モナリザでないことの証言
午前3時に目を瞑って、久しぶりにとったアルコールのおかげですぐに眠れた。
日付を越える時、雨は止み、夜を一層深くしていた。法律に遵守して発言すると、タバコと酒を身体に入れることが合法化した。この日に書くのは3年目だ。二十歳になった。なってしまった。二十代として書く時に発生する重みみたいなものが怖くて仕方ないと感じている。嫌いな人間に対して、いなくなってしまえ、とすぐに心の中で唱えることで生まれる罪悪が以前よりドロドロしている。
できれば関わりたくないと思っている人間からメッセージが来て、すぐに非表示にした。未だ幼稚なままでいることに対しての抵抗感が強くなった。ブロックまでできないことがその理由だった。
午後はカラッと晴れていて、昼ごはんを済ませてから原付で図書館へ行った。強い風だった。台風の軌道が逸れて、この街は運良く晴れた。昨夜は曇っていて、いっそ豪雨にでもなってくれた方がいいのになんて思っていたが、晴れれば健やかな気持ちになる自分の都合の良さがもはや愛しい。図書館へ行くと思ったより人がいて、僕は時計がよく見える席に腰を下ろした。席を二つ隣にやったところに背中まで艶やかに伸びる黒髪の女性が座っていて、思わず綺麗だなと思った。休憩から戻ってきて、それはもう深い湖の底のように美しくそこに滞った彼女の黒髪が視界に入るたび、ため息が漏れるほどだった。それでも彼女が俯いて机に目をやっているところや、水色のキャミソールをつけて涼しげに夏を飼い慣らしているところを見ると、絵画でも彫刻でもなく、一人の人間としてその美しさを保っていることが分かる。モナリザでないことの証言は僕がする。美しさの議論のために裁判所が動くわけないけれど。
図書館で半日を過ごした帰り際、夕立があった。僕は入り口でそれをぼおっと眺めていた。声の大きいおじさんが僕の後ろで感嘆の声を上げていたが、僕の憂鬱は加速するばかりだった。原付が雨ざらしだった。数十分後に止んだ空はどんよりした雲と茜色に紫をほのかに帯びた空が交互に並んでいた。僕は原付の座席に色濃く残る夕立のキャンバスをハンカチで強く拭き取ってから、ハンドルを捻った。多分、明日も明後日も、この感情は切れることなく、ただ大きい波が小さい波を残してゆくように人生という海が凪ぐための方法を探している。僕が十代の頃に残したメモ帳も読み返せばそんなことを思い出すのだろう。思い出すために、思い出せるようにきっと残したはずだから。テトラポッドに張り付いた海藻類の歌う悲しみと同じ類の比喩を使いながら。考えはまとまらない。それでも、原付に乗って僕は夜に向かって走っていた。加速してゆく身体も、全部、憂鬱になった内側まで吹き飛ばしながら。