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【第7回】再生医療 幹細胞シリーズ ~③胚性幹細胞(ES細胞)~

前回までのブログでは、まず「細胞とは何か?」という基本的なところから出発し、次に幹細胞の特性についてお話しました。

今回からは、分化能力という観点から、まずは高い分化能力を持つES細胞(胚性幹細胞)から紹介していきます。
ES細胞は、再生医療や基礎研究の分野で重要な役割を果たしています。これらの細胞は、すべての体細胞に分化する能力を持ち、組織や臓器の修復、さらには新しい治療法の開発において画期的な可能性を秘めています。

このシリーズでは、ES細胞に続いて、iPS細胞、間葉系幹細胞、造血幹細胞と前駆細胞の順に、それぞれの特徴や利用例、また直面する課題について詳しくご紹介していく予定です。
それでは、さっそくES細胞について詳しく見ていきましょう。


ES細胞の概念

基本定義

ES細胞とは、「胚性幹細胞(はいせいかんさいぼう)」の略称です。

まず、「ES」という名前の由来についてですが、これは英語の"Embryonic Stem"という言葉の頭文字をとったものです。日本語では、"胚性幹細胞"と呼ばれており、胚性とは、「胚」に由来するという意味です。胚とは、受精卵が細胞分裂を繰り返して発生していく初期段階のことを指します。ES細胞は、この胚の中から取り出されるため「胚性」と呼ばれます。

もっと掘り下げていくと、ES細胞は胚発生の初期段階である胚盤胞から得られる細胞のことを指します胚盤胞は、受精後約5~7日で形成される構造で、その内部にある内部細胞塊(ICM:inner cell mass)から取り出された細胞を、特殊な条件で培養して得られるのはES細胞となります。

この細胞は、「多能性」と呼ばれる能力を持っており、生体外にて、理論上すべての組織に分化することができます。また、ES細胞は分化するだけでなく、自己複製を繰り返し、ほぼ無限に増殖することが可能です。これは、細胞株として長期間培養することができるため、さまざまな研究や医療への応用が期待されています。

発見の経緯

ES細胞の研究は、1960年代に行われたマウスのテラトカルシノーマ(生殖細胞腫瘍)の研究がそのルーツです。テラトカルシノーマから単離された細胞は、幹細胞の性質を持ちつつ増殖できるものの、がん化の問題があったため、正常な細胞の樹立が求められていました。これが、後のES細胞発見に繋がりました。
1981年にMartin Evans博士とMatthew Kaufman博士が初めてマウスの胚から樹立され、さらに同年、ES細胞という名称を初めて使用しました。この研究は、がん化せずに長期間自己複製を行いながら、あらゆる細胞に分化できる細胞として、ES細胞の特性を示しました。
その後、1995年には、James Thomson博士がアカゲザルの胚盤胞からES細胞を樹立し、霊長類におけるES細胞の培養成功の第一歩でした。そして、1998年にJames Thomson博士が人工授精で余った受精卵からヒトES細胞を樹立したことで、ES細胞研究は一気に人間の医療分野へと進展していきました。これにより、ES細胞は人間の体の全ての細胞に分化できる多能性幹細胞としての役割が明確になり、臓器移植や組織再生といった再生医療の応用が期待されるようになりました。

ES細胞の樹立方法

ES細胞は、受精卵が成長して胚盤胞という初期の胚の段階に達した時に取り出され、その内部の内部細胞塊から単離されます。この内部細胞塊は、体のあらゆる細胞に成長できる「多能性」を持っており、これを取り出して培養することでES細胞を樹立します。

ES細胞を未分化の状態で維持しながら増殖させるためには、特別な培養条件が必要です。
具体的には、胚盤胞から取り出した内部細胞塊をフィーダー細胞(一般的にマウス胚線維芽細胞:MEF)と呼ばれる栄養供給細胞の上に播種し、LIF(白血病抑制因子)などの分化抑制因子を含む培養液で培養することで、ES細胞は分化せずに未分化状態を維持しながら増殖します。ヒトES細胞の場合は、LIFではなくbFGF(塩基性線維芽細胞増殖因子)を使用します。
増殖が進んだ内部細胞塊を取り出し、酵素処理等を行って細胞を分散させ、再度フィーダー細胞上に播種します。この操作を繰り返す継代培養により、未分化状態を維持したまま増殖できるES細胞株が樹立されます。

