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「仏教文学の新しいジャンルを切り拓いてきたと言ってもいい」伊藤比呂美さん話題の単行本がついに文庫化!/『いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経』曹洞宗僧侶・藤田一照さんによる文庫解説を公開

 伊藤比呂美さんによる、20年にわたる仏典新訳の集大成『いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経』(朝日文庫)が、2024年7月5日(金)に発売されました。
 母と父、夫、老犬を看取ってきた伊藤さん。つまずく日々に生きるよすがとしてのお経に出あい、著者ならではのお経の「語り」が練り上げられていきます。「生きる」「死ぬる」の思索を重ねてきた日々を綴ったエッセイと、詩のように声に出して読みたくなるお経とが、1冊のなかに並びました。
 文庫発売によせて、「お経とパーソナル・エッセイ、この組み合わせが絶妙」と評する、曹洞宗僧侶の藤田一照さんによる文庫解説を掲載します。

伊藤比呂美著『いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経』(朝日文庫)
伊藤比呂美著『いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経』(朝日文庫)

 伊藤比呂美さんは、「ひろみ」と呼ばれると快感を感じると言う。だから、僕は彼女のことをいつも「比呂美さん」と呼ぶことにしている。僕と比呂美さんは二〇一四年八月一日の夜、名古屋市内のとある居酒屋で初めて顔を合わせた。僕が一九五四年生まれ、彼女が一九五五年生まれだから、その年、僕は還暦を迎え、彼女は還暦一年前というタイミングだったことになる。お互いいい歳になってからの邂逅かいこうだ。もっとも僕の方は、東京大学の駒場の学生だった頃から彼女の存在を知っていた。身体や性、セックスをテーマに過激でユニークな詩を書く「伊藤比呂美」という名前の女子大生が青山学院大学にいるということを風の噂に聞いていたのだ。しかも、僕と同じ灘高校出身で同学年の優秀な生徒として名前もよく知っている男性と付き合っているらしいというオマケもついていた。インターネットなど影も形もない時代に、現代詩に関心があるわけでもなく、青学に縁もゆかりもなかった僕にいったいどういう経路でそんな情報が届いたのだろう、まったく記憶に残っていない。今から思えば不思議な話だが、そのくらい比呂美さんが有名だったということなのだろう。

 当時二十代はじめのわれわれは、これからどう生きていくかを、時代の流れに抗うようにしてそれぞれのやり方で模索していた。僕が二十代の終わりに大学院を中退して禅僧になったりしなければ、そして彼女が人生のもがきの中で仏教に興味を持ったりしなければ、お互いが知り合うことなどきっとなかっただろう。しかし、それから四十年近い時を経て、真宗大谷派名古屋別院が主催する夏の暁天講座に二人が講師として呼ばれる(彼女が初日、僕が二日目)というまさに有難い「仏縁」によって二人の人生の軌道が交差したのだ。それ以降、朝日カルチャーセンターの講座で何度か対談したり、『禅の教室』(中公新書)という対談本を作ったり、彼女の早稲田大学の授業で話をさせてもらったりと、いろいろなところでご一緒することになるのだから、人生とはまことに「異なもの、味なもの」である。

 本書は、比呂美さんの二十年にわたる仏典新訳の集大成として二〇二一年に単行本の形で刊行された。その年の「熊本日日新聞」十二月一九日付日曜版の書評欄にこの本の書評を書かせてもらったことがあるが、正直なところ、この本には僕の下手な解説など文字通り「いらずもがな」だと思っている。ただひたすら彼女の言葉の海に浸ってもらえたら、それでいい。だから、解説というより、長めのPOP(Point of purchase advertising)として読んでいただきたい。

 彼女はあるインタヴューの中で、「お経の語りが面白い。自分の言葉にしたくなった。詩人の征服欲ですね」ととても正直に語っていた。この本にも「そもそもお経でいちばん惹かれたところは、それが語りだという点だ。詩人のわたしが詩を書く上で、ずっと追いかけてきた詩と語りの融合体、能も説経節もその中に入るのだが、そういうものを作りたいとずっと考えてきたのだが、お経というのもまったくその一つだと思い至った」と書いている。

「経」(サンスクリット語で「スートラ」、パーリ語で「スッタ」、「経」はその漢訳語)というのは、釈尊の説法、つまり、人々への「語り」を記したものなのだから、確かに比呂美さんの言う通りなのである。ところが、日本では、お経は「語り」として扱われていないのが現状だ。多くの場合、中国語の原文が日本式に音読みされてそのまま棒読みで読経される。文字でどう書かれているかを見ていなければ、読経を聞いただけでは意味を理解することができない。だから、それが自分に向かって釈尊が語りかけている「語り」だとはとても思えないのである。

 たとえば、『自我偈』と呼ばれている『法華経如来寿量品偈』の冒頭は、日本ではしばしば「じーがーとくぶつらい しょーきょうしょーこうしゅー むーりょーひゃくせんまん おくさいあーそうぎー じょうせっぽうきょうけー むーしゅーおくしゅーじょう りょうにゅうおーぶつどう にーらいむーりょうこう」と棒読みで唱えられる。これでは、その音声を楽しむことができるかもしれないがたいていの人にはその意味はわからないだろう。その読み方は、日本語でもないしましてや中国語でもないからだ。

