欧米の名門大学の中でも異質 スタンフォードの凄さは「人材」と「資金」のエコシステムにあり
■欧米の名門大学のなかでも異質なスタンフォード大学
筒井:私は日本の学部・大学院で修士号を取ってから、スタンフォード大学で博士号を取りました。それで2002年からニューヨーク州立大学に勤め、2005年に客員助教授としてスタンフォードに戻ったのですが、1年後にミシガン大学に移って、2020年にスタンフォードに教授として戻ってきました。なので、まずアメリカの東海岸や中西部の大学との比較を中心にスタンフォードの特徴を話したいと思います。
一番の特徴はスタンフォード大学がシリコンバレーにあること。これが東海岸や中西部から見ると、決定的な強みなのは間違いありません。私がアメリカに来たころには、もうシリコンバレーがあって、そのなかにスタンフォード出身者が入っていくシステムができあがっていました。
もちろん、シリコンバレーが生まれたのはスタンフォード大学があったからともいえるので、卵が先か鶏が先かの話でしょう。スタンフォードは創立当初から実学重視です。そして社会変革などなにか新しいことへの挑戦をずっと重視してきた。カリフォルニアはフロンティアスピリットを尊ぶ土地柄です。同様のスタンフォードスピリットがやはりあるわけです。これは単なる精神論ではなくて、実際の大学の運営や研究者のキャリア、学生の教育のなかに反映されています。
もう一つ強調したいのはスタンフォード大学の資金力です。私が教授職を務めた他のアメリカの大学のなかでも、たとえばミシガン大学などは寄付金も多く、お金持ちの大学といえます。ただ、スタンフォードにいるとさらに大きな資金力を感じます。必要であれば、お金に糸目をつけないくらいの勢いで、さまざまなすばらしい研究設備を整えたり、優秀な研究者を世界中から引き抜いてきたりしています。
他にも、スタンフォード大学が広大な土地に恵まれていることもあります。東海岸の土地は300年以上根づいたエスタブリッシュメントが牛耳っていて値段も高い。たとえばコロンビア大学もいい大学ですが、これ以上土地をもてないような状況で、新しい施設一つ作るにも非常に苦労する。せいぜい150年くらいの新興の富裕層が活躍している西海岸の土地にはそういう制約が少なかった。現在は地価の高騰や法律上の制約もあり、以前よりは簡単ではないですが、広大な土地を所有するスタンフォードはまだ開発の余地があるわけです。
また西海岸には、東海岸のエスタブリッシュメントに対するある種の反発、反骨心があります。ヨーロッパに近い東海岸がアメリカの19世紀と20世紀半ばまでをリードしてきました。アジアに近い西海岸はそれ以降の新時代のリーダーといえ、東海岸とは違う論理で動くことができます。
こうした特徴、強みによって、アメリカの大学のなかでは東海岸を代表するのがハーバードで西海岸を代表するのがスタンフォードとなっているわけです。
中内先生は筑波大学と東京大学の教授を経て、スタンフォードに来られました。日本の大学でのご経験を踏まえると、スタンフォード大学の特徴はどのように見えますか。
中内:私は横浜市立大学医学部の学生時代、日米学生会議で1カ月ほどアメリカに滞在していろんな大学を見ました。その時に日本よりもアメリカの医学部の教育が圧倒的にすぐれていることにはじめて気づき、なんとかして米国の医学教育を経験したいと思い、スカラシップ(奨学金)をもらって1年間、ハーバード大学の医学部に留学しました。臨床医になるつもりで日本に帰ってきて研修医として臨床のトレーニングをはじめたのですが、日本は卒後研修のレベルも低くハーバードの同級生には全然かなわないだろう、でも基礎研究なら論文で勝負できるかもしれないと思って、大学院で免疫学の基礎研究をはじめたわけです。
しかし結局、日本の大学の基礎研究もあまり満足のいくものではなかった。だからスタンフォード大学にポスドク(博士研究員)として留学することにしました。決め手は、カリフォルニアは天気が良くていつでもテニスができるから(笑)。天気の悪いボストンにはまた行きたいとはまったく思わなかった。スタンフォードはハーバードと違ってキャンパスも広いしカルチャーも自由だし、そのままずっといたかったのですが、事情があって2年半ほどで日本に帰りました。そして理化学研究所、筑波大学、東京大学で30年ほど研究を続けました。
