見出し画像

「誰にも奪えない」「自分にしか書けない」自分だけの言葉を大切にした新人作家ふたりの眼差し

「心がふっと軽くなった」「共感しかない」「清々しい気持ちになった」といった感想がSNSやnoteに寄せられたふたつの作品。

 2024年1月に初のエッセイ集『置かれた場所であばれたい』(以下、『置かあば』)を刊行した潮井エムコさんは、書くことが苦手だったという。

 初めて書いたエッセイは、高校の家庭科の授業のこと。クラスメイトと“結婚”して、子どもに見立てた卵の面倒を見る。女子高生のドタバタした日常描写に笑っていると、いつのまにかほろりとさせられる。

 4月にデビュー小説『クリームイエローの海と春キャベツのある家』(以下、『クリキャベ』)を刊行したせやま南天さんが、初めて書く中編小説のテーマに選んだのは、家事だった。

 仕事で挫折を味わい、家事代行で働き始めた主人公・永井津麦と、津麦の勤務先の、5人の子どもを育てるシングルファーザー・織野朔也一家。津麦と朔也、そしてその家族、それぞれが抱える問題が浮き彫りになり、丁寧に解きほぐされていく物語だ。

 そんなふたりが、書くことに込めた思いや、創作をはじめたきっかけについて語り合った。

せやま南天さん(左)/潮井エムコさん(右)

■異なる世代がお互いに思いやって、歩み寄るためのきっかけになれたら

潮井エムコ(以下、潮井):私は昔から、物語を書かれる方の思考に興味を持っていました。私は私でしかないから、私じゃない人を想像してなんて書けないと思ってしまうんです。

 でも小説や漫画は、たくさんの違うタイプの人物が登場して、それぞれに一個の人格を持たせて、その人たちが絡み合うことで物語を展開させていくじゃないですか。作者の頭の中はどうなっているんだろうという疑問がずっとあったので、以前漫画家さんとお話しする機会があった時に尋ねてみたんです。そうしたら、「全部自分です」とおっしゃっていて。

せやま南天(以下、せやま):うんうん、そんな感じです。自分の一面を切り分けたり、安富さんみたいに自分がいてほしかった人物を登場させたりしています。

潮井:やっぱりそうなんですね。物語ってそういうふうにできているんですね。『クリキャベ』に出てくる人はみんないい人だから、せやまさんを切り分けて人格を与えていると思うと、膝を打つというか。

 津麦も、津麦のお母さんも、織野朔也も、みんなちょっとずつせやまさんで、一人ひとりを救ってあげたいと思いながら書いていたんだろうなと思ったので。ものすごく嫌な人は出てこなかったから。

せやま:いつか書きたいです、ものすごく嫌な人。今は難しいかもしれないですが、いずれ挑戦したい。

潮井:あ、本当ですか。せやまさんの書くものすごく嫌な人、読んでみたい。

──津麦のお母さんは、嫌な人というわけではないけれど、津麦に対しては抑圧的な存在として描かれていたかもしれないですね。

せやま:私たちの世代(30代)は、しっかり家事をする母親の背中を見て育った世代だと思います。なので、「自分もあれぐらいがんばらなきゃ」と思っている人が多いことは、以前から感じていました。

 もし届くのであれば、上の世代の人にも読んでもらって、下の世代がなにを感じているかを知ってもらい、下の世代は、上の世代がどんな人生を歩んできたかを思いやって、お互いの歩み寄りのきっかけにしていただけたら、とてもうれしいなと思います。

撮影/佐藤創紀

 母はいつだって、何かに憑かれているように家事をしていた。
 掃除機がけ、水回りの掃除、洋服の洗濯、朝夕の食事づくり、それだけが母の仕事ではなかった。毎日のように照明器具を磨き、床を雑巾で水拭きし、そのあとに乾拭きをし、窓ガラスも同じように拭き、テレビも鏡も、くすみ一つなく、くっきりと世界を映し出していた。(中略)
 その母の背中を、津麦はいつも食い入るように見つめていた。
 ――どうしたらおかあさんは、私のことを見てくれるんだろう。
 本当は他愛もない出来事をただ、母に聞いてほしかった。

