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「進化」の反対は本当に「退化」?「教科書が正しい」と思っている人が陥る思考の罠

 人は知らず知らずのうちに思考の枠にはまってしまうものだ。「探究型学習」の第一人者である矢萩邦彦さんは、著書『自分で考える力を鍛える 正解のない教室』(朝日新聞出版)の中で、自らの「思考の枠」を知るために「対義語」の例を挙げていいる。それはいったい、どんなものなのか。本から抜粋して紹介したい。(タイトル画像:robypangy / iStock / Getty Images Plus)

矢萩邦彦著『自分で考える力を鍛える 正解のない教室』(朝日新聞出版)
矢萩邦彦著『自分で考える力を鍛える 正解のない教室』(朝日新聞出版)

 同じ意味の言葉を「同義語」、反対の意味の言葉を「対義語」といいます。ものごとを比べたり、選択したり、その判断を誰かに説得力を持って伝えるためには<軸>が必要です。「寒い」の対義語は「暑い」で、そのふたつの状態をつないだものが軸になります。<軸>のイメージが共有できれば格段に伝わりやすくなります。

 一方で「お金か友情か?」みたいな問いは、あまり意味を成しません。同軸上に乗せられるようなものではないからです。「私と仕事、どっちが大事なの?」とか「芸術と地球環境と、どちらを保護すべきか?」のような問いも軸がないうえに抽象度もそろっていないので、ナンセンスです。

 お金がないと生活できないけれど、友情はなくてもなんとかなる、といわれてもモヤモヤするのは軸がイメージできず論理的に判断できないからなんです。共有しやすい軸を設定するためには、対義語が有効です。

 では、「進化」の対義語は何でしょうか?どの世代に質問しても「退化」という回答が大半です。本当にそうでしょうか。まず、前提から確認していきたいと思います。

「進化」はもともと生物学の用語で、生物が環境に合わせて望ましい状態に変化していくことを指します。たとえば、地殻変動で深海に移り棲んだ生物が、光が届かないために目の機能を維持するとエネルギーのムダが多いので目が「退化」したとします。

 でも、それって環境に適応した結果ですから「進化」ですよね。より望ましい状態へ変化したわけです。

 つまり「退化」は、「進化」の一種なんです。だとすると、「進化」の本来の対義語はなんでしょうか? 考えられるのは「停滞」や「不変」「不易」などです。環境が変化しているのに、適応しない、変化しない、そういう状態を指す言葉のほうがしっくりきます。

 ではなぜ、ぼくたちは瞬発的に「退化」だと思ってしまったのでしょうか? そこには、ぼくたちの自由な思考を邪魔しているあるものが関係しています。

 その代表が教科書です。国語の教科書や資料集などで、「進化」の対義語は「退化」だと習っているんですね。しかし、そもそも「進化」というのはダーウィンの『進化論』が日本に紹介された際につくられた生物学の造語です。

 それを、なぜか国語という教科のなかで、深く考えずに覚え込んでしまっているのです。国語のテストで「進化」の対義語を「停滞」と解答すればバツになってしまいます。学校の影響力というのは案外大きいもので、この問いを理科を教えている先生にしてみても、「退化」と答える人が多いのです。

 では、改めて前提を整理して「進化」の対義語を考えると、「国語においては退化で、生物学においては停滞や不変」ということになります。前提が変われば当然、答えも変わる可能性があるわけです。そういう視点を持っておくことも、さまざまな分野をつなげて学ぶリベラルアーツの基礎だといえます。

 もうすこし考えてみましょう。

「平和」の対義語はなんでしょうか? 国語の教科書的には「戦争」です。でも「平和」はもっと広い、社会的なテーマですね。世界平和を目指す最も大きな組織の一つ国際連合は、「戦争」「紛争」はもちろん、「貧困」や「格差」、「差別」や「植民地」をなくすことを目的としています。つまり、それらはすべて「平和」の対義語だといえそうです。

 もちろん、もっと身の回りに目を向けて、「いじめ」や「虐待」、「犯罪」や「事故」などもそうですね。戦後、日本国憲法やいまの教科書のもとができたころには、誰もが「戦争」状態でないことこそが「平和」だ、という感覚だったことは想像できますが、時代によっても対義語は変わっていく可能性があります。

 文化人類学者レヴィ=ストロースは、「人間は常に二項対立を使って思考する」と言っています。つまり、ぼくたちがものごとを考えるときには、対義語のような対立する概念を軸にしているというんですね。

 対義語は、意味の全体が正反対になっているように見えるのですが、じつは意味のほとんどは同じで、ある部分だけが反対になっています。反対の意味ではなく、同じ意味のある部分が反対なんです。だから軸にできる。

 たとえば、「太い」「細い」という対義語は、両方とも線の幅や棒状のものの断面積について表す言葉です。「進化」「退化」「停滞」も生物の環境による変化について、「平和」「戦争」「貧困」「差別」も世の中の状態について考えるための軸だといえます。

 ここで大事なのは、軸の両端はなだらかにつながっているということです。ものごとにはたいてい<あいだ>があります。戦争でなければ平和だということではありません。どのような前提と条件のときに、どんな軸で考えると、どのような状態か、というふうに分析することで、理解したり、記述したり、誰かに伝えやすくなったりするわけです。

矢萩邦彦(やはぎ・くにひこ)
「知窓学舎」塾長、実践教育ジャーナリスト、多摩大学大学院客員教授。大手予備校などで中学受験の講師として20年勤めた後、2014年「探究×受験」を実践する統合型学習塾「知窓学舎」を創設。実際に中学・高校や大学院で行っている「リベラルアーツ」の授業をベースにした『自分で考える力を鍛える 正解のない教室』(朝日新聞出版)を3月20日に発売

(構成:教育エディター・江口祐子/生活・文化編集部)