遊郭独特の慣習を見事に取り入れた時代ミステリー『吉原面番所手控』/戸田義長さん刊行記念エッセイ公開!
川柳から見た遊女たち
拙著『吉原面番所手控』は私の4冊目の著書で、これまで商業出版された作品はすべて時代ミステリとなっています。かつて現代ミステリを公募新人賞に何度か投稿したこともありますが、いずれもあえなく落選しました。
それゆえ目先を変えて時代ミステリに転向したというわけでもないのですが、ジャン=クリストフ・グランジェ著『クリムゾン・リバー』を読んだことが大きな切っ掛けとなったことは間違いありません。グランジェが割合あっさりと流しているあるネタについて「この使い方は勿体ない。時代ミステリであればメインの謎にできるのでは」と思いついて執筆したのが短編「恋牡丹」で、さらにそれを元に連作短編集に仕立てたのがデビュー作『恋牡丹』です。
この『恋牡丹』と続編の『雪旅籠』にはお糸という元遊女が名探偵役で登場しますが、この2つの短編集のうち吉原遊郭の中で事件が起きるのは「願い笹」という作品のみです。今回の『吉原面番所手控』は全編郭内を舞台としており、私としては新しい試みだったわけですが、ストーリーを展開させるに当たってはいささか難儀しました。
というのも、さほど広くない吉原遊郭の中で殺人等の凶悪事件が頻発するのは少々不自然です。廓外を舞台にすればヴァリエーションを増やせますが、遊女は大門の外に出ることはできません。また、遊女は様々な点で行動の自由が制限されています。名探偵役で主人公の夕顔も遊女であることに違いはありませんので、自身で毎回現場に出向いて自由に捜査に当たるのはリアリティーに欠けます。
そこで大坂からやって来た遊女から「大塩平八郎の乱」に関わる過去の事件の探索を依頼されたり、夕顔が出養生で廓外の寮に滞在している時に事件に遭遇したりと、無い知恵を絞って色々と変化をつけてみたのですが、読者の皆様がどのように思われたかは何とも気になるところです。
さて、先ほど「遊女は様々な点で行動の自由が制限されてい」たと述べましたが、それは吉原遊郭には一般社会や岡場所では見られない独特の規則や慣習が数多く存在していたことが一因です。拙作においてはそれらを可能な限りストーリーに取り込むよう努めましたが、紙幅の関係上説明を端折ったものもありますので、2つの事例を当時の川柳を交えながら詳述したいと思います。
○作中に遊女の年季のことが何回か登場します。吉原は官許の遊郭であり、建前上は人身売買が禁じられていました。そのため身売りの際もあくまで年季奉公という形にして証文を取り交わし、「苦界十年二十七明け」すなわち概ね27歳まで勤め上げれば年季が明けるとされていました。
〈二十八からふんどしが白くなり〉
一般女性が着用する湯文字は白か浅葱色でしたが、遊女は緋縮緬のものを身に着けていました。28歳で年季が明けて吉原を出たので、湯文字が赤から白に変わったということを詠んだ川柳です。
〈何文の足袋やら二十七の暮〉
作中で触れたように、吉原の遊女には足袋を履く習慣がありませんでした。そのため年季が明けた時には自分の足袋のサイズが分からなくなっていた、というわけです。
○続いては心中立てです。心中立てとは遊女が客への真心を誓い、それを証拠立てることです。その手段の1つに彫物がありました。客の名が徳兵衛なら「トクサマ命」などと二の腕に入墨をします。その客とは別に新しく金蔓の客や情夫ができた場合には、
〈二の腕を火葬にするは色と欲〉
という具合に、古い客の名に灸を据えて焼き消し、新しい馴染みの名の彫物をしました。
心中立てのうち最も真実を表わすものとして、指切りがありました。遊女が小指を切断して客に送ったのです。
〈もめるはづ花よめの指九本あり〉
遊女上がりの嫁の指が9本しかないのを見て、舅や姑が大騒ぎしたのでしょう。聞くだに怖気立つような恐ろしい慣習ですが、実際には焼場の死人から切り取った指や新粉細工の偽物の指で代用していたようで、騙された客は、
〈此小指さては新粉かエゝ無念〉
と、地団太を踏むことになりました。
ところで、近年「吉原は江戸文化の発信地だった」「花魁は江戸のファッションリーダー」等の肯定的な評価が散見されます。そうした面があったことも確かでしょうが、遊女たちにとってはやはり苦界以外の何物でもなかったはずで、過大評価は禁物ではないかと愚考します。拙筆ではありますが、可能な限り遊女たちの苦衷や辛酸を鮮明に描き出すよう努めたつもりですので、そうした作者の意図を汲み取っていただけたなら幸いです。