「おねしょする5歳」に「あばれる小6」子どもたちのリアルな苦しみ描く、ふたりの新人作家が生み出す“新時代”の空気
子どもはいきいきしていて明るいだけではない。ときにストレスで「気持ちとからだが別」になってしまうこともある。
今年デビュー作を上梓したふたりの新人作家が、そんな子どもたちの姿をリアルに書き上げた。
ひとりは潮井エムコさん。初めて書いた高校時代の思い出についてのエッセイをnoteにアップしたところ、SNSで拡散され、累計30万を超える「いいね」を獲得。2024年1月に初のエッセイ集、『置かれた場所であばれたい』(以下、『置かあば』)を刊行した。
そしてもうひとり。せやま南天さんは、仕事と育児を経験し、「家事」というものと向き合うなかで着想を得て、小説『クリームイエローの海と春キャベツのある家』(以下、『クリキャベ』)を執筆。noteが主催する創作大賞2023で朝日新聞出版賞を受賞した。
潮井さんのエッセイでは、幼い頃の潮井さん自身や友人たち。せやまさんの小説では、母を失った織野家の5人の子どもたち。作中の子どもたちの姿からは、「良い子」の枠にはめられる息苦しさと、その枠を押し破ろうとするエネルギーが感じられる。「子どもを一個の人格として尊重すること」について、作者が語り合った。
■ふたりのコンプレックス
せやま南天(以下、せやま):私は昔、システムエンジニアとして働いていた頃に、上司から「せやまさんはいつも最短ルートばかり通ってるね。もっと寄り道してもいいんだよ」と言われたことがあって。真面目すぎることがちょっとコンプレックスなんです。
『置かあば』を読むと、潮井さんは本当に、くだらないと言うと失礼かもしれないですけど、日々のちょっとしたことを楽しんでいますよね。盛れる機能のあるプリクラで、鼻の穴にまつ毛を生やそうとするとか(笑)。
そういう、年を取っても思い出して笑えるような、忘れられないエピソードって、どうやったらできるんだろうって。くだらないことを楽しむコツやマインドのようなものがあるなら、聞きたかったんです。
潮井エムコ(以下、潮井):私は小さい頃から、親に「ちゃんとした人になってほしい」と思われていて、ずっとそれに反発していたんです。その反骨精神のたまものと言いますか、「ばかじゃないの」と言わせたら勝ち、みたいな。そんなマインドでいたのかなと思います。
せやま:へええ。
潮井:親の思いどおりに育って、「こんないい子に育てたのは私です」みたいに思われたくなくて。親の考えているレールの外の世界の良さを、私なりに証明したかったんですよね。あなたがどんなに厳しく私のことを管理しても(「母の教育方針」)、思ったとおりにはならないよ、と。くだらないことに一生懸命になっていたのは、そういうところがルーツかなと思います。
あとは、純粋におもしろいからなんですけど。勉強がとにかく好きじゃなくて、ひどい10代を過ごしてしまいました(笑)。ずっと反抗期なんです。
──せやまさんは、反抗期はなかったですか?
せやま:父親に対しては少しあったかもしれないけど、母親にはあまりなかったですね。真面目な子でした。だからか、おもしろいことをする人にあこがれとコンプレックスがあります(笑)。
潮井:あこがれ……恥ずかしい(笑)。反抗期がなかったのは、お母さまといい関係を築かれていたからですか?
