朝一番の教室
私が鍵を開けて、カーテンも窓も全部1回開けて、空気を入れ替える瞬間が大好きだった。
教室に人が居なくて、誰かが来る前に終わらせてしまわないと。
清々しい空気が通り過ぎる、その中に佇むのが好きだった。
時間の余裕を持ちたかったのと同時に、いつもいるはずの大人数がいない、1人の空間が大切だった。
*
小学校は集団登校だった。みんなで集まって、6年生の時は班長だったから旗をもって先頭を歩いていた。全員が着いてこれているかがずっと不安だった。
中学校では自由登校になった。当時ハマっていた百人一首をする時間が放課後・昼休みには取れなかったため、7:30という運動部の朝練と同じ時間に登校して友達と百人一首をしていた。
やがて百人一首をする暇なんてなくなり、残ったのは私が教室の鍵を開けるという習慣だけだった。
高校では1駅先の違う高校に通う同級生と共に登校することになり、その子が余裕を持った時間に登校出来るように合わせて朝早い電車に乗り、私が教室の鍵を開けていた。
大学になってもこの習慣は変わらなかった。教室の鍵は元々開いているけれど、教室につくのは授業が始まる30分前だった。
この習慣で困ったことは何もない。
人身事故の多い路線なのにその影響をことごとく受けなかったとか、電車に乗る前に気づいた忘れ物は取りに戻れるとか、得しか無かった。
時間にも他の物事にも余裕を持って行動する。
それが私の精神的安定だったし、それは今でも変わらない。
でも大学になってからそうも言ってられなくなった。
課題も多いし、授業が終わってからの学生会の会議なんてみんなギリギリの到着で、上着も着ずにキャンパスの中を走っているのは私だけだった。
あ、こんなに余裕を持たなくてもいいんだ。
ある程度ギリギリでも、間に合えばそれでとりあえずはいいんだ。
そんなことに気付くのに生まれてから18年もかかってしまった。
余裕を持つのは大切だけど、ギリギリで生きても大して何も変わらない。
病院実習では早く来すぎても逆に迷惑だとも言われた。そりゃそうだ。学生のための場所なんてないんだから。
いいなあみんな、私ももっと早く気付きたかった。朝はもうちょっとだけゆっくり寝られるってこと。
そうは言っても私の早く来すぎる癖は変わらない。
でもまだマシになった。授業の20分前に教室に着いても気持ちの余裕が残っている。
これからは15分前にチャレンジしてみようか。
これからもちょうどいい余裕を探していこう。
人生、早すぎても仕方ない。