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保毛尾田保毛男を狩る、分別できない人たち【ミッツ・マングローブ/熱視線】
女装家・タレントのミッツ・マングローブさんが時代を駆け抜けた「アイドル」たちについてつづった書籍『熱視線』(2019年8月刊)より、珠玉のコラムを選りすぐりで紹介。今回は、2017年9月に放送された、フジテレビ「とんねるずのみなさんのおかげでした」30周年記念のスペシャル番組に登場した石橋貴明さん扮する「保毛尾田保毛男」が大きな物議を醸した件についてお届けします。
![ミッツ・マングローブ『熱視線』](https://assets.st-note.com/img/1646187469827-fV7whKbmG1.jpg?width=1200)
ここまでくると、もはや『時代錯誤なホモやオカマ』は存在自体が差別なのでしょうか? 表面的な配慮をしてくれる世間に恩義を感じながら、当事者同士も『裏切り者』にならないよう気を遣い合う。なかなか窮屈な世の中になってきました。28年ぶりにブラウン管に帰ってきた保毛尾田保毛男ちゃん騒動を目の当たりにして、ずっと悶々としていた今週。
「ホモやオカマはNGでゲイやオネエはOK」なんて、いったい誰がいつ決めたことなのか? 「あの人“こっち”らしいよ」と手を口の横で裏返すジェスチャーや、オネエが登場すると、馬鹿のひとつ覚えのようにカルチャー・クラブの『カーマは気まぐれ』をBGMにする演出はよくて、何故『保毛男ちゃん』はダメなのか? 過剰なほどの自重と、善意という名の偏見に塗れ、いよいよ日本も行間や心の読めない単細胞国家になってしまった……。そんな気さえします。差別や区別にも『分別』があって然るべきでしょう。『分別』というのは、無数のグラデーションの中で、その都度その都度『判断』をすることです。それが道徳であり、秩序なのでは?
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とはいえ、ものの感じ方・受け取り方は人それぞれです。目にゴミが入っただけでも死ぬ思いをする人もいれば、ウンコを踏んだことで人気者になる人もいます。中学生だった私にとって保毛尾田保毛男は、まさに『自分のデリケート・マターに風穴を開けてくれたラッキー・ウンコ』みたいな存在でした。もちろん皆が皆そうではないでしょうし、今回のことで嫌な記憶が蘇ってしまった人もいたかもしれません。それでも、過去を持ち出して今を否定するのは、いささか「男らしくない」感じがします。これは、生まれながらにホモだった私にとって、今も昔もいちばん言われたくない言葉です。
岸田今日子さん演じる『お姉様』の愛情をたっぷりと受け、上品にお洒落に生きていた保毛男ちゃん。当時私も、同級生から「お前もホモなの?」と訊かれた際には、「それはあくまで噂でございます」と答えられるぐらいの優雅さを持とうと思ったものです。この切り返しの感性こそが、『踏んだウンコを好機に変えられるかどうか』のサバイバル力です。しかしながら、中学生がその機転と勇気を持つのは難しかったこともまた事実。それでも私は陰口を叩かれるより、たとえ揶揄やからかいだとしても、正面切って「ホモ」だ「オカマ」だと言われ、それに立ち向かう方が「男らしい」と判断する子供でした。故に保毛男ちゃんは、私にとって『アイドル』に成り得たのかもしれません。あくまで、「そういうホモもいる」という一例ですが。
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何はともあれ、差別的なものに蓋をするだけでは、何の意味もないことにそろそろ気付かないと。「多様性への理解と配慮」なんて聞き分けの良さそうな言葉を軽々しく口にするのなら、普通じゃない人が隣にいる違和感を、自分なりに分別し咀嚼する感性をもっと尊重し、磨かないと。
あなたの周りにも保毛男ちゃんはたくさんいます。それはあなたの友達かもしれない。家族かもしれない。同僚かもしれない。良い人かもしれないし、嫌なやつかもしれない。誰より、それはあなた自身かもしれない。そして、何より愚かで恐ろしいのは、「自分は普通だ」と信じて疑わない傲慢さや鈍感さなのではないでしょうか?
(初出:週刊朝日2017年10月20日号)