『クリームイエローの海と春キャベツのある家』より

『クリキャベ』を書いている時は、年齢や性別に関係なく、「生活をがんばっている人」に届いてほしいと思っていました。織野朔也のポジションを女性でなく男性にしたこともそうなんですけど、津麦と似た境遇の人だけでなく、男性や、もう少し年上の方にも読んでいただけたらうれしいです。

■自分自身が感じたことや考えたことは、誰にも奪えない

──潮井さんは、『置かあば』をどんな人に読んでほしいですか。

潮井:私の場合は、人にはみんな、その人にしかわからない思いや、その人のなかにしかない真実みたいなものがあると思っているんです。たとえば『置かあば』にも入れましたが、私の名前の由来を書いたエピソードは、SNSで「嘘だ!」と言われたこともありました(笑)。

撮影/佐藤創紀

「エムコちゃんの名前は亡くなったおばあちゃんからもらったんだよ」
 だが、祖母の名前は私の本名とはかすりもしていない。私は元気な祖父がついにボケたと嘆き、その言葉を真面目には受け止めず「そうなんや」とだけ返した。(中略)
 そんな祖父も私が中学生の時に亡くなった。
 法事や盆などで親戚が集まるたびに、亡くなった祖父母の話題になった。叔母たちが、
「母さんは昔から周りの人にエムコさん、エムコさんって呼ばれていてね」
 と話しているのを耳にし、私は叔母のもとへすっ飛んでいった。
「それなんやけど、なんで違う名前で呼ばれてたん?」
「お母さんは戦時中スパイをしてたから、周りの人はその時の名前でエムコさんって、呼んでいたのよ」
私はぶったまげて言葉を失った。要するに私はスパイをしていた祖母のコードネームをもらったというわけだ。

『置かれた場所であばれたい』より

 でも、書いて公表していないだけでみんな絶対にあると思うんです。ありのままに書いたら信じてもらえないような、ドラマチックなできごとが。そのなかで感じたことや考えたことは、誰にも奪えない。誰かにわかってもらえなくても構わないんです。自分だけのものだから。

 自分はつまらない人間だとか、人に話せるようなことは何もないと思っている人もけっこういると感じるんですけど、全然そんなことないと私は思っています。そんな人に限って話を聞くととんでもなくおもしろかったりしますし。

 私は10代に濃厚な思い出がたくさんあって、それを書いていることが多いですが、もっと年齢が上の方であればそのぶん人生経験もたくさんあると思うので。そうした方を含めこの本を読んで、「自分にもこういうことがあったな」と思い出してもらえたらうれしいです。

■文章が苦手だった自分が、初めて書いたエッセイで大バズり

──おふたりは何をきっかけに書き始めましたか。

せやま:私は、友人の結婚式でスピーチを頼まれたんです。こんなこと一生で一度だろうと思ったので、小学生で出会った時からのことを物語風に綴って、スピーチしたんですね。そうしたら、友人の親御さんに「せやまさん、小説家になってな」と言われたんですけど、「そういえば私、中学生の時に、小説家になりたいってその友人に言っていたな」と思い出して。

 しばらく寝かせていたんですが、書きたい気持ちが深まってきたタイミングでnoteを始めました。最初から小説は難しそうだったので、日記やエッセイから始めました。

潮井:そのご友人の親御さんに、「小説家になりました」というご報告は?

せやま:しました! 友人経由で。「なると思ってたわ」と言われました。

潮井:わあ! 私がその親御さんのポジションだったら、めっちゃ古参ぶると思います。「知ってた、昔から目をつけてた」みたいな。

せやま:ははははは。

潮井:ご友人ももちろんですけど、ご友人のご両親もうれしかっただろうなと思っちゃいました。

せやま:はい、本当にそんな感じで。喜んでくれました! 潮井さんが書き始めたきっかけはいかがですか?

