同情や憐れみよりも「Yのような小学生が存在したという事実」に圧倒された ノンフィクション作家・山田清機が描くドヤ街「寿町」の今
ある夕方、ひとりの青年が横浜市街を見下ろす公園の高台に腰をかけて、暮れてゆく街の景色を眺めていた。
所持金はほとんどない。食事をしていない。もちろん、仕事もない。高台に設置された水道で腹を満たしたら簡宿(簡易宿泊所の略)に戻るしかなかったが、戻ったところで何かが待っているわけでもなかった。
途方に暮れて、それでもとぼとぼと階段を下っていくと、下からひとりの女性が階段を上がってくるのが見えた。ふっくらとした体形の初老の女性である。妙に厚着をしている。
なぜか女性はまっすぐに階段を上らずに、青年の方にぐんぐんと近寄ってきた。
「あんた、いい体してるね」
女性はいきなり青年の体に触れてきた。それも、あからさまになで回すような強引な触り方だ。明らかに怪しい人物に違いなかったが、青年は拒否をしなかった。拒否をしなかったどころか、高台に戻り女性に求められるままに体を与えてしまった。その後、近くの雑居ビルの非常階段の踊り場に連れていかれて、再び女性に体を奪われている。
なぜ、抵抗もせずにそんなことを許してしまったのか。
「普通の人じゃないと思ったし、体目当てであることもわかっていましたけれど、声をかけてくれるだけで僕には貴重な人だったんです」
それが、青年の初体験になった。
青年の名前は、Yという。1999年の4月21日に神奈川県の川崎市で生まれたらしい。らしいというのは、本人にも確信がないからで、母親が所持していた母子手帳をこっそり覗いたときに「川崎市」と書いてあったから、たぶんそうだろうというあやふやさである。
母子手帳にはたしかに「出生の場所」という欄があるから、川崎生まれであることは間違いないのだろうが、川崎の何区なのか、何病院で生まれたのか、4月21日の何時頃生まれたのか、Yは自分の出生に関する情報をほとんど持っていない。
現在Yは寿町の扇荘新館で暮らしている。この簡宿のことを「いまの家」と呼ぶ。いまの家・扇荘新館の帳場には、強面の岡本相大という人物が閻魔大王のごとく陣取って、出入りする人々に睨みを利かせている。
Yを紹介してくれたのはこの岡本なのだが、いま、Yと岡本の間にはちょっとしたコンフリクトがあって、あまりうまくいっていないようだった。
Yへのインタビューは都合2回。1回当たり3時間強の話を聞いたから合計で7時間近くになったが、2度目のインタビューの際には、帳場の前でYを待っていた私の目の前で、岡本がYを怒鳴り飛ばした。
「人を待たせてるんだから、早く行けよ!」
岡本の大音声に気圧されて、Yは棒立ちになってしまった。
岡本の怒りの理由もわからなくはないのだが、Yの生い立ちを聞けばYにも同情の余地はある。どちらの肩を持つにせよ、ひとつだけはっきり言えるのは、Yが生きるか死ぬかのギリギリの地点で岡本に出会ったということである。
Yは川崎で生まれた後、同じ神奈川県の相模原や伊勢原界隈を転々として暮らしていたらしい。
両親はYが幼いうちに離婚しており、Yは父親の顔を知らない。顔どころか、高校に入るまで名前すら知らなかった。
ところが、実の父親を知らなかったにもかかわらず、Yの周囲には成人の男性が何人も、いや、ひょっとすると何十人も存在した。
「小学校3年になるまで、母がつき合う男性が変わる度にアパートを替わったり、男の家に居候をしたりして暮らしていました。その度に転校するのですが、同じ学校に1カ月通えればいい方で、だいたい2週間ぐらいで転校をするのが普通でした。だから、クラスで自己紹介をして2週間たつと、もうお別れ会なんです。もちろん友だちなんてできないし、毎回、誰ともしゃべらないうちに転校になっちゃって……」
