初七日と四十九日は何のためにあるの? 死後のスケジュールとは
人が亡くなった後に執り行われる、初七日や四十九日。いったい何のために行うのか知っているだろうか? 幼少時から閻魔王の存在に興味をもち、地獄について研究してきた国文学者の星瑞穂さんが著書『ようこそ地獄、奇妙な地獄』(朝日選書)で明かした死後のスケジュールとは?
罪の深さを裁く閻魔王がいるのは実は、地獄ではなくその手前だ(この世界を「あの世」と「この世」の境目として「中陰(ちゅういん)」や「中有(ちゅうう)」と呼ぶ)。
閻魔王は、「あの世」を司る10人の王、「十王(じゅうおう)」の1人だ。この十王が亡者を裁き、その罪の深さに応じた罰を定める。裁判で最も重い判決こそ「堕地獄(だじごく)」で、罪の重い亡者ほど地獄の下層へと送られることになる。
「中陰」にいるあいだに行われる裁判は、十審制。10回も裁かれるとはハードだが、この一連の裁判によって来世での処遇が決まるのだから、むしろ慎重かつ丁寧な審理が用意されているともいえる。
全10回の裁判のスケジュールと、担当する十王は次の通りとなる。
死後7日目/初七日(しょなのか)/担当十王:秦広王(しんこうおう)
死後14日目/二七日(ふたなのか)/担当十王:初江王(しょこうおう)
死後21日目/三七日(みなのか)/担当十王:宋帝王(そうていおう)
死後28日目/四七日(よなのか)/担当十王:五官王(ごかんおう)
死後35日目/五七日(いつなのか)/担当十王:閻魔王
死後42日目/六七日(むなのか)/担当十王:変成王(へんじょうおう)
死後49日目/七七日(しょなのか)/担当十王:泰山王(たいざんおう)
死後100日目/百か日/担当十王:平等王(びょうどうおう)
死後2年目/一周忌/担当十王:都市王(としおう)
死後3年目/三回忌/担当十王:五道転輪王(ごどうてんりんおう)
審理は死後、7日ごとに行われる。死後7日目の最初の審判こそが「初七日」と呼ばれる日だ。
現代でも「初七日」の供養の風習が残っている地域は多いが、これには遺族が死者に対して、最初の審理を乗り切ることを祈り、秦広王に死者の減刑を請願するという目的がある。
そして第7回の審判である「七七日」までがひとつの区切りとなる。7日ごとに行われる審理の7回目なので、7×7=49日、つまりこれがいわゆる「四十九日」の法要である。
全部で10回の審判のうち、実は残る3回はいわば再審に相当し、基本的には7回目の泰山王の決定によって結審する。現代でも「49日」の法要を、死者を悼むひと区切りとするのはこのことが由来となっている。考えてみれば、35日目の審判をする閻魔王よりも、結審を司る泰山王のほうが死者にとっては重要な王といえるかもしれない。
『春日権現験記(模写)』国立国会図書館蔵 明治3年写(原本は鎌倉時代に制作)/地獄の様子を描いた場面。右から鬼に追い回される亡者、岩盤に圧し潰される亡者、杵で突かれている亡者が描かれている
「百か日」「一周忌」「三回忌」の法要もそれぞれ平等王・都市王・五道転輪王の審判に当たり、遺族が死者の減刑を望むものに他ならない。そして、十王たちは、死者の生前の行いから罪の軽重を量ると同時に、遺族からどれほど供養されているかも審理の対象とする。重い罪を犯していても、遺族から手厚い供養があれば、多少の減刑がなされる。現代風にいえば、情状酌量といったところだろうか。
これについて研究者たちは、「十王経」自体、遺族に複数回の法要を行うよう説く目的で成立したものと考えている。細かいスケジュールが決まっているのは、実は亡者のためではなく、遺された者たちが法要を行うことにより、仏教と深く結びつくようにするためなのだ。そしてそれはもちろん、死者への思いを深くすることも目的とし、遺族のグリーフケアも兼ねそなえていたと言えるだろう。
『預修十王経』も『地蔵十王経』も「偽経」(「擬経」とも書く)だということがわかっている。
「偽経」とは「梵文(サンスクリット語の本文)」を持たない経典のことで、仏教の成立以後、中国や日本で勝手に作られた経典のことである。
だが「なんということだ、私たちは僧のお金儲けのために騙されて法要をやらされていたのだ!」
――などと早まってはいけない。
「偽経」というのは「ニセモノ」という意味ではなく、「後世に作られた」という意味であって、決して悪意あって作られたことを指すわけではない。「十王信仰」が生まれていく、その時代の機運の中で、誰かが遺族にとっての必要性を感じて編集したものだ。仏教においては、生前に善い行いをして功徳を積むことが重要視されるが(仏教に限らず世界的な宗教は大抵がそうだろう)、日々行われる仏事をわかりやすくマニュアル化したのである。