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罪を憎んで人を憎まず

朝からTwitterで炎上しているツイートを見てモヤモヤしていたので、思うところを書き記そうと思う。
色々問題もあると思うので、どのツイートであるかは伏せておきます。

罪を犯した側が100%悪い。
それは紛れもない事実だ。
だが、公表されているやり取りを見て何とも言えない気持ちになった。

まずは緩やかな問いかけから始まった。
緩やかだった故に、加害者側は嘘を吐いてしまったのかも知れない。
何とか言い逃れ出来るかもと。
そこから一つ一つ、ゆっくりと、真綿で首を絞めるような責めが始まる。
後出しで証拠を突き付け、どんどん追い詰める。
言ってみれば巧妙なやり方。
初めに吐いた嘘が撤回出来なくなり、焦り、狼狽えた事だろう。
しかし、逃げた訳でもなく事実を捻じ曲げて説明してはいるだろうが、何度も謝罪し自分を恥じている。

そもそもしてしまった事が本当に愚かで、相手への敬意もなく、恥ずべき行為なのは明白だ。
だが、嘘を吐いている事だけを殊更取り上げて誠意が無いと全てを晒す行為はどうなのか?と疑問を持ってしまった。
アカウントを消して逃げる事も出来ただろうが、延々と続くやり取りの中、何度も謝罪し丁寧な返信をしている事には全く目を向けていない。

勿論被害に遭った憤りや怒りは理解出来る。
当然の主張だし法的措置も取れる案件だと思う。
むしろ然るべき措置を取るべきだろう。
それでは気が収まらないという話なのかも知れないが、大衆を味方に集団リンチさせる事は、果たして正当な権利なのか。
昨今そういう事案が本当に多い。
罪には問われない個人的な問題まで、社会的抹殺を図る動きが止まらない。
私はそういった風潮が恐ろしくてならない。

更生する機会は誰にでも与えられるべきだと思うからだ。
間違いを犯す危険性は誰にでもある。
個々の人間性とは、生まれ、育ち、環境など、様々な理由があって形成されるモノだと思う。
中には病気が原因という事もあるだろう。
その何もかもを考慮せず、罪を犯した!罪人だ!と何かある度、鬼の首を取ったように喚き散らす人々が私は怖いのだ。

人が人を裁く事の難しさを、痛感した朝だった。






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