Yは自嘲のような、それでいてどこか他人事のような口調で小学校時代の生活について語る。家財道具はほとんど持っていなかったが、新しい住居には必ず見知らぬ男がいた。
男の目当ては母親だったからYには何の関心もなく、Yはただ母親にくっついているもの、母親の付随物に過ぎなかった。
Yの表現を借りれば、
「金魚の糞」
だった。糞には積極的に関わってこなかったから、小学校と同様、Yは男たちと会話を交わすことはなく、何らかの関係を結ぶこともなかった。見知らぬ男のいる部屋の片隅で、いつも息を殺して生活していた。いや、棲息していたという方がしっくりくるかもしれない。
小学校3年までに、Yがいったい何回転校したのかわからない。Yはそれまでに自分が通った小学校の名前を、たったの一校も覚えていないという。
私は同情したり憐れんだりする以前に、Yのような小学生が存在したという事実に圧倒されてしまった。
転機が訪れたのは、小学校3年から4年に上がるときのことである。母親が横須賀に住んでいる男と再婚することになったのだ。
これまで同居していたのは、みな「見知らぬ男」だったが、Yに正式な「父親」ができることになった。そしてYも、金魚の糞ではなく正式な「子」となったのだ。おまけに、二世帯住宅で暮らすことになったため祖父母までできてしまった。新しい父親も新しい祖父母も、Yを子、孫として扱ってくれた。
父親は消防士で優しい人物だった。勤務が変則的で家にいないことが多かったが、休日には消防士仲間を連れてきて庭でBBQをやったり、いろいろな場所に連れていってくれたりした。流転の日々から一転して、Yはごく普通の、平穏な日常を送れるようになったのである。
「二世帯住宅の2階に、自分の部屋をあてがわれました。部屋には父親がかぶる消防士用の大きなヘルメットが、普通に置いてありました。何不自由ない生活で、楽しかったです」
小学校にも普通に登校することができた。成績も悪くはなかった。母親は学生時代、常にトップの成績だったと自慢していたから、なんとか母親に追いつきたいと一所懸命に勉強をして、クラスで9位という成績を取ったこともあったという。
平穏な日々に亀裂が入るようになったのは、6年生の終わりの頃だった。母親が妹を出産したのだ。妹が生まれると、祖父母も含めた周囲の大人たちの関心が一挙に自分から離れて、妹だけに集中するのがわかった。
「突然、家の中に僕の居場所がなくなってしまいました」
家族に新しいメンバーが加わることで、家族間の力学が変わってしまうことはよくあることだ。下に妹や弟ができて寂しい思いを経験したことのある人も、大勢いるだろう。しかし、Yの場合は父親と血の繫がりがない。妹は血の繫がりがある。児童虐待のニュースに登場する家族にこのパターンが多いのは、血縁の重さの裏返しなのだろうか。
優しかった父親は豹変して、母親との間に諍いが絶えなくなった。
「父はだんだん暴力的になって、夜な夜な母と喧嘩をしていました。喧嘩が始まる度に母から『部屋に戻りなさい』と言われましたが、物を投げる音が毎晩のように響いてきました。一度、喧嘩の最中に父親が自分の部屋に入ってきたことがあって、暴力をふるわれると思いましたが、そのときは母が必死になって止めてくれました」
ある晩の喧嘩の後、母親とふたりで選んだ父の日のプレゼントの箸が、まっぷたつに折れて床に落ちていた。
「それが一番のショックでした」
母親は、介護の仕事を始めて日中は外に出るようになった。二世帯住宅の中に居場所を失ってしまったYは、中学に進学するとたびたび問題行動を起こすようになった。
「あるとき、飼っていたハムスターを殺してしまったんです。人体実験みたいにして。どうしてそういうことをしたか、よくわかりませんが……」
祖父母の金もたびたび盗んだ。
「ある日、1階の祖父母の部屋に忍び込んで引き出しを開けてみたら、偶然ですが、けっこうな金額が入っていたんです。万札1枚ぐらいならバレないだろうと思って1枚だけ抜き取って、ゲームセンターや映画館に入り浸って使ってしまいました」
