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リーリーとシンシンが「2代目パンダ舎」にやって来た日【上野動物園ののんびりパンダライフ<第3回>】

 パンダライター二木繁美さんの連載「上野動物園ののんびりパンダライフ」3回目。今回は、2024年9月に病気療養のため中国に戻っていったリーリーとシンシンが「2代目パンダ舎」に来たころについて振り返ります。お話は引き続き、副園長の冨田恭正さんにうかがいました。

▼第2回「『パンダのもり』がひらがなのワケ」はこちら!

2代目パンダ舎にて、最後まで暮らしたシャンシャン=2022年9月29日、筆者撮影

人見知りのイケメンと、“親方”として親しまれる美パンダ

 リーリーとシンシンは、2011年2⽉21⽇の深夜に上野動物園に到着しました。来日した2頭は当時ともに5歳と若く、平均よりも体が大きく立派な体格のジャイアントパンダ(以下、パンダ)で、とても健康そうでした。

来園した頃のリーリー=2011年3月8日、(公財)東京動物園協会提供
来園した頃のシンシン=2011年3月8日(公財)東京動物園協会提供

 来園前には「リーリーはイケメンで神経質、人見知り。シンシンはおおらかな美女で、人懐っこい」と報道されていましたが、実際の2頭はどうだったのでしょうか。

「リーリーは、最初の夜は落ち着かずに室内を歩き回っていました。一方、シンシンは、最初は歩き回っていましたが、しばらくして竹を食べ始めました」と冨田さん。シンシンのほうが新しい環境への順応が早かったようです。

食べるのが大好きなシンシン=2023年5月26日、筆者撮影

 堂々とした姿で、今ではファンから親しみを込めて“親方”とも呼ばれているシンシン。初めての場所でも、どんと肝が据わっていたのですね。こうして、パンダ不在の2010年度には、267万7372人だった動物園の入場者数は、2011年度には470万7261人と、200万人以上も増加しました。

わんぱくリーリーの電柵と、おてんばシャンシャンの栓

 2頭を迎える前には、老朽化が進んでいた2代目パンダ舎の改修が行われました。改修のテーマは「環境にやさしく、自然に近い環境にする展示」。建物の構造はそのままに、内装や設備を改良することにしたのです。この時のことについて、冨田さんは「2008年まで飼育していたリンリンは、高齢で寝ていることが多かったのです。でも今度の2頭は、まだ若かったため、動き回り、木に登り、プールに入るなど『活発でかわいい』パンダの姿を観覧いただけるように工夫しました」と教えてくれました。

改修されたパンダ舎。植え込みをなくし、より近くで見られるように=2011年2月1日、朝日新聞社

 観覧通路の入り口もにぎやかになりました。リニューアル前にあったパンダのモニュメントを残し、さらに、3頭のパンダが遊ぶ新しいモニュメントが追加されたのです。そして、通路の壁にはジャイアントパンダに関する情報も掲示しました。観覧通路は、一度にたくさんの人が観覧できるように階段状に整備し、屋根もつけました。屋外運動場の観覧通路のほうは、柱を塗り替えたり、周りの植物を取り除いたりして、お客さんからパンダが見えやすいようにする改良が行われました。

改修前からあったパンダのモニュメント=2023年5月25日、筆者撮影
新しく追加されたモニュメント=2023年5月25日、筆者撮影

「飼育施設については、中国側の専門家のアドバイスを参考に、職員とパンダの安全を確保するため、電気柵の設置や観察用のモニターカメラの増強など、飼育管理上必要な工事を行いました」。西園にも設置されている電気柵は、さわるとピリピリと微弱な電流が流れて、動物が外へ脱走することを防ぎます。

 これまでの施設には設置していませんでしたが、「リーリーは中国での脱走経験がある」という、中国人スタッフからのアドバイスによって取り付けられることになりました。発情期にはよく木にも上っていたリーリー。結構アクティブなのですね。

木登りをするリーリー=2020年3月9日、(公財)東京動物園協会提供

 そして、室内には木製の台やプールを用意。プールは人工的なタイルから自然な雰囲気に変え、深さも水浴びがしやすいように、少し浅くするなどの工夫をしました。そして完全に水を抜くことができるように、底に栓を設けました。この栓、シャンシャンがよく抜いて遊んでいましたよね。まさかそんな遊びができるとは、この時は知るよしもなく……。

来日まで6日!の慌ただしいお出迎え

 こうして完成したパンダ舎の室内は、窓から自然光が入る明るい空間になりました。また、これまでは寝室にしかなかった床暖房も一部に設置。暑さが苦手なパンダのために冷房もしっかりと完備しています。さらにもともと飼育室内にあった鏡や扇風機、機器を収納するボックスなどは、アクティブな2頭の前あしが届いて危険だということで、不要なものは撤去、必要なものについてはより高い位置に移動しました。

完成したパンダ舎室内の様子=2011年2月4日、(公財)東京動物園協会提供

 今後の繁殖を見据えて、繁殖期に使用する小運動場の仕切りも、オスとメスがお互いに匂いを嗅げるように、仕切り壁の下の部分を金属メッシュにしました。ほかにも子どもが生まれた時のために、何か工夫をされたのでしょうか。「スペースは確保していましたが、産室や哺育室などの準備は、交尾を確認してから行いました」。お産のための準備は、必要な時期を見極めてから行われたようです。