 またたとえ、この漢文を日本語として読み下しにして、「我 得仏してよりこのかたたる所のもろもろの劫数は 無量百千万億載阿僧祇なり 常に説法教化し 無数億の衆生をして 仏道に入らめ 爾来無量劫なり」と読みあげられるのを聞いても、漢文によほどの素養がある人でないと理解するのは難しい。なんとなく有り難さは感じられるかもしれないが、今のわれわれにはあまりにも古風すぎて親しめないのである。こうしてお経は縁遠いものになってしまった。耳で聞いて心で味わう語りではなく、目で見て頭で理解する書物になっているのだ。

 この一節を比呂美さんが現代日本語に訳すとこうなる。「私が目ざめてからこのかた 長い長い時間が経った。無限にちかい時間だった。その間私はたえまなく法を説いてまわり 心あるもの生きるもの 無数億のかれらをみちびいて 真理の道に入らせた。それからまた長い長い時間が経った」

 つまりわれわれ日本人は、『自我偈』の冒頭を少なくとも①原文を音読みで棒読みする、②漢文読み下しで読む、③現代語訳で読む、という三つの読み方で読むことができるのだ(今ではもう一つ、外国語、たとえば英訳されたものを読むという選択肢もある)。試しにそれぞれを声に出して読んでみてほしい。どんな「感じフィーリング」や「味わいテイスト」の違いがあるだろうか? 語りとしてのお経には、単に言葉の意味が伝わるということだけではなく、言葉がまとうそういういわく言い難い何かがとても大事なのだ。どれがいいとか悪いとか優劣や正誤を問題にしているのではない。どの読み方も、それぞれにいいのだ。こんないろいろなお経の読み方ができる国は他にはない。それはとてもラッキーなことだと言うべきだ。

 ただ、われわれはこれまで、今という時代を生々しく生きている自分が普段話している日本語で語られたお経に親しむことが、あまりにも少なかったのではないかと思うのだ。漢訳仏典の見事さに頼りすぎて、自分に向かって確かに語られていると感じられるようなお経の言葉を紡ぎ出す努力を怠ってきたのではないか。比呂美さんは「素人としてお経を読んでいて、いちばん気になったのは『阿弥陀』『観音』『回向』などと、長い年月使われてきたことばがまるで符牒みたいになって、それさえあれば、人は仏教的と思い、ありがたいと思い、ホントに大切な根本を解ろうとせずにほったらかしてしまうということでした」とズバリ書く。僕には言い返す言葉がない。ずっとブラックボックス化したままの仏教の言葉たちを、これから開いていかなければならない。

 しかし、彼女は一方では「ひとつひとつのことばを、聞けば、だれでもたちまち解るように、徹底して開いていくというのも大切だけど、開かないというのも大切なことだったんだと、長い間考えているうちに解ってきたのでした」とも言っている。この開くか、開かないかという緊張関係の中から苦心惨憺さんたん、伊藤比呂美ならではのお経の語りが練り上げられてきたのだ。そうやって彼女は、仏教文学の新しいジャンルを切り拓いてきたと言ってもいいし、詩の新しい形式を作り出したと言っても言い過ぎではないと僕は思っている。お経の間に置かれている数々の身辺エッセイは、僕には語りのBGMのように聞こえてくる。お経とパーソナル・エッセイ、この組み合わせが絶妙である。

 僕が属している曹洞宗で枕経まくらぎょう(僧侶が故人の枕元で読み上げるお経)として読む『仏遺教経』(ブッダが亡くなるとき弟子たちに端的に教えを説かれた経典)を比呂美さんが取り上げて見事な現代語のお経によみがえらせている。本書の中で僕がいちばん心打たれたお経だ。危篤状態の人や亡くなった直後の故人は、きっとこういう言葉で語りかけられたいに違いないと思わされるものだった。「きみたち僧は、ひたすら励めば、できないことは何もないのだ」、「いいか。怒る心は燃えさかる火よりもおそろしい」といった具合に繰り返される「きみたち僧は」や「いいか」がとても効いている。「はい。ブッダよ、わかりました」と応じたくなるではないか。

 お経によく出てくる仏弟子のシャーリプトラは、カタカナだと「恐竜の名前みたい」に見えるので「しゃーりぷとら」とひらがなで表記するのが比呂美さんの「趣味」だ。なるほど、ずいぶん印象が違ってくる。これからもどんどんその「趣味」のままに、仏教の古典(わがままを言わせてもらうなら、特に、われわれの対話が中途挫折した道元の『正法眼蔵』)を「詩みたいなもの」に転生させていってほしい。しかし、もうそろそろ、たとえばスモーキー・ベアを大日如来の生まれ変わりとして描き、環境問題を仏教経典の形で表現した『スモーキー・ザ・ベア・スートラ』を創作した詩人のゲイリー・スナイダーのように、比呂美さん自身がお経を創作してもいいのではないかと勝手な期待をしている。彼女の中に沈殿してきたたくさんの「これまでのお経」の言葉がじっくり発酵して、芳醇な香りと味を持った新しい「これからのお経」が出来上がるまで自分は長生きしたいとマジで思っている。かつて紀元前後の頃に興った大乗仏教が、膨大なまでの新しい経典を制作したように、現代という時代はふたたび新しい経典を待望しているのだ。