十七歳、死んだ、適性検査良くなかった僕
八月二十七日に十八歳になった。分かっていたのに全然分かっていなかった。昨日の九時に晩御飯を食べながら十八歳になることを悔やんで駄々をこねていたけれど、深夜になって頑是ない思い出を掌で転がしていると、青春が正しく吹き飛んだ感覚がする。衝動的にこれを書いている、深夜0:36。数少ない高校からの友人から連絡が来た。「誕おめ」「君もついに成人しましたか」。皮肉を効かせているなと思った。彼は四月生まれだから早々に十七を喪失しているけれど、早熟めいた驕りなのか、はたまた僕の気持ちを完全に汲んで「もう戻れないよ」という意味の強調なのか。どちらにせよ「皮肉」として完璧で、僕が顧みるのに十分な配慮だった。あぁ、終わったな、と。大成を望んでいたわけでも、アンダーセブンティーンに執着するという意志もなかったけれど、何か大切なものを一つでも抱きしめて守っていたかった。それがないまま十八になることの怖さと戻れないという完全な現実の間で揺れている今が堪らなく辛かった。十八歳か。いつだったかは忘れたけど昔はとても大人っぽく見えたなあ。でも今は、昔と今が地続きであることをひしひしと感じる。何かを変えるってことは失うことでも得ることでもなく、限りなく小さな歩幅で自分を騙すことでしか成立しない類の錯覚なんだなと思う。人は変われない。変えられるぐらいなら変えるなんて強い言葉使うなよ。不特定多数の虚しさ、加速させてるだけだからさ。
結局、言いたいことは何なのかというと十七歳の僕が死んでしまった、というただそれ「だけ」でそれ「しか」ない。僕にはそれが唯一、多分誰にでもあった最強の特権だった。「大人にはわかんないでしょう?」って台詞も本当の意味で吐けなくなる。もうそういう「大人」って言葉の現実味が徐々に帯びてきて、ゆっくりゆっくり足先から上がってくるような感覚がする。そして十代最後には首を絞められて「さよなら」も言えないまま、くだらない死を迎えるんだろうなと、過去と未来ばかりを頭の中で反復横跳びしている。
だって今日も自動車教習所に行く。三週間ほど前に入校して早々に受けさせられた適性検査の結果を本来より早く見せられた。簡潔に言うと僕は、神経質で攻撃的で情緒不安定で気分屋で自己顕示欲が高くて協調性がないらしい。ちなみにこの適性検査は80パーセントの確率で当たると言われた。そんなこと別に言わなくてもいいと思う。とりあえず僕は運転適正、もとい社会適正がないことを正面に突きつけられた。そんな節があることは自分でも重々承知していたが、まさか呼び出しまでくらって一対一の個室で話し合いを受けるとは思っていなかったから余程酷い結果なんだろうと分かった。なぜこんなにも内側に恐ろしさを内包した人物と分かっていながら呼び出して、ガソリン塗れの心臓の近くでマッチを擦るのか。せめて適性検査が良くなくて社会的にも不適合だとか察することができないぐらいには取り繕ってほしい。飲み込みにくい現実をオブラートなんて全く知らないんだろうなと思うぐらい無理やり水で流し込もうとする教官に、多分この人だって辛いんだろうな、と思うと辛さゲージが五分の四ぐらいにはなった。感情は結構ちょろい。
今日は修了検定がある。早く合格して昼飯にラーメンでも食べようと思う。もしかすると唐揚げ定食になるかもしれない。とりあえずカロリーと塩気で自分を殴りたい。殴れば傷になって見えるようになって分かりやすくなってしまって、本当に手につかなかったものが整うから。サウナなんて行かないでいいよ。みんなラーメン食べな。僕もついて行くからさ。
結構な時間書き続けている。その割には大して書けていない。けれど青っぽく燃える感情が多少落ち着いてきた。熱が引いてきたような感覚がする。頭のくらくらもなくなった。今日、少しだけ寝たらこの感情の熱さも色も忘れるんだろうか。忘れていくんだろうな。でも、こんなこと書くのは癪だけど忘れてほしくないな。そのための今で、そのための言葉で、そのための場所だ。
十七歳の僕は死んだ、十八歳の僕は今日も、明日も生きて行くんだろうけど、多分ずっと適性検査は何回やっても良くないままだとそういうのを悟ってしまう歳になってしまった。