【東日本大震災から10年】母親を亡くした遺児の手記「たくさんの幸せに気づける人でありたい」
東日本大震災から10年。震災で親をなくした遺児たちの支援を続けてきたのが、あしなが育英会です。その活動の中に、遺児たちに作文を書いてもらうという活動があります。遺児たちによる作文集『お空から、ちゃんと見ててね。』(あしなが育英会・編)の中から、震災で母親や友人をなくした大槻綾香さんによる手記をご紹介します。
私にとって東日本大震災を経験したことは、人生における大きな転機となりました。
震災当時、私は中学2年生でした。母や友達を亡くし、住み慣れた家もなくなりました。一瞬にして失うものの大きさに驚き、それまで川も海も山もある豊かな自然が町の自慢だと認識していましたが、津波を通して自然の恐ろしさと人間の無力さを実感しました。映画やドラマを見ているような現実味の無い感覚があり、混乱したことを今でも覚えています。母の遺体が見つかったのは、震災から約1カ月後でした。
震災を経て、親と死別したことは特別な経験ではないと感じています。誰のもとにも、大切な人の死を受け入れなければならない時は訪れ、そしてそれは突然のことかもしれないからです。人の死だけでなく、自分自身の死も同様にいつ訪れるかわかりません。
しかし、震災を経験したことで得るものも多くあり、その中でもとくにあしなが育英会との出会いは、私の視野を大きく広げるきっかけになりました。私と同じように震災で大切な人を亡くした子どもたちがたくさんいることを知り、自分は一人ではないことに気づき、心落ち着く居場所となりました。親を亡くしたことでの悲しみや寂しさなど気を遣わずに話せるのは、学校の友達とは違う似た体験をした仲間と出会えたからだと思います。
学校の友達とは違う仲間を見つけることができたのも、たくさん参加した「つどい」のおかげです。
また、学校の友達や家族には話しにくい悩みなど、どんな話をしても受け止めて一緒に考えてくれる職員やファシリテーターの存在は、私の心に多くの影響を与えてくれました。現在は、私もファシリテーターとして子どもたちと関わっています。
■生きることの尊さを教えてもらった
あしなが育英会と関わる中で、フランスとアメリカ、アフリカのウガンダに行く機会も得られました。どの国で過ごした時間もとても有意義で、貴重な体験ができました。
フランスは幼い頃からの夢であるパティシエになる上で、一度は行ってみたかった場所でした。
私がお菓子を作り始めたのは、小学校に入る前の5歳の頃です。最初は母親の隣で手伝うだけでしたが、徐々に自分だけで作るようになりました。母親と一緒に朝、早起きをして、お弁当や朝ご飯を準備したりもしていました。休みの日は近所の友達を呼んで、ホットケーキをふるまったり、クリスマスなどイベントがある時はケーキを焼いて家族みんなで食べたりして楽しんでいました。
とくに思い出に残っているのは、小学生の頃のバレンタインデーで、クラスの子や先生たち全員にチョコを渡すために、前日から母親と準備をしたことです。小さな学校で生徒数も少なかったですが、皆に喜んでほしくていろんな種類のチョコや焼き菓子を作って飾りつけしたのを覚えています。イベントも楽しくて好きでしたが、日常の何気ない時に友達や家族とお菓子を食べる時間が好きだったので、幼少期から自然とパティシエを目指すようになりました。
そんな私にとって、フランス滞在中に洋菓子店でお菓子作りの体験ができたのは夢のような時間でした。私が作ったマカロンやアプリコットのタルトをホストファミリーと一緒に食べて、「美味しい」と言ってもらえたことが嬉しくて、とてもいい思い出になっています。
アメリカとウガンダでは、「世界がわが家」という育英会が主催する舞台に出演するという大きな挑戦をしました。演劇は興味がありましたが、自分が関わることのない世界だと思っていました。
舞台は、日本、アメリカ、ウガンダの3カ国のメンバーが集まって行われました。私たち日本のメンバーは、震災で大切な人を亡くした悲しみを乗り越え未来へと歩んでいく「約束」というタイトルの物語の群読と、感情の波や伝えたい思いを和太鼓で表現しました。ウガンダのメンバーはダンスを、アメリカのメンバーは歌を披露しました。
アメリカの公演では、これらの演目に加えて、3カ国の代表者で小説「あしながおじさん」にも取り組みました。私は日本人の代表として、ジルーシャ・アボット役を演じることができました。
