
学校へ行かない宣言の入学式
おはよう。
これは亡くなったじいちゃんがくれたニッカカメラで撮ったやつ。
調べたらもうレンズにカビが生えていた。撮るもの全てが全体的に緑っぽくなるし曇る。すごく昔の時代の様になる。でも私は好きだ。カメラ屋さんにチェックしてもらった時に
「うん、確かに結構曇っていますしカビが、新しいレンズもよいけれど、あなたが良いならばこのレンズを大切に使いなさいな。それで良いと思うんだよ」
と店員のおじいちゃんに言われ、なんだかそれがすごく嬉しかったのを覚えています。
ちなみに、
これは、じいちゃんが生きていた頃に、もう歩けなくなって車椅子の時に写ルンですを渡した。回収したらこの写真が残っていた。
もう桜は結構散りましたね。
私は桜が散って、新芽が出て、緑色6割と桃色4割の時が一番好きです。
今日は「入学式の思い出バナシ」
入学式ってさ、めでたい日なんだけど、小学校時代、中学校時代、通学できなかった不登校児やその家族にとっては結構マジで最悪だよね。超メンタル持っていかれるよね。その数週間前から家庭は裁判番所みたいな感じになる。大袈裟に話すと。
今年はコロナウイルスの影響で少し状況も違うけれど、それでも戦っていたお家はあると思うんだ
“あなた4月からどうするの?問題”
普通はあまり考えることではないかもだけど…
①頑張って、新生活は切り替えて普通学級に行く
②新しいフリースクールを探す
③…
これ、親子会議でぐちゃぐちゃになるやつですね。でも決めなきゃいけない。担任や学校から学校の手続きですごく催促されるし、すごく両サイドからの「おいでよ!大丈夫だよ!」作戦が始まるよね。
じゃあ私の話をするね。
私はもう何の迷いもなく決めていた。
6年間通っていなかったから、中学なんて行けるわけがない。絶対に行かない。死んでも行かない。地球が滅びても行かない(行けない笑)と思っていたし、伝えていた。
そしたら、まさかの爆弾が落とされたんだ。
当時、5年生から在籍校とは離れたフリースクールにはちょこっと顔を出す様にはなっていました。その先生が本当に素晴らしくて、私はその先生のおかげでダンス始めるんだけど…(その話はまた今度)
そのワタナベ先生という人に言われました。
ワ:「わかったよ〜じゃあasamicroちゃん行かない事にしたんだね。
そしたらひとつ約束だよ。
自分で伝えてきてね」
そう言われた。
Me:「……自分で…って」
ワ:「行かないと決めたなら行かなくてよいよ、先生からもお母さんに言ってあげる。だけど、学校への手続きは自分でやろう」
…本気で爆弾だった最悪だった、当時は死にたいくらいのミッションだった。私にとって。いや無理だろう。できるわけがないと思った。
どうしたかっていうとね、
実行した!もう特攻隊の気分だった。
だって、絶対に行きたくなかったからだ。死んでも中学に行きたくなかったからだ。
在籍予定の中学校入学式の放課後に校長室へ行くことになった。
やはり、一人では行くことができなかった、そもそも場所も知らないし、母親は”あくまで付き添い”という形で一緒に行くことになった。
校長室に入り、少し硬い艶々のレザーの黒いソファーに案内され、親子で座る。
確か目の前にお茶を出された気がする。
校長先生が来て、顔を一瞬だけ見たらあとはデコルテら辺しか見てなかった。だから全く顔を覚えていません笑
で、散々学校の説明を穏やか(風に)話され、担当になる担任を呼ばれ、そしてまさかの全先生が校長室に入って来て、そしてまさかの全先生で校歌を歌われた。
私は手が震えて、母に抑えられたのをなんとなく覚えている。
Me:「(心)。。まじか、宗教かよ」
と思った。
校長先生「ね、どうかな?少しだけ通ってみない?午前中だけとか、保健室や校長室だってよいよ?どうかな?」
………
Me:「3年間通いません」
ーーーーーーーー終了!!!ーーーーーーーー
今思うと結構コントだなって思う。かなりシュール。
個人的には 東京03 さんに再現してほしいと思う。
あんな接待を受けて、散々演出されて(その演出もどうかと思ったけど)、最後は一言であっけなく終了だった。
私はその入学式と、そこの卒業式だけ行きました。
本当に3年間通いませんでした。自分で選んだフリースクールと自宅で勉強しました。(この話もまた今度ゆっくり)
今思うと、おそらく、すべてワタナベ先生がセッティングしてくれたのだと思う。だけど、きっちり自分で決めないと多分潔く新しい生活に歩めないと思ったし、あの頃の私のできるギリギリの頑張りのラインをちゃんと設定してくれた気がしています。出来ないことはさせない人だったから。
私は今でも明確にあの時の緊張と震えと涙をこらえる胸の痛みを覚えています。
そして 自分で決めて宣言したことで、吹っ切れる自信 みたいな感覚も覚えています。
ただ、まじで、校長室で全先生の校歌は圧巻でしたね。
そして全く響いていない生徒の最初で最後の宣言。
これが私の入学式の思い出です。
私は、春に生まれました。桜も春もすごく嫌いだったんだけどね、今は真ん中くらい。でも、水色に桃色ってなんて可愛いんだろうって思います。
じいちゃん、上から見てるかな。
ばあちゃんをもう少しこちらで守っておくれよ。
コロナが落ち着いたら、お団子食べながら散歩に行きたい。
自分に誕生日の日に「春か〜昼寝したいな」って創りました。
最近はじめた朝ごはんダンスチャンネル、よかったらみてくれたら登録してくれたらすごく嬉しいです。
今日も最後まで読んでくれてありがとう。
桜餅を一緒に食べたいくらい嬉しいキモチだよ。
いいなと思ったら応援しよう!
