えられなくなる……。

おおたわ:母は鎮痛剤への依存だったということもあり、私はその渦中にいるときから誰にも共感してもらえないと思っていたし、誰かに相談するという発想もありませんでした。ウチにかぎらず、だいたいの家庭では家族に依存症者がいればそれを“恥部”だと思い、隠そうとします。そのうち金銭トラブルが相次いで借金苦になったり、そこから家庭内の空気が悪くなって暴力が起きたり。子どもも「外で言っちゃダメ」という空気を察するんですね。

中野:おおたわさんとお父さまも、依存症専門の医療機関につながるまで長い時間がかかりましたよね。

おおたわ史絵さん(撮影/掛祥葉子)

おおたわ:隠すのではなく、「わが家はこういう状態にあるんだ」といえるような、風通しのよさが大事なんです。そうすると、家族が家族会などにつながることができます。アメリカでは特にアルコール依存症に関する教育が進んでいて、『かぞくがのみすぎたら』という子ども向けの絵本もあって、「うちの家族は依存症だ」と知ることのできる環境があります。学校でもアルコール依存症とはどういうものかを知る授業があるそうですね。日本にもそうした教育があっていいのではないかと思います。

中野:楽しいと感じている時の脳の仕組みを教える機会がないですよね。その利点と危険についてはなおさら、伝えられていないなと反省しています。子どもにとってはゲームなどが身近な存在ですが……。

おおたわ:ゲーム依存症も、国際疾病分類である「ICD-11」に分類されたんですよ。

中野:「ゲームに夢中になりすぎて、自分で払えないくらい課金しちゃったことはある?」という、子どもにもわかりやすい聞き方をして、依存症について考えるきっかけとなるような授業があってもいいですね。

おおたわ:『母を~』では、埼玉県立精神医療センター副病院長の成瀬暢也さんが唱えられれている、依存症に陥りやすい人の6つの特徴を紹介しました。

(1)自己評価が低く自分に自信が持てない
(2)人を信じられない
(3)本音を言えない
(4)見捨てられる不安が強い
(5)孤独で寂しい
(6)自分を大切にできない

 こういう素養を持っていてもそれがより強化されない環境であれば、その人はもしかしたら依存症にならないで済むかもしれない、とは思うんです。ただ依存症になるきっかけは身近なところにあふれていますし、たまたま自分の鍵穴にドンピシャではまるものと出会ってしまい、ドーパミンの歯車がひとたび回りだすと、自分で止められるものではなくなります。当然、家族も無理です。愛とか正義とかじゃ太刀打ちはできないものなんです。

中野:もうどんな嘘をついてでも、人間関係を裏切ってでも、欲求はおさまらないんですよね。

おおたわ:ありとあらゆる手を使いますよ。でも、罪悪感は残っているからそのたびに自分を嫌いになっていくんです。自分を責め、つらくなり、それを埋めるためにまた刺激が必要になる……。

中野信子さん(撮影/掛祥葉子)

中野:生きているかぎり、それがつづくんですね。

おおたわ:やめたいんだったら死ぬしかない、とまで思い詰めてしまうんですよね。母の依存症に父と関わるなかで、私は子どものころから「この三人のなかで先に死んだ人が、いちばん早く楽になれるんだなぁ」と思っていました。2003年に父が76歳で他界したときには「ああ、ずるいなぁ」と思ったものです。

中野:人は何のために生きるんだろう? と考えさせられます。依存症からの回復では、「今日はやらなくて済んだ」「今日一日、大丈夫だった」と積み重ねていくことが重要だと聞きますね。

おおたわ:依存症をやめるには、それしかないんですよね。終わりがない。
でもその「今日1日やらなかった」ということが、達成感になるんですよ。私は、人間を幸せにするものは成功体験しかないと思っているんですけど、「今日やらなかった自分はすごいぞ」という思いが、次の自分につながっていきます。

中野:おおたわさんは今、刑務所で受刑者を診察するお仕事をされているのですよね。そこにも依存症の問題を抱えた人が多いのではないですか?

おおたわ:刑務所などの矯正施設において受刑者を診察したり健康管理したりする「矯正医療」に非常勤医師として携わっています。依存症の患者さん、刑務所の中にも外の世界にもたくさんいますよ。でも私は彼らに「やめなさい」とは一度もいわないんです。そういったところで、やめられないですから。「やめたいんだったら、やめれば?」ぐらいにいっておくと、やめられる人が出てきます。私はそのたびに必ず褒めることにしています。「本当にやめたんだね。すごいよね」って。50歳や60歳にもなると、誰かに褒めてもらえることってないんですよ。だから、それが私の仕事だと思っています。彼らの人生の責任を取ってあげることはできないけど。褒めてあげることくらいはできる。そして「次に来たときも、やめていられるといいね。じゃあまた来月ね」といって、帰ってもらうんです。

(構成/三浦ゆえ)