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【朝霧】『朝霧(巡礼)』

のらりくらり

ボクは今、西明石へ向かう鈍行に乗っている。

目的地は『朝霧』。

ふと前に目をやると、ちっちゃな体の子どもがトロンと口を半開きにして本を読んでいる。
「おくちの筋肉緩まっちゃうくらい夢中なんだ〜 かんわいいな〜」なんて思っていたら
読んでる本のタイトルが
【有害物質のサバイバル】
なことに気付き、思わず吹き出した。やるなぁ。
この子は読め!と言われず 好きで読んでるんだろね。やるなぁ。

ボクは普段、ありとあらゆる時間において、音を流す。家でも見もしないテレビを点けたり、移動する時など ほぼ確実にラジオや音楽を聴いている。
一時、静寂がトラウマで、なにか音を流してないと寝付けなかったことがあったのも、理由の一つである。

が、今。
ボクは自然音を選び取った。

ず〜〜〜〜っと情報社会を生き抜いているし、なにより「この瞬間と向き合ってやる」という、ハングリー精神が湧いているのだ。自然に、ね。

三ノ宮を超えて元町、
これより西に列車で行った記憶はない。

あったとせば、小学校の遠足やらなんやらの水族館であり、ソレは施設だけの記憶であった。列車に向き合うことは新鮮であり、だからこそ ここまで浮き足立っているのである。

さて、もう一度車内に意識をもどすと、
先の読書ボーイの妹が、ベビーカーから身を乗り出して 大声ではしゃいでいる。
「これは人によって受け取り方変わるだろうなぁ」と、率直に思った。

ボクがオーストラリアに居たころ、
向こうに移住して子育てをしている日本人と出会った。

彼女は、
「日本ってさぁ、ほんといい国だと思うよ。治安いいし。でも、たまに帰ったときに、子育てしづらいって感じることもあるんだよね。」
と言った。

「というと?」と促すと

「だってさ、家族でレストランに行ったとき、娘が店内ではしゃいでたんだけど、それをうちの母親が『静かにしなさい』って叱ったんだよ。おかしくない?だって、その時店内のお客さん私達だけだったんだよ?だれにも迷惑かけてなかったと思うけどなあ。」

なるほど。
ごもっともだな、とボクは感じた。
日本人(こういう総称を使うのはあまり好きじゃないけど)は、「見えないもの」「実際に存在するかは、実は不確かなもの」に怯えている傾向がある。空気を読む、に準ずるアレらだ。もったいないよなあ。

さらに、よくよく考えてみれば、
この西明石行きの列車は、ボクの親友が恋人の家へ向かう時によく利用していた線路ではないか。

かわいい。
お友達だいすき。

彼女がボクに、現恋人さんと付き合うか、というより、そもそも好きになっていいのか、なんて質問をしてきたのは3年前?の事である。

彼女の当時の悩みは、
「どうしよ!好きになってええんかな。今も おめかししちゃってる!」
という、なんとも彼女らしい悩みだった。

ボクはまさしく通学列車に揺られているところで、にこにこしながら
「ええんちゃうの?"かわいくせなアカン"は毒やけど、"思わずかわいくしちゃう〜!"は むしろ幸せやろ」
という返信をしたところ、
彼女から飛び跳ねたようなメッセージが返ってきたのを 覚えている。

かわいいなあ。
恋してる友人、かわいいなあ。
僕の言葉で、だれかの視野が広がったり、考え方を変えるきっかけなってるのなら、生きてる意味があるってもんよ。

意識が目の前の 景色に戻ってきたとき、
過ぎゆくソレは「塩屋」という土地であった。
緑豊かな、おそらく公園?がそれはそれは見事で、かと思えば高速で銅像のようなものがよぎった。
あれなんだったんだろ、あとでしっかり調べよ。

とかく、景色・音に集中したからこそ得られた感動で、「しっかり掴んでやったぜ」と思えて にんまりした。






——— 次は朝霧。朝霧です。





思わずじわっと 涙目になったのが分かった。

座席に座っていたので ハッキリと前方確認はできなかったが、車両がぐんと傾斜したので気付いた。

ここだ。

初めてのツーリング。
職業病でひどく丸まった父の背中にくっついて、うしろから見たあのカーブ。

自分の中に「朝霧レン」たるものが
体系づけられた土地に、帰ってきたのである。

だが、厳密に書くならば、
「帰ってきた」という表現はあやしい。
というのも、かのツーリングでは朝霧を道路から一瞬眺めたに過ぎず、まして列車でたどり着くなんてのは「初めて」なのである。