ES細胞の機能評価

未分化マーカー

ES細胞が未分化状態を維持しているかを確認するためには、未分化マーカーと呼ばれる特定のタンパク質や遺伝子の発現を調べます。これらのマーカーは、ES細胞がまだ特定の細胞に分化していないことを示すため、ES細胞の品質管理や実験結果の信頼性を確保する上で非常に重要です。

  • 遺伝子
    代表的な未分化マーカーには、OCT4、NANOG、SOX2などがあります。これらの遺伝子は、未分化状態を維持するために必須であり、これらの発現が高いレベルで確認される場合、細胞は未分化の状態にあると見なされます。

  • 細胞表面マーカー(タンパク質)
    さらに、細胞表面に発現する抗原も、未分化状態の確認に使用されます。例えば、SSEA-3、SSEA-4といった表面抗原はヒトES細胞で広く利用されています。また、マウスES細胞ではSSEA-1が未分化細胞で発現しますが、ヒトの場合は分化後の細胞で発現するため、種によって異なる抗原が使用されます。

  • 細胞形態
    細胞の形態も未分化性の判断において重要です。未分化なES細胞は、細胞質が少なく丸い核を持ち、密集したコロニーを形成します。コロニーの境界が不明瞭で、細胞同士が密接に並んでいることも特徴的です。

多能性の評価

ES細胞が持つ多能性を評価することは、これらの細胞を再生医療や創薬などに応用するために非常に重要です。多能性とは、ES細胞が体のすべての種類の細胞に分化する能力を指します。ES細胞は、受精卵の内部細胞塊由来であるため、外胚葉、中胚葉、内胚葉という3つの胚葉に由来する細胞に分化できるとされています。この能力を確認するために、いくつかの方法が用いられています。

  • In vitro(生体外)での分化試験
    ES細胞を特定の条件下で培養し、神経細胞(外胚葉)、心筋細胞(中胚葉)、肝細胞(内胚葉)など、異なる種類の細胞に分化させることで、多能性を確認します。これには、胚様体(EB: Embryoid Body)の形成がよく利用されます。ES細胞を凝集させて胚様体を作成し、それを培養して分化誘導を行います。培養期間は1週間から3か月程度で、分化後の細胞が多能性を示すかどうかを調べるために、特定の分化マーカー遺伝子の発現を解析します。

  • In vivo(生体内)でのテラトーマ形成試験
    ES細胞の多能性を確認するためのもう一つの方法として、テラトーマ形成試験があります。この試験では、ES細胞を免疫不全マウスに移植し、その結果、3つの胚葉由来の組織が混在した腫瘍であるテラトーマが形成されるかどうかを確認します。テラトーマには、神経組織、筋組織、上皮組織などさまざまな種類の細胞が含まれ、多能性を評価するための確実な証拠となります。

  • 分化傾向の評価
    ES細胞の多能性は、すべての種類の細胞に分化できるかどうかを評価するだけではなく、特定の細胞種にどの程度効率よく分化できるかを調べることも重要です。特定の分化細胞(例えば神経細胞や心筋細胞など)への分化効率を評価することで、目的の治療や創薬研究に最適なES細胞株を選別できます。この分化傾向の評価は、産業応用の観点からも非常に重要な情報です。

ES細胞の応用例

再生医療

ES細胞は、損傷した臓器や組織を修復する再生医療において、大きな可能性を秘めています。例えば、心筋梗塞の治療では、ES細胞から作られた心筋細胞を患者に移植し、損傷した心臓を修復することが研究されています。また、糖尿病においては、ES細胞を膵臓のインスリン分泌細胞に分化させ、インスリンの分泌能力を回復させる治療法の研究が進められています。このように、ES細胞はさまざまな疾患の治療に活用される可能性があり、その応用が期待されています。

薬剤スクリーニング

ES細胞は、創薬研究においても重要な役割を果たしています。具体的には、ES細胞をさまざまな疾患モデルに分化させ、そのモデルを使って新薬の効果や副作用を検証する薬剤スクリーニングが行われます。これにより、従来の動物実験では得られなかった、より人間に近い反応を確認することができ、新薬開発の効率が向上します。

