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手塚治虫の『火の鳥』が急激に売り上げを伸ばしている理由

 新型コロナの感染拡大が続く中、売り上げを急激に伸ばしているマンガ作品がある。マンガの神様と呼ばれた手塚治虫の『火の鳥』だ。特別編を入れると全12編にもなるこの長編シリーズ作品は、手塚作品の中でも最高傑作の一つと言われている。今、なぜ『火の鳥』に注目が集まり、多く読まれているのか。その秘密を、漫画評論家の中野晴行さんに紐解いてもらった。

 虫プロ商事が創刊した月刊漫画雑誌「COM」で、「火の鳥」の連載が始まったのは1966年12月のことだった。

 手塚治虫はそれ以前にも「火の鳥」と題した作品を2度発表していた。

 1954年から55年にかけて学童社の月刊誌「漫画少年」に連載した「火の鳥」黎明編と、1956年から17年まで講談社の月刊誌「少女クラブ」に連載した「火の鳥」エジプト編、ギリシャ・ローマ編だ。

「COM」版は、中断した過去の「火の鳥」への再チャレンジとして始まったものだ。その後、朝日ソノラマの「月刊マンガ少年」、角川書店の「野性時代」へと舞台を移しながら描き継がれたが、新章・大地編を構想中の1989年2月9日、手塚が胃癌で急逝したため未完のままとなった。

「漫画少年」版から起算すれば35年の歳月をかけたまさにライフワークだ。

「COM」版は女王・卑弥呼が邪馬台国を支配した時代を舞台に、その血を飲んだものは永遠の命を得るという伝説の鳥“火の鳥”を追い求める人々の葛藤を描く古代史ロマン・黎明編から始まる。連載第2回によせたエッセイ「『火の鳥』生と死」で手塚は、この作品を「生と死の問題をテーマにしたドラマ」と明言している。

 生と死の問題を描こうとしたバックボーンには、かつて手塚が医学生だったときの記憶があった。研修医時代に何度も患者の死に立ち会った手塚は、死との戦いに荘厳で神秘的なものを感じ、生命とは何かをその後もずっと問い続けてきたのだ。

 その問いに対する答えを、永遠の生命の象徴である火の鳥を狂言回しにして、太古から未来へと連なる人類の悠久の歴史の中に求めたのが「火の鳥」なのだ。

 過去から未来という途方もない時間を描くために手塚が選んだ手法は、過去と未来から順番にエピソードを並べることだった。

 手塚は、COM名作コミックス『火の鳥』未来編によせた「火の鳥と私」という文章の中でこう書いている。

「新しいこころみとして、一本の長い物語をはじめと終わりから描き始めるという冒険をしてみたかったのです。(中略)交互に描いていきながら、最後には未来と過去の結ぶ点、つまり現在を描くことで終わるのです」

 この言葉通り、邪馬台国を舞台にした黎明編に続いて描かれた未来編では、人類の終焉と新しい人類誕生までの何億年ものドラマを描いた。ラストシーンでは未来編が黎明編に繋がることも暗示され、未来と過去が現在で結ばれた瞬間、物語は巨大な輪のような存在になるはずだった。巨大な輪の中で生まれては死んでいく幾多の人間ドラマからは、手塚独自の歴史観、輪廻観を見てとることができる。

 とは言え、「火の鳥」は難解な作品ではない。友情あり、裏切りあり、恋あり、アクションあり、大スペクタクルありの娯楽作品だ。登場人物は誰もが個性的だし、恋人たちの物語は切ない。

 エピソードは、長編もあれば、中編や短編もあり、シリアスなものばかりでなく、ギャグタッチものもある。宇宙空間での密室殺人を描くミステリもある。読者も無理に発表順に読む必要はない。気になったエピソードからランダムに読めばいいのだ。

 少年少女の読者にはエンタテインメントとして楽しむことができ、少し成長して読むと生き方を考える指針になり、歳を取って読み返すと自分自身の生きてきた道と重ね合わせて読むこともできる。これも魅力だ。

 さらには手塚が全面的に関わって製作した劇場アニメ「火の鳥2772」のようなものまである。「火の鳥」に触れることで読み手はマンガ家であり、アニメーターとしても功績を残した手塚治虫のすべてを味わうことが出来るわけだ。

 手塚マンガを知らないという世代には、「火の鳥」からはじめて釈迦の生涯を描いた「ブッダ」や天才外科医を主人公にした「ブラック・ジャック」といったほかの手塚作品に進むきっかけにしてもいいかもしれない。

 現在、日本は新型コロナウイルスによる感染症の蔓延という100年に一度の災厄に見舞われている。「火の鳥」をはじめ手塚マンガの中にはさまざまな困難に立ち向かっていく人々の真摯な姿が描かれている。多くの人々は志半ばに倒れようとも決して後悔しない。それは、未来に志を託せると信じていたからだ。それは手塚治虫の信念だったのではないか。だからこそ私たちは今、手塚治虫が残した名作に心揺さぶられるのかもしれない。

(漫画評論家・中野晴行)