それでも感じずに居られない、この郷愁。
駅構内にして、ボクはすでに虜なのである。

改札を出ると、一気に風が吹いた。
ソレは海の風だが、前にみえるのは坂道の住宅である。
拍子抜けしつつ、まぁ一旦見回そうかと振り返ると、
そこには海があった。

「ああ…」

言葉という枠に抑えられない感動が迫ったとき、人の口から出るのは「音」であった。

うれしいなあ。
やっと来れたなあ。
ここが朝霧か。
朝霧なんだよなあ。

橋を渡りおえると、広がったのは澄んだ海浜。


「ん〜〜〜〜〜〜っ!ただいま!
はじめてきたけど!」

わくわくと、本当にわくわくとしながら
ボクは波の打つ方へと向かった。

砂を踏む音、波、風。
通り過ぎるおじいちゃんの語尾が『〜しとるけ、』だったので、甲州出身なのかな?とか思ったりした。

遠くでカップルが犬の散歩をしてる。
あの犬が、時に、あの2人にとって(言葉を話さずとも)仲介者になるんだろうなぁ、と思った。
自分の父と母も、昔はよく海岸でバーベキューをしたと聞く。でも結局は別れてしまったんだよなぁ。あのカップルの行く末はどうなのかな?幸せで過ごし続けられるに越したことはないよなぁ、とも思った。

ひとりで海辺をてくてくしたり、
石の椅子(これなんて呼ぶんだろ?)に寝そべったり
この時間をじっくりと味わった。

しあわせ〜、This is しあわせ。

どれくらい時間が経ったろうか。
ボクのおなかが突然 キュルルンッ と愛らしい鳴き声をあげたので、ボクは目当ての店に向かうことにした。

駅の方面へと向かう道中、橋の上にて、
行きしには気付かずにいた 石碑が目に付いた。

二〇〇一年七月二十一日
この歩道橋上で
明万市民夏まつり
花火会場/向かう途中
群果なだれにより
命を失った
十一人を偲ぶ

遺族一同

2001年。
僕の生まれた年。

左側に目をやる。
連なる故人の氏名。11名。
左端から3人目。

『多田新奈 五ヶ月』

多田新奈、五ヶ月。
新奈ちゃん、五ヶ月。
人生五ヶ月、新奈ちゃん。

泣かずに居られただろうか。
しきりになる腹を無視して、しばらくひっそり泣いた。

僕の誕生日は 2001年5月。
単純な引き算で、新奈ちゃんは2001年2月。

学年はちがえど同い年で、一つ下の後輩ちゃんたちと重なる。
五ヶ月。
言葉も話さず、彼女の最期もやっぱり音だったのかな。
くやしくなった。
顔も知らぬが、勝手ながら、偲んだ。

生きてるって、絶対 当たり前とちゃう

他にも、掘られた人々の年齢はどれもみな、10歳未満のこども。おひとりは71歳のおばあちゃん。子どもはきっと、小さいから窒息だったのだろうか。おばあちゃんも、身動き取れぬ人の圧に不自由だっただろう。なんだか、年齢が、あまりに顕著で。

こういうとき、自分がたっぷりと感情移入してしまうのを、治した方が良いと指摘されたことがある。
その人はきっと、ボクの負担を減らそうとしての発言だったが、あれは少々余計なお世話だった。
この負担は、なんだか(自分という人間を成り立たせるのに)必要なものであると感じるし、何より、故人は思いを馳せられてなんぼである。
故人が、あるいはその死が、軽々しく扱われているのを目にした時、とてもとても、とっっっても辛かったことがある。死に様こそが 生き様と云う。ボクはここに来るたび、手を合わせようと決めた。




『あづまや』
そう名付けられた店は、
JR朝霧駅から15分ほど北に歩けばみえる。

昨夜、この朝霧を思い立った際
「ん〜、せっかくならデリシャスな物をいただきたいぜ!」と思い、下調べをした店である。

いわゆる、味のあるボロさが愛しい店の前には
とあるマンションが建っていた。
(こういう行動は犯罪行為につながる可能性もあって危ういのだが)ボクは正直、このようなマンションの洗濯物をボケーっと眺めるのが好きだ。
一つ一つに個性があるし、そこから生活を妄想するのがなかなかにたのしい。

眺めていると、うしろの土方達の会話が耳に入った。
「くぅ〜!!ここ、ここ!な、美味そうだろ?イチローも来たことるんだぜ!」
いやまてまて。
イチロー来とんかい。
そんな事も知らずにふらっと来てしまった。
たしかに、先ほどからこの店に、ひっきりなにし人が並んでいる。ボクも何分待っているだろうか。だが、こういう待ち時間も悪くない。なんてったって、「お預け」は立派な養分なのである。ごはんがも〜っと美味しく感じゃちゃうね、ラッキー!