このまま日本で、東大で定年かなと思っていたのですが、サバティカル(有給の長期休暇制度)を利用して、スタンフォード大学とイギリスのケンブリッジ大学に半年ずつ滞在しました。そこで日本の大学がこの30年の間に非常に後れてしまったということを改めて認識し、レベルの高い研究をつづけていくには定年前に国外の大学に移動するのが良いのではないかと考えるようになりました。その縁もあって、スタンフォードとケンブリッジ両方からオファーがあってとても迷ったのですが、最終的にスタンフォードに戻ってきて、今日に至っています。
筒井:私も社会学の分野で日本の大学の後れを感じてスタンフォードに留学しました。日本の社会学は理論的に今の社会のあり方や文化を批判的に分析する傾向が強かったので、もっと実証的な研究を身につけたいと思ったわけです。アメリカの社会学はその方法論をしっかり教えてくれます。特にスタンフォードは、今でもそうですが、量的データを使う統計的な分析手法が一番進んでいました。
中内:ケンブリッジ大学は非常にアカデミックです。安易に流行に乗るような研究を馬鹿にし、よく考えて本質を見ることに注力します。サイエンスの場としてはとても良い環境と思いました。日本の大学と比べて設備は見劣りがするのですが、やはりなかにいる研究者たちがすぐれています。サイエンスをやっていくうえで一番大事なのは新しいコンセプトを考え出すことです。それがケンブリッジには理念として根づいています。
それに対してアメリカの大学の特徴は実利的で、お金がかかってもいいから早く実用化しようというものです。そこはスタンフォード大学もハーバード大学も変わりません。ただし、ハーバードには400年の歴史があって圧倒的な権威があります。スタンフォードは東京大学よりも新しい大学ですが、今や圧倒的な勢いがあります。ハーバードが老舗の大企業だったら、スタンフォードはベンチャー企業という感じでしょうか。私はベンチャーカンパニー的な挑戦する精神と自由さにスタンフォードの発展の秘密があったと考えます。
それと天気の良さ。天気がいいと失敗しても「まあいいか」という気持ちになります。たとえば、論文や研究費が不合格判定された冬。ボストンでは外に出ると雪が降っていて暗くて寒い。ますます落ち込みます。カリフォルニアだと晴れていて暖かい。「なんとかなるよな」と開き直れます。これも失敗をおそれないベンチャー精神に大きく影響していると思います。
私にとってはスタンフォード大学の明るくて綺麗なキャンパスも非常に魅力的でした。環境を良くして良い研究者、学生を集めればより資金が集まり大学の運営も良くなるという企業的な発想なのかもしれません。
■日本の大学に欠けている人材のエコシステム
筒井:日本の大学が後れた理由の一つは、大学発のイノベーションの社会実装、産業移転に対して、大学自身のなかに長く抵抗があったことだと思います。たとえば、最近まで「大学が金儲けに走るのはいかがなものか」などと批判されていました。
中内先生は日本の大学でそういう不自由を感じたことはありますか。スタンフォードと比べてどうですか。
中内:スタンフォードの教授会に出て驚いたのは、大学院生を選抜するインタビューをめぐっての話です。「将来なにをやりたいか」と尋ねるのは日本もアメリカも同じですが、アメリカの学生は「Ph.D(博士号)を取ったらインダストリー(産業)に行く」と平気で答えるわけです。東京大学では、そういう話は決して有利にならなかった。僕自身も優秀な学生はアカデミアに残って、次の科学者、次の教育者として活躍してほしいと思ってきました。東大の博士志望の学生はそんな話はかけらも出しませんでした。
でも、スタンフォードの大学院にははじめから産業界を目指す優秀な学生がたくさんいます。他の教授に「こういう学生を採っていいのか」と聞いたら、「当然だろう。それが大学の役割だ」という答えでした。考え方が全然違うと強く感じましたが、今ではすっかり慣れました。
ヨーロッパの状況も似ていて、近年はケンブリッジやオックスフォード、フランスやドイツの一流大学の教授たちから「昔は成績の悪い学生が企業に行ったが、今はトップから企業に行ったり起業したりする」と聞くようになりました。こうした大学及び学生の動きは、ある意味で世界のトレンドになってきているのかもしれません。
筒井:日本でも最近、東大の卒業生が安定した大企業や官庁ではなく、ベンチャー企業に入る、起業家になるという動きがかなり増えてきているといわれています。
