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【第8回】再生医療 幹細胞シリーズ ~④人工多能性幹細胞(iPS細胞)~
前回のブログでは、ES細胞(胚性幹細胞)についてご紹介しました。
ES細胞は、受精卵から得られる多能性を持つ細胞であり、体のあらゆる細胞に分化できる能力を持っています。しかし、ES細胞は受精卵を使用するため、生命の尊厳に関わる倫理的な問題や、移植時に免疫拒絶反応が生じるリスクが課題として残されています。
今回は、これらの課題を克服するための新たなアプローチとして注目されているiPS細胞(人工多能性幹細胞)についてお話しします。
iPS細胞は、患者自身の体細胞から作られるため、ES細胞に比べて免疫拒絶のリスクが低く、倫理的問題を回避できる点が大きなメリットです。iPS細胞は、2006年に日本の山中伸弥教授らによって初めて作製され、以来、再生医療や新薬開発において急速に研究が進んでいます。
今回のブログでは、iPS細胞の基本的な特徴や作製方法、応用分野、そしてES細胞との違いやiPS細胞ならではの課題について詳しく解説していきます。ES細胞とは異なるiPS細胞の魅力と、これからの医療分野への貢献について、ぜひ最後までご覧ください。
iPS細胞の概念
基本定義
iPS細胞とは、分化した体細胞を初期化して、ES細胞と同じように体のさまざまな細胞に分化できる多能性幹細胞に戻したものです。
通常、分化した細胞は皮膚や血液など特定の役割を持ち、その役割を超えて分化することはありません。しかし、iPS細胞技術では、「リプログラミング」と呼ばれる遺伝子操作を使い、体細胞を再び未分化な状態に変えることができます。
iPS細胞は、2006年に京都大学の山中伸弥教授とその研究グループによって初めてマウスの線維芽細胞から作られ、翌年にはヒトの細胞でも成功しました。この画期的な発見により、山中教授は2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
「iPS細胞」という名称は、英語の「induced pluripotent stem cells」の頭文字から取られています。「induced(誘導された)」は、体細胞に遺伝子を導入して人工的に多能性幹細胞に変化させる操作を意味し、「pluripotent(多能性)」は、さまざまな種類の細胞に分化する能力を、「stem cells(幹細胞)」は自己複製し増殖できる細胞の特性を表します。
山中教授は、この名称をあえて「iPod」などの製品のように親しみやすく広まることを願い、「i」を小文字にして「iPS細胞」と命名しました。
ES細胞との違いと関係
ES細胞(胚性幹細胞)は、受精卵から発生が進んだ胚盤胞の内部細胞塊から得られる細胞で、多能性を持ち、あらゆる種類の細胞に分化できる細胞として1981年に発見されました。しかし、ES細胞の作製には受精卵や胚を破壊することが必要であり、この操作が生命の萌芽に関わるため、倫理的な問題が常に議論の対象となってきました。また、ES細胞は他人由来の細胞であるため、移植治療に使用する際に免疫拒絶反応のリスクが高く、免疫抑制剤が必要になるケースが多く見られます。
iPS細胞は、ES細胞が抱える倫理的な問題や免疫拒絶反応の課題を解決するために開発されました。iPS細胞は患者自身の体細胞から作られるため、倫理的な問題を避けられるだけでなく、移植時の免疫拒絶反応のリスクも低減できます。
ES細胞もiPS細胞も多能性を持ち、体の多くの種類の細胞に分化できる点で共通していますが、発生過程での分化の仕組みが異なります。
ES細胞は受精卵由来で、発生初期の胚から直接得られる多能性幹細胞ですが、iPS細胞は一度分化した体細胞をリプログラミングして多能性を持たせた「人工多能性幹細胞」です。どちらの細胞も、培養条件によって異なる細胞に分化させることができますが、iPS細胞は患者自身の体細胞から作られるため、移植治療での適応が容易です。
iPS細胞の作製方法
iPS細胞を作製する大まかな流れは、以下のようなステップで進められます。
体細胞の採取
患者から皮膚や血液などの体細胞を採取します。この細胞は、iPS細胞を樹立する元になります。リプログラミング(体細胞に多能性誘導因子の導入)
採取した体細胞に、山中因子と呼ばれる4つの遺伝子(OCT4、SOX2、KLF4、c-MYC)を導入します。導入された遺伝子が細胞内で発現し、体細胞が多能性をし、初期化されていきます。未分化状態の維持
リプログラミングが成功すると、体細胞は未分化の状態に戻り、得られたiPS細胞は、特定の条件下で培養し、増殖させていきます。この過程で、iPS細胞が多能性を維持していることが確認されます。