基礎研究

ES細胞は、発生生物学や細胞生物学の研究においても非常に貴重なツールです。細胞の分化メカニズムや遺伝子の機能を解明するために、ES細胞を使った研究が行われており、この研究を通じて、より深い生命科学の理解が進んでいます。ES細胞を用いることで、ヒトの細胞や組織がどのように形成されるのか、そしてその過程でどの遺伝子がどのような役割を果たしているのかを明らかにすることができます。

ES細胞の課題

倫理的問題

ES細胞は受精卵から作られるため、その使用には倫理的な懸念が伴います。特に、ヒトの胚を利用することは、生命の始まりに関わるため、倫理的議論が多くの国で行われています。一部の国では、ES細胞研究自体に厳しい規制があり、ヒトES細胞の作成を禁止している場合もあります。日本では、不妊治療で余った余剰胚を使用することが許されていますが、それでも生命の萌芽を扱うという点で、倫理的問題が依然として解決されていません。

免疫拒絶反応

ES細胞から作られた細胞を患者に移植すると、患者の免疫システムがこれを異物と認識し、拒絶反応を引き起こす可能性があります。これは、他人のES細胞を使う場合に起こる主要な問題の一つです。免疫拒絶を防ぐために、免疫抑制剤を使用する必要がありますが、これには副作用が伴うリスクがあります。

分化制御の難しさ

ES細胞は、体のあらゆる細胞に分化できる多能性を持っていますが、この分化を意図した特定の方向に正確に誘導するのは非常に難しい課題です。治療目的でES細胞を特定の細胞種に分化させる際、予期せぬ分化が起こり、治療効果が減少するか、異常な細胞が作られる可能性があります。

腫瘍形成のリスク

ES細胞は増殖能力が高く、場合によっては制御できなくなり、腫瘍(がん)を形成するリスクがあります。特に、分化が不十分な状態のままで移植されると、未分化のまま増殖し続ける可能性があり、腫瘍形成のリスクが高まります。

培養操作の難しさ

ヒトES細胞培養は非常に難しく、細胞の状態は継代ごとに、さらには操作者の技術や手法によって大きく左右されます。これらの細胞は未分化状態を維持しながら増殖させる必要があるため、ほんの少しの不注意でも分化が始まり、培養結果に大きな影響を与えることがあります。このため、培養作業には高い技術が求められ、培養ごとに安定した結果を得ることが非常に難しいのが現状です。

ES細胞の今後の展望

研究の現状

ヒトES細胞の研究は、世界的に進展している一方で、倫理的な制約が研究の進行を遅らせることもあります。特に日本では、新たなヒトES細胞株を樹立するために文部科学大臣の承認が必要であり、承認までに時間がかかる場合があります。このような規制が研究を遅らせる一因となっているとも考えられています。

フィーダー細胞を使わない技術の発展

ES細胞を培養する際、従来はフィーダー細胞層が必要でした。フィーダー細胞は、ES細胞が自己複製を維持しながら未分化状態を保つために栄養や成長シグナルを供給します。しかし、フィーダー細胞に依存すると、治験や治療の純度や安全性に影響を及ぼす可能性があります。最近では、フィーダー細胞を使わずにES細胞を培養する技術が進展しており、より安全で効率的に扱える方法が開発されています。

代替技術の探求

倫理的問題や免疫拒絶の課題を克服するために、ES細胞の代替技術として注目されているのがiPS細胞(人工多能性幹細胞)です。iPS細胞は患者自身の体細胞から作られるため、免疫拒絶のリスクを低減し、倫理的な問題も回避できます。2006年に山中伸弥教授らがiPS細胞を初めて作製し、以来、急速に研究が進展しています。現在、ES細胞とiPS細胞の比較研究が盛んに行われており、両者の長所を生かした新たな治療法の開発が進められています。

最後に

ES細胞は、多能性と無限の増殖能力を持つ細胞として、再生医療や創薬、基礎研究において大きな期待を集めています。多様な応用可能性がある一方で、倫理的問題や免疫拒絶反応、分化制御の難しさなど、克服すべき課題も多く存在します。しかし、これらの課題を解決することで、将来の医療において重要な役割を果たすでしょう。iPS細胞の技術も並行して進歩しており、これらの研究の進展が多くの難治性疾患の治療に貢献することが期待されます。

次回のブログでは、誘導多能性幹細胞(iPS細胞)についてさらに詳しく掘り下げていきます。お楽しみに!

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