せやま:いい関係だったかどうかわかりませんが、口をきかないとかけんかしたとか、そういうことはあんまりなかったかな。
潮井:私は逆に、仲のいい家族にコンプレックスがあります。友だちから「ママとごはんを食べに行く」とか、「ママとパパとショッピングに行く」とかって聞くと、それを楽しいイベントとして捉えていることに衝撃を受けるというか。
友だちが家族との時間を心から楽しんでいるのが羨ましかったです。自分の作った家族は、そんな風になれたらいいなと思っています。
■小さいというだけで軽んじられてしまう子どもたちの代弁者になりたくて
せやま:そんな幼少期をすごされた潮井さんが、幼稚園の先生になった理由を聞いてもいいですか? 私が思うのは、子ども時代にそういう思いをすると、育てる側に行きたいと思えないこともあるんじゃないかなと。
潮井:そうですね……どうだったかな。
せやま:でも子どもは好きだった、ということでしょうか。
潮井:確かに、私は末っ子で、周りにも自分より年下の人がいなかったからか、小さい子が大好きで、お世話をするのもすごく好きでした。
あと、これはエッセイにも書いている私自身の幼少期の経験にも通じるのですが、子どもだからというだけで軽んじたり、主張を聞かなかったりする人もいるじゃないですか。でも、子どもは経験が少なかったりするだけで、もう既にひとりの人間なんですよね。
せやま:わかります。
潮井:どんなにちっちゃい赤ちゃんでも人間で、だから感情もあるし、考えもある。短大で保育士の資格や幼稚園教諭の免許を取ったのは、「そういう小さいというだけで軽んじられてしまう子どもたちの代弁者になれたらいいな」と思ったのはあります。
私は、勉強は教えられないけど、楽しいことなら一緒にできる。詰め込み教育じゃなくて、楽しく一緒に経験するということが、自分だったらできるかなと思って。
せやま:潮井さんが先生だったら一緒に楽しく遊んでくれそうな気がします。
潮井:できていたかどうかはわからないですけど、そういう気持ちはずっと持っていました。どんなことでも、子どもたちが楽しんでいなければ、私のエゴになってしまう。私が思いどおりにさせている状態になったら、子どもたちは全然おもしろくなくなってしまうので。
子どもたちが「おもしろい!」と夢中になっている時って、自分でいろいろ考えて行動している時なんです。子どもたちが楽しそうにしている姿を見た時は、いい仕事だなあという気持ちになりました。
せやま:すてきですね。
■「うわー、難しいな、人生!」
潮井:『クリキャベ』にも、織野家の5人の子どもたちが出てきますけど、(シングルファーザーの)朔也が、仕事と家事を全部一人でやろうとしていっぱいいっぱいになっているのを見て、そのひずみのようなものが子どもたちに出ているのが、リアリティーがあるなと思いました。
せやま:子どもたちも一人ひとり思っていることがあるだろうなというのは、考えながら書いていました。私も子育てをしながら、「子どもってからだが小さいだけで、大人と同じように自分の考えがあるし、やりたいこともある」と思ったんです。
2歳ぐらいまでは、生まれたばかりの赤ちゃんみたいな感じもありましたけど。そういう経験を生かしながら書いていったと思います。
潮井:(織野家の次女で6年生の)樹子(きこ)があばれたところは特に共感しました。すごくストレスがたまって、気持ちとからだが別になる瞬間を、私も経験したことがあるので。
「どうしたらいいか自分でもわからない」と樹子が言っていたと思うんですけど、「ほんとにそう!」と思いながら。そうやって発散しないと自分を保てないという気持ちがすごくわかったので、あの場面に差し掛かった時は胸が痛くなりました。
せやま:そんなふうに読んでくださったんですね。
──子どもたちのキャラクターは、計算して書き分けたんですか。
せやま:キャラクターが重ならないようにとは思いましたが、そこまで綿密に計算はしていません。そのシーンを思い浮かべながら書くので、自分のなかでわきあがってきたキャラクターを書いているという感じですね。
潮井:5歳の子がおねしょをしちゃったりとか、一人ひとり違うけれど、なにかしらエラーが出ているというところに、それぐらい子どもは親の影響を受けるんだということを思い返しました。
親の精神状態は子どもにダイレクトに影響するから、なるべく整った状態でいたいけど、環境がそうさせてくれない時もある。(編注:潮井さんは今年のはじめに第一子を出産、子育て中)「うわー、難しいな、人生!」と思います。
せやま:ふふふ。
潮井:整った状態がいいことなんてわかりきっているのに、いろんな理由があって解決できないもどかしさをどうクリアしていくかというのが、『クリキャベ』では丁寧に描かれていたなと思います。
せやま:潮井さんは、家事は?
