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「ダメなら別れる」「理解ではなく納得」目からウロコの結婚観をおおたわ史絵と中野信子が語り尽くす

 著書『母を捨てるということ』(2020年、朝日新聞出版)で、麻薬性の鎮痛剤への依存症に陥った母のことを明かした、医師であり、テレビコメンテーターとしても活躍するおおたわ史絵さん。母の話は長年、おおたわさんのなかでタブーであり、人に聞いてもらおうと思ったこともなかったという。
 家族の問題は“外”には出さず“内”で解決する――そう思っている人は多いだろう。コロナ禍がはじまって以来、DVや虐待が世界的に急増していると報告されている。外出自粛やリモートワークなど、生活様式の変化によって生じたストレスのはけ口が家族に向かっているのだという。問題が“内”にこもればこもるほど、深刻化する。
 脳科学者で、『毒親』(ポプラ社)など脳科学の視点から人間関係を解き明かす著書も多い中野信子さんと、おおたわさんとが「家族との距離」について対談する。(写真撮影/掛祥葉子)

おおたわ史絵著『母を捨てるということ』(朝日新聞出版)
おおたわ史絵著『母を捨てるということ』(朝日新聞出版)

おおたわ:人間は環境の変化にとても弱い生き物だから、何かが変わるということ自体がものすごくストレスになりますよね。うちは子どもがいなくて夫婦ふたりで、しかもどちらも医療従事者なので、外出自粛が呼びかけられた期間中もそれまでと同じように仕事していたので大きな影響はなかったのですが、これまで月曜から金曜まで毎日仕事や学校に行っていた家族がずっと家にいるというのは、たいへんな変化です。1日3食、家族全員分のご飯を作らなきゃいけなくなるとか、洗濯物が増えるとか、あげればキリがないですが、そうした毎日のストレスが生きづらさにつながります。生きづらさっていうのは、依存症の元凶にもなります。

中野:依存症のうちで最も多いのはアルコールですが、コロナ禍において酒類の売上が伸びているといわれていますね。

おおたわ:外に飲みに行けないぶん、家飲みが増えているそうです。人は生きづらいと感じると、それを解消しようとセルフメディケーション(自己治療)を必要と  します。お酒を使ってそれをするとアルコール依存症になるかもしれないし、子どものゲームをする時間が長くなればゲーム依存症になるかもしれない。あとは暴力ですね。夫婦間や親子間の暴力に依存して、自分の生きづらさをなんとかしようとする人もいるでしょう。

中野:不安な気持ちが人間関係をぎくしゃくさせるというのは、大いにありえます。閉ざされた空間において、家族間でも考えが合わない人がいると問題は深刻になりやすいようですね。

おおたわ:中野さんは外出自粛期間中、どうでした?

中野:私のところも夫婦ふたりの生活ですが、基本的にふだんからあまり干渉しないということもあり、特段変わりはなかったですね。お互いにひとりでも生きていけるんですよ。でも、結婚していたほうが何かと楽しいよね、というぐらいの感覚で一緒にいるので。まぁ、夫の洗濯物を干し方が気に入らないとか、そういう些末なことはありますが(笑)。

おおたわ史絵さん(撮影/掛祥葉子)

おおたわ:うちもありますよ、洗濯物問題。「あなたのジーンズの色が、私の服に移っちゃったじゃない!」って。でも、夫が洗濯して干してくれているのに、そこだけ文句をいうなんて、私のほうがとんでもない妻なのかもしれない(笑)。中野さんの『毒親』に、「近すぎる関係性では、相手が思い通りにならないと攻撃的になる」というようなことが書いてありましたよね。距離って大事だと思います。距離感の取り方が上手じゃないから、揉めてしまう。親子なんて特にそうです、近すぎるんですよ。

中野:最も近い関係性のひとつですもんね。だからこそ、「ああいうことをいわれた」「こういうことをしてくれなかった」っていつまでも忘れられないんです。適度な距離があって、親に何をされても「ああ、あなたも大変なんですね」と思えれば、そこまで苦しくはならないのではないかと思います。

おおたわ:親子でも夫婦でも、こっちに迷惑をかけたり巻き込んだりするようなことがなければ、どう生きようがその人の自由なんです。私の母は依存症だったので、そうもいかなかったんですけど。

中野:たとえばここに、ペットボトルのキャップがあるんですけど、これは何色に見えるかという話しになったとき、妻は白に見えるといい、夫は黄色に見えるといいます。これを「白なのに、なんで黄色に見えるっていうんだろう。おかしい。白に見えなきゃいけないのに!」といってもしょうがないんですよね。

おおたわ:「あなたには白に見えるんですね」と割り切って生きていくほうがいいですね。家族であっても、その人のものの見方や生き方をどうこういう権利はどこにもないんですよ。

中野:ところが私も結婚当初、「白だよね?」をやったことがあるんですよ。私自身にとって生きるというのは、目標を決めてそこに向かって進んでいくことを意味しているんですけど、そんな私にとって夫の生き方は、お気に入りのお花畑でずっと遊んでいるように見えたんです。それを指摘したら、「どうしてお花畑で遊んじゃいけないの? 僕はきみのやり方をいいと思うよ。僕はそれに口出ししたことはないでしょう。それなのにきみはどうして僕を変えようとするの?」って。

おおたわ:そんな考え方ができるなんて。

中野:私も「ああ、そのとおりだ」と思ったんですよ。それで自分の考えをあらためました。自分とは違う人がいるから学ぶことができる、それが結婚の醍醐味だと思いましたね。

おおたわ:中野さんの夫はそれを自分の言葉で説明できるところも、すばらしいんだと思います。自分が説明できないのに、説明しなくてもわかってくれとなると、夫婦そろって苦しくなっちゃう。

中野信子さん(撮影/掛祥葉子)

中野:私自身、夫に対して「私の気持ちをわかってほしい」というのもあまりないんですよね。自分のことは友だちが理解してくれていればそれでいい。

おおたわ:私は共感度がもともと低いので、子どものころから「私の気持ちなんて、人にはわからない」と思って生きてきたんですよ。夫に対しても、自分のことをわかってほしいとはあまり思っていなくて、「私の人生を邪魔してほしくない、荒立ててほしくない」というぐらいです。

中野:「あなたのことを私はわかっていますよ」と近寄ってくる人に、ろくな人がいた試しがないです。そういう人は、こちらの心のスキマに入り込んで操作しようとしているのかもしれない。

おおたわ:「君はこういうタイプなんでしょう」っていってくる人ね。

中野:そもそも「家族だからわかり合える」というのは、家族というものの価値を高く見積もりすぎている人が多いということなのかもしれませんね。

おおたわ:サザエさん的な家族、ということなんでしょうか。三世帯で同居して、お父さんはがんばって仕事をして、でお母さんは家でご飯を作っている、子どもたちは時々きょうだい喧嘩をするけれど、それでも夜になればみんなで笑って夕食卓を囲む……あれこそが家族なんだと、刷り込まれちゃっているのかもしれないですね。実際には、そんな家族がたくさんいるわけでもないのに。

中野:それが普通だと思って家族に期待をすると、ひずみやきしみが出てくるのでしょう。

おおたわ:私はそもそも人に期待しないんです。それは、家族だけでなく仕事においても。期待して、それが叶わなくて、自分が傷ついてボロボロになっていくのは耐えられないと思っちゃうんです。だから夫とも、「本当にダメなときには、別れましょう。それはしょうがないことです」と思って結婚を決めました。

中野:それってネガティブだと思われるかもしれませんが、私はおおたわさんらしい、冷静な判断だと思いますよ。

(構成/三浦ゆえ)