過去から学ばない
宇多田ヒカル新作アルバム「BADモード」ずっと聞いています。
私の人生は、決して右肩上がりとは言えないし(そもそも右肩上がりの人生ってなに??)、現実の自分と、ありたい自分との距離感にいつだってがっかりしているけれど、自分の足で歩いてきた事実だけは変わらず、それによって私に蓄積されてきた経験値や感性は、記憶喪失にでもならない限りきっと、失われたりしない。
意図せずとも、私の中に貯められてきたもの。知識。正しい状況判断。想像力。動じないタフさ。
それなのに、ある状況で私は、同じ間違いをくり返し、同じ痛みを食らおうとしている。
今まで、何度同じ選択をし、それは間違いだったと知り、でも知った時には手遅れで、同じ痛みを受け入れてきただろう。
今回も、途中から、間違いだと、少なくとも「最善策ではない」とわかっていた。でも私は自分の欲望を止められず、長くは続かないであろう「特別な時間」を手に入れるために誤った選択に手を出した。
思うに、過去の経験から学んでアップデートする自分より、「アップデートできない自分」が、自分の本質、変わらない性質を表しているのではないか。
過去の過ちから学んで次の機会に最善策を取ることができない、というより、最善策を取る気などハナからないのだ、きっと。同じような状況が再びやってきても、「最善策に譲る」ことができない。誤りだととらえているその選択肢こそ、心底望んでいることであり、しっぺ返しを受けるとわかっていても、いつか手に入るときを夢見て、手を伸ばしてしまうのだ。
過去や歴史から学んで、より強くたくましく賢くなりたい。それは嘘じゃない。だけどある状況において、「過去から学ばない」、そういう自分もいることを知っておきたい。受ける傷と引き換えにいつまでたっても手に入らない欲しいものがあるから。
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具体的な出来事をお伝えしていないので、始終抽象的になってしまいました。
宇多田ヒカルの曲は毎度毎度、心を揺さぶってきます。
私ですら分からない私の心を、ズバリと言い当ててきます。
痛みも恐れも清濁もあわせのんで前を向いて歩いていきたい。ただひとりの「あなた」と。宇多田ヒカルはいつもそんなことを歌っている気がします。