リプログラミング
リプログラミング(細胞の初期化)とは、体細胞に特定の因子を導入し、未分化状態へと戻す技術です。リプログラミングに使われる方法は主に下記の3種類あります。
1、ウイルスベクター
初めてiPS細胞が樹立されたときには、ウイルスを利用した遺伝子導入が使用されました。ウイルスベクターは、遺伝子を運ぶ「運び手」として、ウイルスが持つ感染メカニズムを利用して効率的に体細胞へ遺伝子を導入することができます。
ウイルスの感染メカニズムは、まず細胞表面の特定の受容体に結合し、細胞内に侵入して自分の遺伝子を送り込むことから始まります。細胞内に入ったウイルスの遺伝子は細胞のDNAの一部として組み込まれたり、独立して存在したりしながら、細胞のリソースを利用して増殖し、新しいウイルス粒子が作られます。
リプログラミングでは、この仕組みを応用し、ウイルスにリプログラミング因子の遺伝子を組み込んで細胞に運ばせ、細胞内で因子が発現して再プログラムが行われます。この遺伝子発現がトリガーとなり、体細胞は次第に未分化の多能性幹細胞へとリプログラムされ、iPS細胞としての性質を持つようになります。
ウイルスベクターを用いることで、遺伝子を効率よく体細胞に導入し、安定したリプログラミングを成功させることができますが、同時にゲノム変異やがん化リスクなどの課題も伴います。
ウイルスが細胞のDNAに遺伝子をランダムに挿入し、正常な遺伝子の働きを阻害する場合があるからです。また、挿入されたウイルスが発がん性遺伝子を活性化して異常な増殖を促すこともあります。さらに、一部のウイルスベクターは長期間にわたって遺伝子を発現し続け、細胞が異常に成長して腫瘍形成を引き起こす可能性があるため、リスクが高まります。
このため、mRNAやプラスミドベクターなど、ウイルスを使わないリプログラミング方法も検討されています。
2、プラスミドDNA
プラスミドDNAは、主に細菌や酵母の中に見られる環状の小さなDNA分子で、宿主細胞の染色体DNAとは独立して存在し、自律的に複製することができます。
iPS細胞の作製など遺伝子導入が必要な場合、プラスミドはベクターとして利用されます。プラスミドベクターは、ウイルスベクターの代替として、ゲノムに組み込まれることなく、一時的に細胞内で目的の遺伝子を発現させることができるため、細胞のゲノム変異リスクを低減します。通常、プラスミドDNAは細胞内で一時的に存在し、数日以内に分解されるため、長期間にわたる遺伝子発現はしません。
しかし、ゲノムに組み込まれないため、遺伝子の発現が短期間に限られます。また、導入効率が低く、全ての細胞に確実に導入するのが難しい場合があります。
3、mRNA
この方法では、必要なリプログラミング因子をmRNAの形で細胞内に直接導入します。導入されたmRNAは、細胞質に取り込まれ、細胞の中で翻訳(リプログラミング因子のタンパク質の合成)を開始します。これらの因子は細胞内で働き、細胞を徐々に未分化な状態にリプログラムしていきます。
mRNAは細胞内で速やかに分解されるため、ゲノムに組み込まれる心配がなく、タンパク質の一時的な発現のみを行うことで安全性が保たれます。この過程を繰り返し行うことで、iPS細胞へのリプログラミングが促進されます。
しかし、mRNAは細胞内で速やかに分解されるため、一時的な発現しか維持できず、長期間の発現が複数回の導入が必要です。また、mRNAを安定に導入するためには高度な技術や特別な処理が求められます。さらに、mRNAの合成や修飾にはコストがかかり、ウイルスベクターなどの方法に比べて費用が高くなる場合があります。
山中因子
「山中因子」とは、京都大学の山中伸弥教授らが発見した4つの重要な転写因子—Oct4、Sox2、Klf4、c-Myc—を指し、それぞれはタンパク質であり、細胞のDNAに結合して特定の遺伝子の発現を調節する役割を持っています。
これらの因子は、多能性や未分化性に関連する遺伝子の発現を活性化することで、体細胞を未分化な状態にリプログラムし、iPS細胞への初期化を可能にします。
厳密には、山中因子を導入するためには、これらの因子をコードするDNAやmRNAが細胞内に導入されますが、細胞内で翻訳されると転写因子として働きます。
山中教授のチームは、体細胞を多能性幹細胞へリプログラムする因子を特定するため、ES細胞で特異的に発現する遺伝子を研究しました。24個の候補遺伝子を見つけ、それらを組み合わせて実験を重ねた結果、4つの因子だけで多能性を獲得できることを発見しました。
この成功によって2006年にマウスのiPS細胞が、2007年には人間のiPS細胞が誕生したのです。