潮井:私は、本当に文章を書くのが苦手で。書き始めた時は、いろんなできごとが重なったんです。転職をして仕事を探している時期でもあったし、読書なんてしなかった私がめずらしく本に触れた期間でもありました。

 いろんなタイミングが重なって、やっぱり文章が書けないと困るなという、当たり前の壁にぶつかったんです。履歴書の自己PR欄を埋めるのにも何時間もかかってしまって、「せめて、自分の思っていることを自分の言葉で伝える技術を身につけたい」と思って。

 じゃあちょっと書いてみるかということで、印象に残っていた思い出話を書いてSNSに上げたら、それが一晩で十何万件とリポストされるくらいバズって、今に至ります。

 だからもう、ずっと戸惑いと不安のなかで書き続けています。これでいいのだろうか、次も読んでもらえるのだろうかって。コツコツと読者を増やしてきたのではなく、初めにたくさんの人に読んでもらえたから、かえってどうしたらいいかわからなくて。

 本当に不思議なルートを歩んできたなって我ながら思うんですけど。でもやっぱり読者さんの反応がうれしくて、読者さんに育てていただいたなという気持ちがずっとあります。

せやま:そういう潮井さんだから、読書が苦手な人にも楽しく読んでもらえるような文章が書けるんだろうなと思います。

潮井:そうだったらうれしいですね。私は、自分がnoteで書くようになって初めて、こんなにも熱を持って書いている方がたくさんいることを知ったんです。

まるで対談しているような2冊(撮影/佐藤創紀)

■自分にしか書けないものが誰にもきっと一つはある

潮井:創作大賞(note主催の創作コンテスト)でデビューされたせやまさんは、どういう小説を書くかとか、どういう表現で書くかということを、ご自身で切り開いてこられたと思うんですが、作品をつくる上での心構えを教えてもらえますか。

せやま:私も本当に、自分は特別な人生を歩んできたわけではないし、平凡な人間だと思っていて。

 でも、潮井さんがおっしゃったように、どんな人でも、自分にしか書けないものがきっと一つはあって。それがなにかを突き詰めて、熱を持って取り組めば、きっと誰でもなにかしらいい作品が描けるんじゃないかなと思っています。

潮井:答えが見つからない時は、どうやって乗り越えていますか? というのは、エッセイを本にすることになった時に、「作品として完成させるための答えって私のなかにしかないから、誰にも頼れない」と思ったんです。

 今はまだ見つかっていないけど、絶対にあるはずの答えを探すという作業をした時に、こりゃ大変だと思ったんですね。

せやま:何度も書き直して、しっくりくるものを探します。どうしても書けない時は、無理して書かずに、散歩したり料理したりしながら、思いついたものをとにかくスマホに書き留めて、もう一回パソコンに向かって、これってこういうことだったのかなと整理したり。

 でも、エッセイは、それこそ自分のなかにしか答えはないけど、小説だと、この人物だったらこう考えるだろうみたいなことで、たどりつけるところもあるかな。

潮井:最終的に「これ!」と決める時の決め手は?

せやま:感覚です。バチッとくるかどうか。

潮井:自分のなかでバチッと決まったところは、編集の方はどういう反応をなさってましたか。

せやま:そういうところは絶対にオーケーをもらえましたね。逆に、もやっとしたまま「これでいいか」みたいな感じで出すと、絶対に「ここはちょっと」と言われます。なんでバレたんだろう、みたいな(笑)。

*  *  *
「感じたことや考えたことは、誰にも奪えない」という潮井さんの言葉を受けて、「自分にしか書けないものがきっと一つはある」と語ったせやまさん。

 書き始めたきっかけも、悩みもそれぞれだけれど、「自分にしか書けないもの」を探し続けたふたりが、お互いを尊重しあい、共鳴するかのような対談は、初対面を感じさせないあたたかな雰囲気があった。

 書くということと真剣に向き合ってきたふたりの作品もまた、優しいあたたかさであふれている。

潮井エムコ(しおい・えむこ)
1993年4月1日生まれ。高校時代の思い出を綴ったエッセイをnoteにアップしたところ、SNSでも拡散され、累計30万を超える「いいね」を獲得。2024年1月に初のエッセイ集『置かれた場所であばれたい』を出版。

せやま南天(せやま・なんてん)
1986年京都府生まれ。noteをベースに執筆を始め、「家事」をテーマに執筆した小説『クリームイエローの海と春キャベツのある家』で、創作大賞2023(note主催)朝日新聞出版賞を受賞。2024年4月に刊行された。