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「論破」は無意味?意見が対立したときにすべきなのは「前提を共有する」こと

 自分の意見を通したいと思うとき、どうすれば相手を納得させることができるのだろうか? 力ずくで論破しようとしても、相手の納得は得られない。「探究型学習」の第一人者である矢萩邦彦さんは、著書矢萩邦彦著『自分で考える力を鍛える 正解のない教室』(朝日新聞出版)の中で、意見が対立する要因と解決策を提示している。本から抜粋して紹介したい。
(タイトル画像:bobmadbob / iStock / Getty Images Plus)

矢萩邦彦著『自分で考える力を鍛える 正解のない教室』(朝日新聞出版)
矢萩邦彦著『自分で考える力を鍛える 正解のない教室』(朝日新聞出版)

 この世界に、まったく同じものは存在するでしょうか? 中学生のころ、同級生にそんな問いを出されたことがあります。ぼくは「まったく同じものなんてあるはずがない」と答えたのですが、その場にいたぼく以外の全員が「同じものはある」と言うんですね。

 原子と原子はまったく同じだというんです。

 ぼくは、人間がまだ発見していないような違いがあるはずだし、そもそも同じ原子は重なって存在できないはずだから位置情報は違うというようなことを主張しましたが、「物理の教科書をちゃんと勉強しないからだ」と言われてしまい、結局議論は平行線(というか、ぼくが一方的に間違っているということ)で終わってしまいました。

 このときの気持ちはずっとモヤモヤと残っていて、それはたくさんの本を読む一つのきっかけになりました。いま思えばとても生意気ですが、ぼくは自分の考えは間違っていないという直観がありました。でも、ちゃんと説明ができず、共感してもらえなかったわけです。

 たしかに多くの本に原子と原子は同じだと書いてあります。変な話ですが、ぼくもそのほうが分かりやすいことが多いなと思います。でも、同じじゃないとも思っている。完全に矛盾しています。

 中国の古典『韓非子』にある、楚の国の武器商人が「この矛はどんな盾でも貫き、この盾はどんな矛をも通さない!」と宣伝したところ、「では、その矛でその盾を突いたらどうなるのか?」と問われて答えられなかったという故事が「矛盾」の語源です。矛盾とは、つじつまが合わないこと、筋が通らないこと、論理的にあってはならないことです。

 では、「同じであるけれど同じではない」をつじつまを合わせて論理的に説明することはできるでしょうか? 「万物の根源は原子である」という原子論を唱えた古代ギリシャのデモクリトスは、同じような矛盾に立ち向かった哲学者でした。次の図を見てください。

 上の図のように円すいを半分に切ったとき、断面Aと断面Bの面積は同じでしょうか? それとも違うでしょうか? この問いもいままでたくさんの人と考えてきましたが、「同じ」という意見と「違う」という意見はだいたい半々くらいです。

 同じ派の意見は「断面なんだから面積は同じ」というもので、違う派は「まったく同じなら円柱になるはずで、ほんのわずかでも上が小さいはず」というものや、「刃物には厚さがあり、切った際に必ずすこし削れるはずだから上のほうが小さい」という意見が多いのですが、どうですか?

 どちらの意見も納得がいくものですよね。議論してもらうと、やっぱり平行線になってしまいます。この問題には、簡単な解決方法があります。それは、論理的に考えたり意見を伝えたりするために最も重要なことなのですが、「前提を共有する」ということです。

 つまり、「数学的には同じだけれど、物理的には違う」、あるいは「理論的には同じだけれど、現実的には違う」と言えばよいんです。

 人は論理的に感じるかどうかで正しさを判断しがちなのですが、そのときに前提を伝え忘れることが多いんです。だから中学生のぼくも原子同士は「物質的には同じだけれど、空間的には違う」というふうに言えばよかったんですね。

 もう一つ例を挙げます。ぼくが小学生のときにどうしても納得がいかなかったことに、こんな問題があります。「3分の1」を小数に直すと、「0.3333……」と永遠に続きます。では両方に3をかけるとどうなるでしょうか?「1」と「0.9999……」になります。この二つを同じといってよいでしょうか?

 ぼくはこれが気持ち悪くて、しばらく算数嫌いになってしまったのですが、数学的にはこれを同じということにしないと成り立たないんです。線や断面には、幅や厚さがないものとする、というのも数学的に考えるための抽象化の一つといえます。メリットがあるのでそういうことにしようという前提なんですね。

 それぞれの立場や前提の違いを分かり合えば、正反対の意見を持っていてもケンカにならず、平和共存への道が開けるのではないでしょうか。

矢萩邦彦(やはぎ・くにひこ)
「知窓学舎」塾長、実践教育ジャーナリスト、多摩大学大学院客員教授。大手予備校などで中学受験の講師として20年勤めた後、2014年「探究×受験」を実践する統合型学習塾「知窓学舎」を創設。実際に中学・高校や大学院で行っている「リベラルアーツ」の授業をベースにした『自分で考える力を鍛える 正解のない教室』(朝日新聞出版)を3月20日に発売

(構成:教育エディター 江口祐子/生活・文化編集部)