繁殖期にオリ越しに見つめ合う2頭=2012年3月26日、(公財)東京動物園協会提供

 そして施設に関しては、中国との協定で、施設の完成後に中国側の確認検査を受けることになっています。この合格基準が当時は曖昧だったため、本来は施設が完成してから検査を行うところを、工事の途中で一度中国側にチェックしてもらい、アドバイスを受けてから施設を完成させたそうです。

リフォームを終えた2代目パンダ舎=2011年2月4日、(公財)東京動物園協会提供

 こうして、パンダ舎のリフォームは2011年2月14日に完了。そして、2頭の来園が1週間後の21日だと、飼育担当者が知ったのは15日の午後でした。とってもスピーディーな展開です。こうして慌ただしく迎えられた2頭でしたが、3月11日には東日本大震災が起こり、上野動物園も長期にわたって休園が続きました。

 2012年には第1子となるオスの赤ちゃんが誕生しますが、その喜びもつかの間、6日ほどでミルクをノドに詰めて死んでしまいます。そしてその後、2代目パンダ舎では2度目の出産を見据えて、産室の設備の改良がなされ、2017年のシャンシャンの誕生へとつながっていくのでした。

空飛ぶパンダ・リンリンと豪快なセニョリータ・シュアンシュアン

 話しは少しさかのぼりますが、リーリーとシンシンが来日する以前、2代目パンダ舎にはオスのリンリンが1頭で暮らしていました。リンリンは1985年9月5日中国・北京動物園生まれ。1992年11月5日に上野動物園で生まれたユウユウ(オス)との交換で、上野動物園にいたメスのトントンのお婿さん候補としてやってきたのです。当時、すでに親子合わせて4頭のパンダがいて、ユウユウが中国へ渡るまでの1週間だけ、5つすべての部屋が満室となったことがありました。2代目パンダ舎が一番にぎやかだった時代です。

リンリンと交換で北京動物園へ行ったユウユウ=(公財)東京動物園協会提供

 リンリンは「空飛ぶパンダ」でもありました。中国にいる間に別の動物園やアメリカにも貸し出され、日本でメスのトントンが亡くなってからは、メキシコにあるチャプルテペック動物園のメスパンダと繁殖を試みるため、2001年から2003年までの間に3回もメキシコへ行っています。リンリンは生涯のうちで12回も飛行機に乗ったパンダなのです。

リンリン=2007年7月26日、(公財)東京動物園協会提供

 一方メキシコからは、2003年12月3日から2005年9月26日まで、メスのシュアンシュアンが来日し、繁殖を目指しました。ワシントン条約加盟以前に中国からメキシコに贈られ、メキシコ国籍を持つシュアンシュアンと、日本生まれのユウユウと交換で日本に来たため、日本国籍を持つリンリン。この時、生まれた子どもの1頭目はメキシコに、2頭目は日本にと取り決めをして、中国国籍以外のパンダの繁殖を目指していました。

シュアンシュアン=(公財)東京動物園協会提供

 ただ、パンダのメスはオスの好みにうるさく、一度お見合いがうまくいかないと二度と交尾ができないと言われています。結果的にリンリンとシュアンシュアンのお見合いは失敗に終わりました。シュアンシュアンは、来日した日に、運動場の竹をなぎ倒して回ったという豪快なセニョリータ。おだやかでやさしかったというリンリンでは、少し物足りなかったのかもしれませんね。2頭の間では何度か人工授精も試みられましたが、残念ながらうまくはいきませんでした。

とても活発だったシュアンシュアン=(公財)東京動物園協会提供

 2005年にシュアンシュアンが帰国し、2008年4月にオスのリンリンが亡くなると、パンダ舎はあるじ不在の状態が続きました。そして、パンダがいなくなったことで、上野動物園の入場者数も大きく落ち込みました。そして、上野と言えばパンダの街。そのパンダがいなくなったことで、街全体が寂しさに包まれてしまいました。そこで、上野の各商店街などで構成される上野観光連盟が「パンダに会いたい」という、付近の幼稚園や小学校の子どもの声を集めて、当時の東京都知事だった、故・石原慎太郎氏に陳情。こうして、新たにリーリーとシンシンの来日が決定したのです。

<参考資料>

  • 公益財団法人東京動物園協会・恩賜上野動物園『つなぐ ジャイアントパンダ飼育の50年【抄本】』2023年

  • 倉持浩『パンダ物知り大図鑑 飼育からわかるパンダの科学』誠文堂新光社、2011年

  • 黒柳徹子・選、日本ペンクラブ・編『読むパンダ』白水社、2018年

  • 上野動物園ジャイアントパンダ情報サイト UENO-PANDA.JP 「熊猫新聞(パンダニュース)~飼育係レポート~2011年3月25日付」

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■筆者プロフィール

二木繁美(にき・しげみ)
パンダがいない愛媛県出身で日本パンダ保護協会会員。パンダライター。アドベンチャーワールドの明浜めいひん優浜ゆうひんの名付け親。一眼レフを片手に、多いときには1度に1700枚ほどのパンダの写真を撮影。著書に、神戸のお嬢様と呼ばれたパンダ・タンタンの日常を伝える『水曜日のお嬢様』、マニアックな写真と観点からパンダの魅力を紹介する『このパンダ、だぁ~れだ?』がある。