山中因子はそれぞれ独自の役割を持ち、協力して、細胞内で発現する遺伝子のパターンやエピジェネティックな修飾(DNAメチル化やヒストン修飾など)を変化させることで、細胞の分化状態が解除され、未分化な状態に戻るのです。
このプロセスにより、体細胞は多能性を持つiPS細胞に初期化され、再び多様な細胞に分化できるようになります。
具体的には、OCT4とSOX2は、ES細胞やiPS細胞で未分化性と多能性の維持に不可欠な役割を持つ転写因子です。これらの転写因子が共に働くことで、未分化な状態を保つ遺伝子の発現を活性化し、リプログラミングするための「コア」因子として機能します。
KLF4は、OCT4やSOX2とともに多能性状態への移行をサポートする役割を持ち、細胞が未分化な状態に戻るのを助ける重要な転写因子です。
c-MYCは、細胞の増殖と代謝を促進する転写因子で、リプログラミングにおいて効率を高める役割を果たしますが、c-MYCはがん遺伝子としても知られており、その過剰発現は細胞の異常増殖や腫瘍形成を引き起こすリスクが高くなります。このため、c-MYCを除く手法が開発され、OCT4、SOX2、KLF4の3因子のみでiPS細胞の樹立や、c-MYCの代替としてL-Mycや他の因子を用いる手法が提案され、効率と安全性の両方を確保する方法が進展しています。
iPS細胞の機能評価
iPS細胞の機能評価は、臨床応用や再生医療において必要な品質と多能性を確認するための重要なプロセスです。iPS細胞が正確にリプログラムされ、目的の細胞として使用できるかを確認するために、以下の評価が行われます。
未分化マーカーの発現
iPS細胞が未分化で多能性を保っているかを示すために、未分化マーカー(例:OCT4、SOX2、NANOGなど)の発現を調べます。フローサイトメトリーという手法で、複数のマーカーを用いてiPS細胞が多能性を保っていることを細胞レベルで評価することはできます。
多能性の評価
iPS細胞が体内の多様な細胞種に分化する能力を持つかを確認するため、試験管内での分化誘導や、免疫不全マウスへの移植によるテラトーマ形成試験などを実施します。これにより、iPS細胞が三胚葉(外胚葉、中胚葉、内胚葉)に分化可能であることを確認します。
遺伝的安定性の確認
iPS細胞は、長期的に増殖させても染色体の安定性が保たれている必要があります。染色体や遺伝子に異常がないかを確認します。特に、核型解析や全ゲノムシークエンスを用いて染色体の異常を検出し、がん化のリスクがないかも評価します。
これらの機能評価を通じて、iPS細胞が多能性と未分化性を保持し、研究や医療に応用できる品質を備えていることが確認されます。
iPS細胞の応用例
iPS細胞の特性を活かし、さまざまな疾患の治療や再生医療、創薬など、多くの分野での応用が進んでいます。以下に代表的な応用例を紹介します。
加齢黄斑変性治療
日本の理化学研究所や住友ファーマの研究チームは、iPS細胞を用いて網膜色素上皮シートを作製し、加齢黄斑変性症の治療に利用しています。患者自身または健康なドナーのiPS細胞から作られたシート状の網膜細胞を目に移植し、視力の回復や進行抑制が期待されています。
角膜再生医療
大阪大学をはじめとする日本の研究チームは、角膜上皮幹細胞疲弊症や水疱性角膜症など、角膜障害を持つ患者に対し、iPS細胞から分化させた角膜細胞シートの移植を行っています。この方法により、従来のドナー角膜の供給不足を補うことが期待されています。
心臓再生医療
大阪大学のグループは、iPS細胞から心筋細胞シートを作製し、重症心不全患者の心臓に移植する臨床研究を進めています。iPS細胞由来の心筋細胞が患者の心臓で機能することで、心機能の改善と心臓の回復が期待されています。
パーキンソン病治療
京都大学のグループは、iPS細胞からドーパミンを分泌する神経細胞を作製し、パーキンソン病患者の脳に移植する臨床研究を進めています。iPS細胞由来の神経細胞が患者の脳内で機能することで、運動機能の改善が期待されています。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)治療
京都大学や慶應義塾大学は、患者のiPS細胞を利用して、ALSの原因究明と治療法開発に取り組んでいます。すでに一部の既存薬がALSに有効であることが示されており、さらなる臨床試験が進められています。
iPS細胞の応用はこれらに留まらず、他にも腎臓や肝臓の再生医療、軟骨や膵臓組織の作製など、多岐にわたる研究が進行中です。再生医療の実現に向けて、iPS細胞技術の安全性や効率性の向上により、さまざまな疾患の治療が大きく前進することが期待されています。
iPS細胞の課題