——— ガラガラガラ
店に案内してくれたのは、笑顔の素敵なお姉さん。

入店の際に、軒の一部にツバメの巣があり、その下にはわざわざ板が張られていたのが見えた。
この店は、やさしい人間が営んでいるんだろうね。

席に着くと、仕切りがあることに感動した。

「うれしい!味に集中できる!」

さらに、店内に流れているのはラジオで、
中央にはテレビがあるのに、そこに映っているのは監視カメラ映像なのが笑えてしまった。

注文を終え、耳を傾けるラジオ。

なにやら松竹芸人のラジオ。
壁に、フットボールアワー、そしてビスケットブラザーズのサイン。おいおい、どこまで今日という日が素敵な1日になって行くんだ?ボクがお笑い好きだと、どこかから情報が漏れてんのか?
幸せに上限ってあんのか??


【海老カレー丼(ミニそば付)】

写真で見るよりはるかに大きな器、
木のスプーンなのが最高にうれしい。
反り立つ2匹のおっきなエビ
横にそえられたのはミニ(といえど十二分にボリューミーな)そばである。

出汁のきいたカレーは、いくら食べても飽きず、最後の最後まで、食べ終わりたくはなかった。
そばはキンッキンのキンキンに冷えており、その麺はあまりに噛みごたえ抜群であった。手作りっていいなあ。

ボクはそばに対して特別感がある。
というのも、母がとびきりのそばアレルギーだからである。重度すぎるくらいに。だから家でそばを食べることはあまりないし、自分が生まれた母体が受け付けないものを、美味しく食べられるような自分の体に不思議な感覚を憶えることもしばしば。
対して、自分自身は甲殻類アレルギーがある。昔は食べると猛烈に唇が痒くなったり、息が苦しくなったが、年々それも落ち着き、今ではエビフライ2匹をペロリと平らげたほどである。体って不思議〜

ラジオがバンド関連に変わった。
そばをすする音、
店内に響くGimme Some Lovin'。
やはり幸せに上限は無さそうだ。

お会計の際、かのお姉さんに一言添えた。
「あなたの笑顔がすごく沁みて、もっと美味しく食べられました。がんばってね!」
その言葉を受け、彼女はもっと目尻にシワができた。
素敵だった、綺麗だった。
自分に意味があると感じた時の人間の顔つきって、本当に生き生きしてると思う。

外国へ行き、その文化に触れ、日本に帰ってきた日本人がいるとする。また、その人が「やっぱさ、なんか日本人って冷たくてそっけないな〜」と言ったとする。そんな時、ボクは彼/彼女の振る舞いに注視する。そして、当の本人の振る舞いが、彼/彼女の言うところの「冷たくてそっけいない」であったとき、心底ガッカリする。環境にケチつけて、自分からは行動しない人なんだな。自分がされて嬉しかったことを、他人にもしたらどうなんだ、それをせずに他人をむやみに避難するのは浅い。グループ活動において、まったくもって消極的なのに「このグループ全然仲良くならないよネ〜」などと裏で話してるのと同等の浅さである。もっとみんな褒め合ってこ!Let's spread it!★




ここ数日、かなり気が沈んでいた。
(最初から理解して貰えないと思ってる人ならノーダメージだが、)理解してもらえてると思った人に、理解されてないと感じるのは かなりショッキングである。
また、自分自身は以前よりも成長しているつもりが、まだ相手にとっては足らぬ所があり、それで相手を怒らせてしまったのも堪えた。
ボクは「できないこと」を怒られるより、「できたこと」を褒めて欲しかった。

だが、この地、朝霧にきて心が晴れたことは 言うまでもない。
とってもよいエネルギーチャージになったね。

ある友人が言っていた
「だれも自分を知らない土地を旅するの、好きやねん。誰にもならなくていい気がするから。」

まったく持ってそのとおりだな。
またここに来よう、必ずひとりで。



朝霧レン

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