パンデミックで一時鎖国状態となった日本に、今もっとも必要なのは「外の刺激を得る機会」だ 今こそスタンフォードに学ぶべき多様な思考フレームとは
■今の日本に必要な外の刺激を得る機会
著者が伝えたい一番のメッセージは、パンデミックでしばらく鎖国状態となってしまった日本に対して、「外の刺激を得る機会」を求めることの大切さである。これから日本が抱える数多くの課題に向き合い、新しい価値を作り出すには、「アウェー環境」で猛烈に刺激を受け、新しいことや、今とはまるで異なる世界観や人脈を作って次につなげていくことが必要だと考えている。
スタンフォードはトップ大学としての世界の人材の良いところ取りの好循環と、シリコンバレーの中枢としてエコシステムと補完する関係の好循環という二つの好循環に恵まれていて、特に刺激的で転換点になりやすい。他のところがスタンフォードの仕組みや取り組みだけをまねしても、エコシステムの中心にいなければ、本書で述べられているようなエリック・シュミットから直接話を聞いて刺激される体験や、ピーター・ティール本人との会話で背中を押されるような経験はなかなかできないし、ここまで刺激的なクラスメイトや同僚に会えるとは限らない。
同時に、エコシステムの中心にいる恩恵があるからこそ、もしかしたらスタンフォードが大学として抱える問題が見えなくなったり、もしかしたら制度や取り組みが世界一でなくても、人材と資金の流れがあるから結果として大成功したりしている側面もあるかもしれない。
スタンフォードは、企業派遣の客員研究員の制度なども含めると、なんらかの形で携わることのハードルは、多くの人が考えているほど高くない。デザイン思考の企業向けブートキャンプや、さまざまな企業研修に取り入れられる要素もあれば、個別の教授や研究者を招いて話を聞いたり、研修を受けたりすることも可能である。
しかも本書でのメッセージである「外に身を置いて大きな刺激を受ける」というものは、あえていうと、スタンフォードではなくてもよいということも伝えたい。もちろん、スタンフォードは大学とシリコンバレー・エコシステムの両方の循環があるので刺激も転換点になるポテンシャルも高いが、今の日本でいろいろなところで感じる閉塞感を見ると、スタンフォードではなくても、一刻も早くもっと多くの人に外の世界を感じてほしいと切実に思う。
■オンラインの世界における物理的プレゼンスの重要性
現在も著者が非常勤講師として授業を一本教えさせてもらっているスタンフォードが2022年1月から対面の授業を再開して改めてわかったことだが、コロナでもっとも機会損失となっていたのは多様な人々とのディープな触れ合いだった。
オンラインミーティング越しにはなかなか伝わらない熱量がある。多くの人が入り乱れて会話できる場から生まれる発見や印象的な一言が驚くほど大きなモチベーションとなることもある。本書にもそういった経験が結構見受けられる。コロナ禍でフルリモートになった状態でも少人数のセミナーを教えたが、その2年間でさまざまなZoom越しのディスカッションを促すノウハウなども教員として身についた。
しかし、学生同士の横の会話も限られ、議題以外の会話はなかなか生まれる余地がなかった。しかし、対面に戻ると授業がはじまる前の教室内では東京オリンピックに参加した学部生と日本の外交官、韓国の外交官と米国陸軍のエリート・レンジャーの会話などが自然に起こり、それぞれの異なる世界観が交わる会話が発生した。オンライン越しでいろいろ工夫しても起こらない化学反応が見受けられたのだ。
時代はなんでもフルリモートに向かっているのではなく、スタンフォードや各トップ大学が行ったようにいち早く対面の接触を可能にし(最初は学生には週2回のコロナ検査などが義務づけられた)、オンラインで行えることの長所を引き出しながらも、対面を大切にするからこそ伝わるものをフルに活用する方向となっている。
日本人のほとんどが日本にしかいられなかったコロナ禍の2年間で、いつしか考え方が単一的になり、同調性が求められるマスクとソーシャルディスタンスの生活で失われたもの、それはまったく異なる思考フレームを持ち寄っていろいろな物事を深く考える機会だったのではないだろうか。
実際に今、シリコンバレーにふたたび訪問を始めた日本の大企業や研究者たちは情報の感度が決して低いわけではないのにもかかわらず、ここ数年で、さらに進化を遂げたシリコンバレーのエコシステムや、驚くほど普及しているEV(電気自動車)と充電インフラの現状を経験して世界観が大きく変わっている。日本国内で得られる情報と現状のギャップにショックを受けている方々が数多くいるところを著者は目の当たりにしている。
やはり物理的に異なるところに身を置き、さまざまな新しい世界観や思考フレームに浸かることで、新しい突破口やパラダイムシフトが生まれ、モチベーションが湧く。いったん過去の話に戻って、著者が学部生として得たスタンフォード経験を例に出すとさらにわかりやすい。
■スタンフォード学部生経験で受けた刺激
日本育ちの著者はまず学部生としてスタンフォード大学に進学した。インターナショナルスクールに通っていたため、高校までのカリキュラムはそもそもアメリカの大学入学向けに構成されていたので、第一志望だったスタンフォードに受かったのはうれしい限りだった。青空が広がり、都会とかけ離れた感覚のキャンパスは一年中大好きなスポーツもできるので、前年にはじめて見たときから惚れ込んでいた。
学部生として経済学、東アジア研究、国際関係を専攻したが、1990年代の後半はドットコム・バブルのまっ最中だった。寮から起業する学生や、夏のインターンシップに参加したら車をもらったという話など、学生たちの間でも「これはバブルだね」という感覚はあった。
同時に、シリコンバレーとはあまり関係ない学生がほとんどだったという印象を受けた。実際、コンピューターサイエンスを専攻している学部生は2010年から2020年の間に2.5倍以上になっていると学生新聞のStanford Dailyの調査結果がある。
社会科学の分野ではちょうど2000年ごろにシリコンバレーのエコシステムについての研究が相次いで出版されはじめたが、ほとんどの学生は無縁だった。人文系はなおさらである。工学部の学生は就職先としてシリコンバレー企業に入る人もいたが、Googleはまだパロアルトの小さなオフィスにあり、Appleもスティーブ・ジョブズが戻ってきたばかりであまりイケている感じはしていなかった。
その後、卒業生たちの行方をたどると、飛躍したシリコンバレーのエコシステムで大活躍した人が多いが、在学中は大学全体がシリコンバレー熱に燃えているという感じではなかった。ただ、世界選抜のものすごい人たちがさまざまな人生経験からの視座をもとに積極的に授業でのディスカッションに参加したり、学部生はほぼ全寮制の生活で、夜更けまでさまざまな世界や人生についての議論を重ねたりしていく刺激は計り知れない。
※「後編」へつづく