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孤独は“儚い美しさ”だと信じて生きている

「孤独」という言葉って良くないイメージを持たれているなと思う。

私は、子どもの頃から輪に入ることに苦手意識を持っていた。遠慮してしまう子どもだった。だから、おのずと一人になりがちだった。

だからか、孤独と向き合うことが多かった。

子どもの頃は、やっぱり1人は辛いと思っていた。しかし、その一方で自分は輪に入れなくても生きてきたじゃないかと考えていた。

人が孤独と感じる場面は、人それぞれであり、今回の記事に当てはまらない方もいらっしゃるかもしれない。そこを、前提に読んで頂けると幸いだ。

儚い美しさとは

「儚い」の意味は以下の通りである。(Wedlio国語辞典より)

消えてなくなりやすい。もろくて長続きしない。


「儚い美しさ」で表現されるもので代表的なものといえば、桜ではないだろうか。あっという間に散るからその様が美しいという。

この例から分かるように、「儚い美しさ」は日本人特有の考え方だという。

孤独に対しても同じ感覚を

そこから、孤独に対しても同じ感覚を感じた。

「美しさ」についてだが、物理的にきれいではなく、“素晴らしい”=強さと置き換えて考える。辞書では、こう書かれている。(goo辞書より)

りっぱである。見事だ

つまり、一見マイナスな孤独を背負って生きていることは、「強い、美しい」と言いたい。

ただの、「強い、美しい」ではない。儚い美しさだ。

私は、そう信じて生きていた。

それが 生きる希望だったのかもと、今は考えている。

孤独だったということは、

できるだけ誰かが悲しまないように気をつけて、自分から離れて、1人を選んだ結果だ。

それを、恥じるなんて勿体ないなと感じる。

孤独だけど、それを背負って生きていることは美しい。


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あさぎ
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