潮井:あ、もう全然です(笑)。全然しないし、適当です。だから、『クリキャベ』に出てくる人たちは、みんな真面目に丁寧に家事をしていて、えらいなあと思って。この生きづらさみたいなものは、私にはないなあと思いながら。しないならしないでいいやみたいなタイプなので。
せやま:それによって追い込まれたりはしないんですね。
潮井:まったくしないです。
せやま:それはうらやましい(笑)。
潮井:0を1にする作業は好きなので、料理は好きなんですけど、食器を洗うとか洗濯物をたたむとか、何かを0に戻す作業が叫びたくなるぐらい苦手で。子どもが生まれたからちゃんとしなきゃと思ったまま、もう4カ月になってしまいました(笑)(※編注:対談時)。
■書くことでしか見つけられないものに、書くことで出会う
──おふたりに質問ですが、どちらの作品も、なるべく人を傷つけずに伝えたいという配慮があると感じました。執筆する時にそういうことを意識しましたか。
せやま:ウェブでエッセイを書く時は、主語を大きくせず、「私はこう感じた」と書くように気をつけています。たくさんの方に見ていただける分、誰かを傷つけてしまう可能性はゼロにはなりません。だけど、できるだけ小さくしたいし、「私はこう感じるけど、それが絶対じゃないよ」と思いながら、書いています。
潮井:わかります。私は、お笑い系のエッセイがメインだったのが、書いていくにつれて、深いところを掘り下げるようになって。言い回しがちょっときつくなっているところもありますが、ただの悪口をそのまま書かないように気をつけています。嫌な気持ちだけが残らないように、という思いはあります。
せやま:『置かあば』に、山に置き去りにされるエピソード(「捨て子の生き延び方」)がありましたけど、つらい話になりそうなのに、潮井さんが書くとそうはならないんですよね。
潮井:「ああ、せいせいした」と思ったのは事実なので、反骨精神のたまものでああいうエッセイになりました(笑)。別のテーマで一度、ものすごく重たいものを書いたんです。暗い感情をそのまま吐露するような。その時に、自分へのダメージがすごくて。きちんと自分の中で消化し切ったものを書くほうが、いい文章になると思っています。
せやま:私は、小説は自分のなかにあるものを書くというよりは、うまく言葉にできなかったものの答えを見つけたいと思って書いています。書くことでしか見つけられないものに、書くことで出会っています。
――おふたりのこれからについて教えてください!
潮井:こうしてご縁があり本を出版するという機会をいただきましたが、プロになったという自覚が未だに全くと言っていいほどありません。
これは本来であれば良くないことなのでしょうけれど、私は本を出版するという節目を経てなお「自分は平凡な人間である」という感性が失われていないことに安堵に近い感情を覚えました。
だからこのプロ意識の薄さも、私のエッセイには大切な価値観なんだと思います。これからも“エッセイストの潮井エムコ”ではなく、そのままの私として変わらずに日常を過ごしていきたいです。
そうやって過ごしていたら、何気ない日々のワンシーンを“エッセイストの潮井エムコ”がおもしろおかしく切り取って、これからも楽しくエッセイを書き続けてくれるんじゃないかと思います。
せやま:今までは、リビングで書いたり、子どもの送り迎えの合間にスマホで書いたり、少ない時間を繋ぎ合わせて書いていたんですが、本が出てからはワークスペースを設けて書く環境や時間を整えてみました。でも、今までと違う書き方だと筆がのらなくなって、もとに戻したり。試行錯誤中です。
関心があるのはやっぱり家族や生活のことなので、これからの作品もそこがテーマの中心になっていくと思います。あとは、音楽やスポーツ観戦やキャンプなど趣味も多いので、そういった体験を作品に取り入れていくことも今後はやってみて、作品の幅を広げていきたいなとも思っています。
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ずっと反抗期だと語る潮井さんと、反抗期はなかったと明かすせやまさん。性格の違うふたりだが、子どもに対して「小さくても、大人と同じように考えがある」と口を揃える。
誰もが子どもだった。そんな当たり前のことを感じさせ、思い出させてくれるふたりの対談。目下子育て中の潮井さんの「うわー、難しいな、人生!」という言葉が、じんわりとしたあたたかさをもって、心にしみる。
それぞれの悩みやコンプレックスと向き合ってきたふたりだからこそ、弱くて小さく見える存在を、力強く魅力的に描き出せるのかもしれない。