中内:最近、日本の政府は「お金を出すから起業しろ」などと言うようになりました。大学にも起業をサポートするお金が入ってくるようになっています。世界のトレンドを感じてか、起業したいという学生も増えています。しかし、スタンフォードが決定的に違うのは、どういうふうに起業してそれを発展させていくかということをよく知っている人、実際に経験した人が大勢いるし、それをサポートする人材も、そして資金も比べ物にならないほど豊富なことです。
日本はそういうエコシステムができていません。人材もいないしお金も足りない。たとえば、大学が研究者に「スタートアップを始めなさい」とシードマネー(最初の資金)として多少のお金はくれても、その後はなかなか続かないわけです。
起業して発展させるというつなぎが悪いと、その気になって起業したはいいが、3年でお金がなくなって潰れてしまうといったケースがこれからたくさん出てくるのではないでしょうか。優秀な学生がトレンドに乗って起業して失敗し、アカデミアからも企業からも外れてしまうことを非常に心配しています。
筒井:たしかに日本も今、大学発の「知」を資本化しようと頑張っています。大学発イノベーションがどうしたら起業につながって、成功するのか。シリコンバレーのエコシステムにおいて、決定的に大事なのはVC(ベンチャーキャピタリスト)を中心とした豊富な資金だけでなく、中内先生がおっしゃったように人材です。研究者や技術者はもちろん、投資家や経営者がいて、弁護士など外から見ると周辺にいるような人たちも非常に重要な役割を果たしています。
もう一つ大事なのはリスクをおそれない、失敗が許される起業環境でしょう。日本は1回失敗すると「あの人、もう駄目なんじゃないか」というレッテルが貼られがちです。シリコンバレーは「失敗してなんぼ」という感じで、何回も失敗してどんどん成長していく、それをみんなが当たり前と受け止めているところがあります。こういう環境は一朝一夕にはできません。
スタンフォード及びシリコンバレーの仕組みは、長い時間をかけてできあがってきたものです。日本だけでなく、アメリカ国内を含め世界中で◯◯バレーやシリコン◯◯など、いろいろまねをして作っていますが、なかなかうまくいきません。
全部を簡単に取り入れることはできないと思いますが、とりわけ日本においてどういう点がまねできないと感じますか。
中内:最近、私が関係した研究を社会実装するために日本で起業したのですが、すぐれた人材を集めるのがかなり難しい。私の分野に限っていうと、日本では優秀な人材の多くがアカデミアや企業の研究所などの安定した職についているからです。一方、私が何年か前にアメリカで起業した会社には、潤沢な資金のおかげもありますが、成功体験のある本当に優秀な研究者がたくさん集まってきます。「一つ成功したから次の成功を」と考える人が大勢いて、その会社には、アメリカの一流大学の医学部の教授をやっていた人もいます。
ベンチャー企業を立ち上げる人材も、それを発展させるための人材も、日本とアメリカではまだまだ大きな差があります。日本は人集めだけでも非常に大変です。しかも日本は規制が多い。たとえば、遺伝子治療や細胞治療の許認可にはとてつもなく時間がかかりますが、その間に資金を集め続けることはたいへんです。もう私は日本で積極的に起業したいとは思いません。
筒井:人材の循環性や流動性というのは日本の大きな問題の一つです。投資側についても、日本だと科学のことがわからない、財務や経営、法律をやっている人が重要な決定をする場合が多い。一方、アメリカの投資家は、自分で『サイエンス』や『ネイチャー』などの学術雑誌をきちんと読み込んで、おもしろそうな研究を見つけて、自ら研究者にアプローチして社会実装、産業移転にもっていこうとします。アメリカでは、そういう科学のことが本当にわかっている目利きのできる人が投資側にいる。そういう人材の流動性がすごく確保されているわけです。
中内:アメリカでは、実際に自分でスタートアップをやって、失敗と成功を重ね、最終的に成功してある程度お金をもった人が、今度はVC側になって新しいスタートアップの指導をしたり、投資をしたり、助言をしたり、人材を紹介したりする。そういう人が大勢いて、起業と発展のシステムがうまく回っています。
日本には目利きのできる人がごくわずかしかいません。科学のことをよく知らない人が「3年で儲からないと困る」といった、いわば中小企業への貸付レベルの話をしている印象です。ベンチャースピリットをあまり理解していなくて、最初から儲けなきゃいけないという感じで、スタートアップへの投資が行われている。全体としてシステムが熟していないどころか、基本的な精神すらあまりわかっていないのではないでしょうか。