「自由なんて面倒くさい!」なら誰かに決めてもらうのも自由。本当の“自由”を選択するために役立つ2つのこと
リベラルアーツは中世ヨーロッパにおいて、肉体労働から解放された自由人のための特に重要な教養だと考えられていました。この場合の「肉体労働」は、やることを他者に決められていることを指します。つまり「自由人」というのは、ある程度自分のやることを選択する自由がある人のことです。
もしかしたら、「自由なんて面倒くさいから、やることを決めて欲しい!」と思う人もいるかもしれませんが、それでいいんです。自由に決めるかどうかを選ぶことができることこそ、リベラルアーツ的な自由ですから。信頼できる誰かの意見に合わせたり、仕組みに乗っかることも自由。降りて自分で考えることも自由。それが真の自由です。
では、そんなふうに人生を自由に選択するために役に立つことは何でしょうか? その答えは大きく二つあります。
一つ目は、言語能力・コミュニケーション能力です。ぼくたちはひとりで生きていくわけではありません。たくさんの人たちと協力し合って生活したり、影響を受けたりしながら自分の好きなことを探究していくわけです。だから、リベラルアーツのなかで最も重要なのは言語に関するものになります。
人間の特徴は何だと思いますか? まっさきに挙げられるのは言語です。では、言語によってはじめて可能になったことは何でしょう? それは、いまここにいない人、ここではない場所のことを伝えられるということです。時間を超えて過去や未来の話をすることもできます。文字が発明されてからは、離れた場所や別の時間にいる人にメッセージを送ることもできるようになりました。
人生を自由に選択していくために役に立つことの二つ目は、この世界がどうなっているのかを知ることです。たとえば、「法則」と「法律」の違いは何でしょうか? 英語では法則も法律も「law」(神によって決められた秩序)なので違いを考えにくいのですが、日本語では明確に区別されていて、考えやすくなっています。「法則」というのは、ものを投げれば落ちるとか、お腹がすくと力が出なくなるとか、そういう、いつでもどこでも誰に対してでも共通してあてはまること。法律というのは、それぞれの場所で人間が決めたルールのことです。
ぼくたちには、「法則」を変えることはできませんが、「法律」は変えられるかもしれません。これも世界の構造の一つです。ぼくたちは行動を選択するときに「やりたいかどうか」だけでなく「可能性」について考えます。世界がどうなっているのかを知っていると、可能性を推測しやすくなって、選択する際の基準になります(法律も法則も同じlawという単語で一緒にされているというのも、その世界の構造です!)。
中世ヨーロッパでは、リベラルアーツは7つの教科に分けられていました。文法・修辞学・論理学という言語に関する3科目と、算学・幾何学・音楽・天文学という世界の構造に関する4科目です。
簡単に説明すると、文法は言葉のルール、修辞学は伝わりやすくする技術、論理学は正しく考える方法です。算学は数を使って一次元の世界を考える方法、幾何学は図形を使って二次元(平面)・三次元(立体)の世界を考える方法。音楽は時間の流れを意識して考える方法。天文学はそれらすべてが合わさった四次元世界(時空間)、この世界そのものについて考えることです。
これらの学問は、日本では長いこと「職業に直接関係がない実用的ではない純粋な教養」と言われてきましたが、ヨーロッパでは「専門家である前にすぐれた人間でなければならない」という考えを育んできました。教養というのは、すぐに役に立つことではないかもしれませんが、人生においてずっと影響を与え続ける学びのことなのです。
(構成:教育エディター・江口祐子/生活・文化編集部)