シャンシャンも暮らした2代目パンダ舎【上野動物園ののんびりパンダライフ<第1回>】
2023年10月に中国・四川省にある中国ジャイアントパンダ保護研究センター雅安基地でシャンシャンの一般公開が始まりました。シャンシャンが公開されると、現地へ会いに行くファンが増加するなど、パンダ熱は止むどころかますます高まっています。くわえて中国でも、和花や萌蘭などのスターパンダの登場で、パンダブームが起きています。
ジャイアントパンダ(以下、パンダ)が日本にやってきてから50年以上、パンダの飼育も時代に合わせて変化しいます。今回は、日本で初めてパンダを飼育した恩賜上野動物園・副園長の冨田恭正さんに、これまでのパンダ舎や飼育の歴史などについて教えていただきました。
パンダ舎リニューアルのきっかけはトントンの“おてんばっぷり”だった?
「2代目パンダ舎」が完成したのは、1988年4月16日のことです。2年前にフェイフェイとホアンホアンの間にトントンが生まれたことから、3頭は2代目パンダ舎へと移りました。
初代パンダ舎は手狭になったことに加えて老朽化も進んでいたため、改修ではなく、別の場所に新しく、より広いパンダ舎が建て替えられたのです。このパンダ舎は、リーリーとシンシンの来日に合わせて改修され、シャンシャンが中国へと渡った2023年2月まで使用されました。
2代目パンダ舎では、上野生まれのおてんば娘として人気だったトントンのほか、トントンの両親と弟のユウユウ、日本では当時の最高齢22歳まで生きたリンリンなどが暮らしました。ただ、2008年4月30日にリンリンが死亡すると、2年10カ月ものあいだパンダ不在の状態が続きました。
2011年2月21日、上野動物園にやっとパンダが還ってきました。シャンシャンや双子の両親である、リーリーとシンシンです。2頭の来日あわせて、2代目パンダ舎も構造はそのままに、内装や設備の改良を行いました。(この時の改良については、また後の回で詳しくご紹介します)
ところが、来日から1カ月もたたない3月11日に東日本大震災が起こり、上野動物園も休園となるなど目まぐるしい日々が続きました。そんな中、2012年には第1子となるオスの子どもが誕生しますが、6日ほどで死んでしまいます。その後、2代目パンダ舎では新たな赤ちゃんの誕生を見据えて、産室の設備の改良がなされました。
そのひとつが、母子が過ごす産室にある排水口です。冨田さんによると「産室の下は水やゴミを流すためにグレーチングをはめた四角い排水口がありました。これを廃止し、真ん中に小さな穴を開けてそこに水が流れるようにしました」とのこと。
グレーチングとは、排水口などでよく見かける格子状のフタ。「グレーチングのままだと、水と一緒に流れていった竹のかけらが格子に引っ掛かり、間から飛び出してしまって、子どもがケガをする危険があります。あとはスリットの部分に、子どものあしが落ちてしまうことがないようにとの工夫です」。飼育に携わる方々はこれまでの経験をもとに、さまざまな事態を想定して安全対策を行っていたのですね。
「もうひとつは産室の角の1カ所にスロープを設けて、母親が座りやすいように台座をつけました。ただ、シャンシャンを育てているとき、シンシンは角を使って休むことはありませんでした。もたれるとすればオリの部分で、どちらかというともたれずに座っていることが多かったですね」
なかなか人間の想像通りには、いかないようです。
シャンシャンの元気のひみつは飼育員さん手作りのアレ!