ステージ上から見る景色はとても華やかで緊張感もあって、公演が終わった後のスタンディングオベーションを体験したことは、忘れられない宝物になりました。
震災は私から多くの宝物を奪っていきましたが、それと同時に、私に生きることの尊さと死との向き合い方を教えてくれたと思うようになりました。大切なものを失ったからこそ、誰かに自分の思いを伝えられることのありがたさや、何があってもそばで見守ってくれる存在がいることの心強さなど、新しく得られたものがより大切に感じられる気がします。
今ゆっくり勉強できたり、楽しく仕事ができたり、当たり前に日常生活を送ったりできるのはとても幸せなことです。その一方で、わかっていてももっと幸せになりたいと求めてしまう時もあります。それは決して悪いことではなく、生きているからこそ感じられるのだと気づきました。この気づきは、仮設住宅で落ち着いた暮らしができなかったり満足に勉強できる環境がなかったりした経験から得られたのだと思います。震災の経験は必ずしもマイナスなことだけではないと感じた瞬間でした。
■一度も休むことなく参加してきた「にじカフェ」
現在は、製菓専門学校を卒業した後に入学した大学で心理学を勉強しながら、洋菓子店で製造販売のアルバイトをしています。洋菓子店で働くという幼い頃からの目標を実現させ、日々たくさんのケーキを作っています。クリスマスなどのイベントもあり忙しいですが、任される仕事も増えてきて楽しく充実した時間を過ごしています。
2020年は新型コロナウイルスの影響でお店の休業期間が1カ月ほどあり、その休みを自分と向き合う時間にしました。レインボーハウスでの「つどい」や同世代で集まる「にじカフェ」が6カ月以上も開催されず、自分の心に丁寧に触れることや他の人の話を聴く機会が減ったからなのか、もやもやした気持ちやコロナウイルスに関連した不安で頭が埋まっていくような感覚になりました。
にじカフェは3カ月に一度のペースで開催されていましたが、第1回目の開催から一度も休むことなく参加しています。中学生の頃からつどいには参加していましたが、同世代の参加者よりも小さい子どもたちが多く、お姉さん的な存在として関わることがほとんどでした。
しかし、にじカフェでは、大学生や社会人が参加者となるので学校や仕事のこと、将来について、震災で亡くなった大切な人について、たくさんの話をしています。にじカフェという名前の通り、カフェのようなゆったりした空間で話をしたり、ご飯を一緒に作って食べたり、ゲームをして遊んだりしてリフレッシュできる場所です。
いつ参加しても暖かい雰囲気で、家に帰ってきたような安心感があり、皆と会えることを楽しみに日常を頑張ろうと思える居場所になっています。
コロナウイルスによって世の中がどんどん変わっていく様子は、震災の体験と似ています。見えない恐怖に曝されながら生活するのは、身体的にも精神的にも負担がかかりました。ゆっくり時間を使って自分と対話することで、少しずつ前向きに今できることを考えられるようになりました。これからを考える中で、プログラミングの習得や心理学の研究、起業など新しくやってみたいことが出てきて、これらを実現させるために勉強する時間が増えました。
今はあしなが育英会でも対面で自由にファシリテーターの活動ができない分、グリーフケアについてもっと学び、自分のためにも、子どもたちのためにも私ができることを考えていきたいです。にじカフェも対面ではできていませんが、新しい形をみんなで考えて落ち着ける時間を共有できたら、仕事や勉強を頑張れる活力になると考えています。いつかまたみんなと対面で集まれるのを楽しみに待ちつつ、これからもあしながで出会った人の輪が大きくなるように活動していきたいです。
私のこれからの目標は、常に自分が幸せを感じられる選択をすることです。私自身が幸せでいることで周囲の人たちにも良い影響を与えられると考えています。幸せの形は人それぞれですが、私にとっての幸せとは、「私らしくあり続けること」です。過去の私も現在の私も好きですし、これからの私も好きでいられるようにたくさんの幸せに気づけるような人でありたいです。
苦しいことや悲しいことがあっても、震災を経験して身につけた強さを生かして、いつ自分の身に死が訪れても幸せだったと思えるようなこれからを歩んでいきます。
(文:大槻綾香、写真提供:あしなが育英会)