父親は夜勤の翌日は日中寝ていたので、寝ている部屋にそっと忍び込んで財布から金を抜き取った。母親の財布からも金を抜いたが、子供らしい浅知恵というべきか、バレないようにとお札の形に切った紙を代わりに入れておいて、むしろ「犯行」を露見させてしまった。
「ある朝、父親にいきなりベッドの布団を引き剝がされて、『いつ部屋に入ったんだ!』と怒鳴られました。心のどこかに気づいてほしいという気持ちがあったのかもしれませんが、(父親にバレてから)ある寒い日にお金をたくさん取って、食糧をたくさん買い込んで、ビルの非常階段の踊り場で夜明かしをしたことがありました。すると、なぜか早朝に目の前を母が通ったんです。パッと目が合ったので、『誰にも相手にされないから、気を引きたくて金を盗んだ』と言ったら、母は怒らずに、『部屋に入りなさい』と言いました」
母親の口を通して、
「Yだけ家を出ていってほしい」
という父親の意向が伝えられたのは、中学1年のときだった。
Yは中学校でも一度、盗みをしていた。教科書を持っていくのを忘れてしまい、クラスメイトの教科書を盗んだのだ。
「忘れ物をすると班で連帯責任を取らされるというルールがあったのですが、周りの人から何か言われるのも嫌だったし、他の人に迷惑をかけるのも嫌だったので、近くにあった女子のロッカーから取ってしまったんです」
修正液で名前を消して自分の名前を書いて使っていた。ところが、自分の部屋から教科書が見つかったので、クラスメイトの教科書と自分の教科書、両方を学校に持っていって盗みがバレてしまったという。
「お前、なんで同じ教科書を2冊持っているんだ? となってしまったんです」
もっともな疑問だと思うが、そもそも自宅で教科書が見つかったからといってなぜ同じ教科書を2冊学校に持っていく気になったのか、理解できない。持っていけば盗みがバレるに決まっている。
「たまたま2冊持っていってしまっただけで……」
いずれにせよ、この事件によってYはクラスメイトから白い目で見られるようになってしまった。汚名返上のために人のやりたがらない掃除などを志願してやるように心がけたが、中学時代にほとんど友人はできず、成績も低迷した。
そうこうするうちに、父親と母親は離婚することになった。「Yだけ家を出ていってほしい」という父親の提案は、
「この子ひとりでは生活できないから、私がこの子と一緒に家を出る」
と母親が断った。
妹の親権は父親が取り、Yの親権は母親が取った。Yが中学を転校したくないと頑なに主張したため、母親は同じ横須賀市内の、消防士の家から離れたところにあるアパートを借りることにした。Yはそこからバスで中学校に通うことになった。
消防士の家を出る前、Yは実の父親の手がかりが欲しいと思って、母親の部屋を「捜索」したことがあったという。すると、クロゼットの中から意外なものを発見することになった。
「何かを保存しているらしい箱があったので開けてみたら、母の水着姿のブロマイド写真がたくさん出てきたんです。どうやら芸能人みたいなことをやっていたらしいんです。母親はとても綺麗な人で、家事も得意だし料理もうまいし、芯が強くて行動力もある。非の打ちどころのない人間なんです。男性にモテるのも理解できます」
Yは、自分のことを「完璧な母親の影のような存在」だと言う。いつか母親を越えたいと思っているが、どうしても越えられない。母親は高い壁なのだという。
「母親に憧れる気持ちもありますが、母親と一緒にいると自分の存在が霞んでしまう。やっぱり自分は金魚の糞なんです」
そんな「完璧な母親」は、Yが定時制高校に進学すると、再びアパートに男を連れ込むようになった。連れ込むという表現が悪ければ、新しい男と恋に落ちたといえばいいだろうか。