そして、2017年6月にシャンシャンが誕生します。「シャンシャンの誕生時、以前はオリで囲っただけだった産室の上を、ポリカーボネイトで覆いました。これは子どもが動くようになっても、上から出てきたりしないようにという処置です」。
ポリカーボネイトはポリカーボネイト材のひとつで、衝撃にも強く、強度はアクリル板の約30倍といわれています。おてんばなシャンシャンでも壊すことは、きっと不可能だったでしょう。
また、シャンシャンの成長にあわせて、屋内展示場に「木」を設置したそうです。よく座っていた二股の木ですね。「パンダの子どもは天敵から逃れるため、木に登る性質があります。シャンシャンもよく登ってくれましたよ」(冨田さん)
「生木は腐って壊れてしまうこともあるため、床にはめる枠を取り付けて、木を簡単に取り換えられるようにしていたんです」
確かに本物の木は水分で朽ちたり、爪で削れたりしますものね。シャンシャンは屋外に出るようになっても木に登るのが大好きで、飼育員さんは下ろすのにだいぶ苦労されたようです。
シャンシャンがよく使っていた設備といえば、この木のほかにファンから“シャンモック”と呼ばれたハンモックがありました。屋内展示場にあったものは、1歳の誕生日にプレゼントされたもの。よくできていたからか、時には母親のシンシンも一緒に乗っかっていました。
「ハンモックは飼育員の手作りで、消防ホースを使って作ります」。大きさは狭い方が子パンダが落ち着いて入ってくれるのか、ゆったりと広い方がよろこんで使ってくれるのか考えながら、実験的に変えることもあるそうです。しかし、みなさんとても器用ですよね。
両親は「パンダのもり」にお引っ越し。シャンシャンはひとり暮らし
そして、シャンシャンが3歳になった頃、都立動物園と水族園が目指す姿と、それを実現するための取組を示す「都立動物園マスタープラン」に基づいて、3代目パンダ舎となる「パンダのもり」が完成しました。東園の2代目パンダ舎にシャンシャンを残し、両親はパンダのもりへと引っ越します。
「シャンシャンは中国への返還が決まっていましたので、むやみに移動させませんでした。無用なストレスを与えたくなかったんです」
すでにひとり立ちしていたとはいえ、急に1頭になったことで、何か変化はなかったのでしょうか。そのような心配に対して、冨田さんは「ネガティブなものはありませんでした」とキッパリ。パンダはもともと単独で生活する動物なので、特に影響はなかったようです。
けれどもこの後、2020年から始まるコロナ禍によって返還時期が延期。シャンシャンはしばらく2代目パンダ舎で暮らすことになったため、古い設備の故障に備えて冷房設備を追加・補強することになりました。
シャンシャンは、一時、西園のパンダのもりの非公開エリアに移りました。このときは慣れない生活によって採食量が減り、一時的に体重が落ちてしまいましたが、健康状態には問題なし。いつもの飼育員さんたちのお世話や展示休止期間の延長によって、徐々に元のペースを取り戻すことができました。
中国へ旅立つシャンシャンの検疫のための工夫あれこれ
この冷房設備の補強は、中国へ渡る際に行われる検疫中の室温管理のためでもあったようです。「検疫では厳格な管理を求められます。入り口は1カ所に定めなければならないですし、世話をする人間も限られます。以前なら多少冷房が弱くても、窓を開けるなどの処置ができましたが、検疫中はできません」
検疫とは動物の病気の侵入を防止するために行うもので、ジャイアントパンダを日本から中国へ移動させる場合には、30日間の出国検疫が定められています。そのあいだは、外から病気が入らないように室内での管理となるため、窓を開けることができないのです。
しかし、窓を閉め切った結果、結露がひどくなって中が見えにくくなることもありました。「観覧の方々からお叱りをうけることもありました。みなさん長時間並んであの状態なので、とても申し訳ないと思っていました」
また、飼育エリアでは飼育員も防護服を着用して作業します。初めは防護服姿にとまどっていたというシャンシャン。防護服の一部を身につけた状態や、短時間だけ対面するなど、飼育員さんの工夫によってじきに慣れていったようです。
検疫では、いくつかの検査や投薬によってシャンシャンの健康状態を確認する必要があり、そのひとつが「胸部レントゲン撮影」でした。そのため、産室だった場所をレントゲン室に改装もしました。「確実にあの室内で検査が完結するようにしました。おかげでしっかりとレントゲン撮影をすることができました」。
こうして2023年2月21日。シャンシャンは中国へと旅立ち、2代目パンダ舎はその使命を終えることとなりました。その今後について、冨田さんは「東京都で整備することになります。教育施設にするという話もありますが、具体的なことはまだ決まっていません。ただ、建物自体は整備のために壊すことになると思います」と話してくれました。
上野の歴史、パンダたちの思い出も詰まった施設。なんだかもったいない気もしますが、ぜひ、教育施設として動物たちのことを知ってもらうために役立ててほしいですね。
次回は現在パンダたちが暮らす「パンダのもり」にスポットを当てます。お楽しみに!
<参考資料>
公益財団法人東京動物園協会・恩賜上野動物園『つなぐ ジャイアントパンダ飼育の50年【抄本】』2023年
■動物園を応援する会員・寄付制度のご案内
会費や寄付を通じて、(公財)東京動物園協会が運営する、都立動物園・水族館を応援する制度です。イベントや会誌の発行などを通じて、野生動物への関心を深めてもらうほか、野生生物保全活動の支援や教育普及活動にも取り組んでいます。