安全性の課題
iPS細胞の利用において最も重要視されるのが安全性です。
iPS細胞のリプログラミング過程で使用される多能性誘導因子(山中因子)が、ゲノムを傷つける可能性があります。この過程で偶発的な遺伝子変異が起こりやすく、がん化リスクがゼロではありません。特にc-Mycなどのがん遺伝子として知られる因子の影響により、腫瘍形成のリスクが指摘されています。そのため、代替因子を用いる方法や、腫瘍リスクの低い方法の開発が進められています。
また、iPS細胞の移植において、理論上は自家細胞であるため拒絶反応は起こらないと考えられますが、動物モデルで発生例が報告されているため、免疫反応のメカニズム解明が急務です。
効率性の課題
iPS細胞のリプログラミングの成功率は依然として低く、安定した細胞供給が難しいという課題があります。iPS細胞は分化誘導によって様々な細胞へと変化しますが、必要な細胞に正確に分化させるためには高度な技術が求められます。予期せぬ分化や不要な細胞の発生を防ぐためには細心の注意が必要で、このプロセスの効率化と標準化が求められています。
倫理的課題
iPS細胞はES細胞と異なり、胚を破壊する必要がないため、倫理的に優れた選択肢とされています。
しかし、iPS細胞の技術が進むにつれ、さらなる倫理的課題も生じています。例えば、理論上、同じ個人から精子と卵子を作製し、クローンを生成することも可能とされ、倫理的に重大な問題を含んでいます。
また、キメラ動物(人の細胞を用いた動物)や生殖細胞の作製も技術的に可能になっており、これらが実際に臨床応用されるかどうかについての社会的議論が求められています。
さらに、人の臓器を動物の体内で作製する研究も進行しており、社会的な合意が必要です。
コストの課題
iPS細胞を用いた治療には非常に高額なコストがかかります。
例えば、2014年に行われた加齢黄斑変性症の治療では、網膜色素上皮細胞をiPS細胞から作製するのに約5,000万円の費用がかかりました。このような高コストでは、治療の対象となる患者が限られてしまいます。また、健康保険を適用する場合、保険制度の財政にも大きな負担がかかる可能性があります。
効率的な作製方法や培養システムの開発、分化誘導技術の改良などが進められていますが、まだ一般的な医療に広く利用するには至っていません。
iPS細胞の今後の展望
iPS細胞は再生医療や創薬において画期的な技術として注目されており、日本政府は再生医療を国の成長戦略の柱の一つとして位置付け、研究開発を支援しています。
文部科学省や厚生労働省を中心に、再生医療の安全性と迅速な実用化を目指す政策が進められ、日本国内では「再生医療実現拠点ネットワークプログラム」により基礎研究から臨床試験まで幅広い研究が進められてきました。2013年からの10年間でさまざまなプロジェクトが推進され、2015年以降は日本医療研究開発機構(AMED)によって実用化に向けたさらなる研究が進んでいます。現在は安全性を向上させたiPS細胞の作製方法や、iPS細胞ストックから作製した細胞を用いた治療の臨床試験など、実用化に向けての試験段階にあります。
また、「再生医療等安全性確保法」や「薬機法(医薬品医療機器等法)」などの法改正により、再生医療製品の迅速な承認と実用化が可能になり、日本は実用化へのスピードを確保しています。
一方で、日本では再生医療技術の開発に際し、安全性の確保と倫理的な課題への配慮が徹底されています。
iPS細胞の臨床応用やヒトのiPS細胞からの生殖細胞作成などの研究に関して厳格な規制が敷かれており、安全性と倫理性が確保されています。2014年に施行された「再生医療安全性確保法」によって、iPS細胞を使った医療行為には医療機関や研究機関が申請と審査を経ることが義務付けられ、これにより、技術の進歩と社会的な受容の両方が重視され、持続可能な形での再生医療の発展が期待されています。
近年、iPS細胞を用いた新しい治療法や創薬のための疾患モデルが次々と開発されています。これにより、iPS細胞は個別化医療やオーダーメイド医療の分野でも重要な役割を果たすようになっています。将来的には、iPS細胞技術が医療の中心的な位置を占め、患者ごとに最適な治療法を提供できる医療環境が整うと考えられています。さらに、世界的な共同研究も進んでおり、国際的な規模でiPS細胞を使った治療が標準化される日も近いでしょう。
iPS細胞は今後も日本国内外での規制整備とともに進化を遂げ、より多くの人々が恩恵を受けられる未来の医療に大きく貢献すると期待されています。
今回のブログはここまでとなります。
次回のブログでは、間葉系幹細胞(MSC細胞)について詳しく掘り下げていきますので、お楽しみに!