『男装の天才琵琶師 鶴田錦史の生涯』の著者・佐宮圭さんが刊行エッセイで明かした、ノンフィクションの裏側
ジェンダーの呪縛も固定観念の壁も突破する
「鶴田錦史」をご存知の方は少ないと思います。私も伝記の執筆を依頼されるまで知りませんでした。
半年前の2024年2月6日、世界的指揮者の小澤征爾さんが亡くなられました。彼の名を初めて広く世界に知らしめたのは、1967年11月、ニューヨーク・フィルハーモニックの創立125周年記念公演での『ノヴェンバー・ステップス』の初演。32歳の若きマエストロは、30代半ばの新進気鋭の作曲家・武満徹の難解な現代曲を見事に指揮して、大きな成功を収めます。このとき琵琶のソリストを務めたのが鶴田錦史です。
欧米での「琵琶・鶴田錦史、尺八・横山勝也」による『ノヴェンバー・ステップス』の演奏は優に100回を超え、1985年、鶴田はフランスの芸術文化勲章コマンドールを受けます。
その翌年1月には、世界中に熱烈なファンを持つジャズピアニストのキース・ジャレットと共演しました。
ですから、音楽愛好家の中には「鶴田錦史」の名前をご存知の方も珍しくありません。しかし、鶴田錦史が女性だと知る人はほとんどいません。写真や映像で見る彼女は、オールバックに鼈甲縁のサングラスをかけた強面。普段は3つ揃いのスーツ、演奏時は紋付袴姿で、〝音楽家〟というよりも〝名のある組の親分〟に見えました。
彼女の人生を簡単な箇条書きにまとめてみましょう。
幼い頃から天才琵琶師として活躍
20代半ばに結婚、出産、離婚を経験
2 人の子どもを手放し、琵琶の仕事も辞める
水商売でのし上がり、財を成す
東京大空襲ですべてを焼かれる
終戦直後、裸一貫で別府に乗り込む
女の人生を捨て、男装してビジネスに邁進
著名人の集まる伝説のナイトクラブを誕生させる
毎年、「高額納税者」として新聞に掲載される
資産家となるも、50歳で実業界を引退
男装の琵琶師として邦楽界にカムバック
55歳で音楽家として世界的名声を得る
これだけ波瀾万丈な人生を駆け抜けた傑物なので、海外だけでなく、日本でも有名になっていて当然と言えます。けれども実際には、その名はほとんど知られていません。
このような不自然な状況に陥った背景には、主に2 つの理由が考えられます。
1つ目は、クラシックやジャズとの共演など、鶴田錦史の縦横無尽の音楽活動が邦楽の枠に収まりきらず、結果、正当な評価が得られなかったから。
2 つ目は、自分の思いを叶えるため、ジェンダーによる呪縛さえも超える鶴田錦史の奔放な生き方が、伝統を重んじる邦楽界では歓迎されず、彼女の没後、その異色の存在自体がタブー視されるようになったからです。
私は思いました。伝記を書いて、「鶴田キクヱ(本名。のちに戸籍も雅号〈琵琶の芸名〉の「錦史」に変える)」という一人の女性の生き様を伝えることで、過酷な運命に虐げられても、立ち上がり、戦い続ける人たちにささやかなエールを送れるのではないか、と。
執筆中、非常に重要な証言者を突然の死で失い、この伝記執筆の依頼者が失踪して音信不通になるなどのアクシデントを乗り越え、11年の歳月を費やして、2011年11月、第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞作として鶴田錦史の伝記『さわり』を上梓できました。
それからさらに10数年の歳月が流れて、女性を取り巻く環境は大きく変わりました。ジェンダーに関する悩みをタブー視する風潮は弱まり、オープンに語り合えるテーマとなりました。その一方で、自らの思いのままに生きることが、より難しい時代にもなっています。
自由に対する寛容さもゆとりもない、閉塞感に満ちた世の中で、それでも希望を捨てずに歩み続ける人たちにこそ、鶴田錦史の生き方がなんらかの励みやヒントになるのではないか―――そう考えた私は『さわり』を今の時代に合わせて書き直すことにしました。
こうして『さわり』の全面改訂文庫版『男装の天才琵琶師 鶴田錦史の生涯』が出版される運びとなりました。
冒頭では『ノヴェンバー・ステップス』の初演の様子を再現。終盤では、武満氏、鶴田氏、横山氏、そして小澤氏の四人がこの名曲をいかにして創り上げたか、そのプロセスを詳細に記すことで、日本が世界に誇るマエストロへの哀悼の意も込めさせていただきました。
鶴田錦史と同じく「生きる」ことに真摯に向き合っておられる方に読んでいただければ幸甚です。