【あっさじーん伝記】 引用リツイート事件
5月31日 あさちゃんからお悩み相談が届く。ツイッターでとある天鳳の方を怒らせてしまったらしい。
ラス目で逆転手をテンパイしていたところで交わされてしまった、という嘆きツイートだ。そこへ向けて、あさちゃんは引用RTでもって「俺なら8p切る」という発言。
悪気がないことはもちろんわかっているが、「俺なら8p切ってるからラス回避してたかもな(*´艸`)」と言っているように捉えられてもおかしくない。
ちなみに真面目に脳を動かして考えれば、5p切りダマか8p切りリーチの2択になるが、どちらが優れているのかはよくわからない。そんな状況で「俺なら8p切る」と言われたら怒られても仕方がないだろう。ラス回避のチャンスを潰されたタイミングであればなおさらである。
そしてこれを受けた相手方も引用RTで応戦。空気を読めないあさちゃんに苦言を呈した形となった。
ここであさちゃんから相談が来る。内容は以下の通り。
たとえ仕事の途中であっても、モンハンの途中であっても、1分以内に返答しなければならない。それが介護士としての責任である。
「相手がどういう気持ちで上げたのかまでは考えなかったわ」
ツイッターなんて文章の意味と相手の気持ちしか考えることありません。
*
その少し前、5月半ばごろ。
あさちゃんがドラゴンクエスト11(PS4)をプレイしていたところ、中盤後半あたりになって自分が3年前にクリア済みだったことを思い出した。といっても、過去にプレイしたものは3DS版なのでグラフィックやフィールドのデザインがまるで違う。覚えていなくても仕方ないと言えなくもない。ギリギリセーフだ。詳細は過去のnoteを参照していただきたい。
個人的には、彼の恐ろしい記憶の欠如をたくさん目の当たりにしてきたのでこれくらいでは特に驚かないのだが、まともな方としか関わってきていない読者の皆様にとっては新鮮なエピソードなのではないかと思った。そこであさちゃんに提案した。「この話面白いからnoteに書いてみては?」と。
彼は「シャレにならん(^ω^;)」とうざい顔文字を添えて返してきた。だが、ここまでシャレにならないならいっそギャグとして舵を切ったほうがいいと思うのだ。それこそダービーのコントレイルのように突き抜けるべきだ。
これまで私が「これは面白いからたくさん読んでもらえると思う」と言ったものはどれもそこそこ当たってきたのだが、それでも自分のことを書くのは苦手らしい。そこで次の提案に移った。
「それなら2人で協力して書きませんか?あさじんさんから情報をいただいて、私が書きます。報酬は折半にしましょう」
noteのようなものは、情報提供よりも執筆、編集、校正の占める割合が多く、約90%ほどになる。情報を提供しているだけのあさちゃんが50%というのは私が彼にほぼ募金しているような格好だ。しかしそれでも彼の返答は「No」。それならば、と私が他のエピソードも付け足し、100%自力で書き上げることにした。
そして記事公開の数日後、ガジガジの実のガジリ人間ことあさちゃんからメッセージが飛んでくる。
エビスバーとは水道橋にあるビアレストランである。そこで提供されている「ヱビス仕込みのスペアリブ」がとても美味しいのだ。大人の男が満足するくらい飲食を楽しめば、会計は1人当たり5~6千円程度になる。
ちなみに前回来店したのは2019年10月14日。このときは直前までウインズ水道橋で競馬を打っており、盛岡競馬のマイルチャンピオンシップ南部杯で惨敗したあさちゃんは茫然自失・心神喪失となって1時間ほど機能停止した。この間にスペアリブは運ばれたため、あさちゃんに伝えたうえで私と森くんで平らげてしまったわけだ。こちらも過去記事参照。
こうして「エビスバーで半額出します」という約束が交わされた。
その後、上述の引用RTの件であさちゃんが一部の人に叩かれているのを発見。いつもなら100%あさちゃんが悪いが、今回はそこまでではないはずだ。
それを可哀想に思ったのもあり、先日投稿した記事「馬鹿にされているランキング」をコメント付きでRTしていただけたら、エビスバーは半額でなく全額出したいと思ってます、と持ちかけた。
ところがここでもあさちゃんは意味不明なチェックレイズを繰り出してくる。
奢ってもらう立場でどうしてここまで不遜な態度を取れるのか?それは彼が社会的に虐げられて、性格が歪んでしまったからです。本当は素直な人間なのです。新宿Fの某Y会長風に言えば「アベガワルイ」。
その後の弁明によれば「引用RTの炎上でヘイトを集めてしまったので、このタイミングでnoteをリツイートしたら悪びれない態度だと取る人も出そうだからだ」とのこと。
noteの内容と引用RTの件に結びつきはまったくないのに、なぜここまで神経質になっているのか不思議で仕方ない。これほどリスク重視の慎重な思考ができるのなら、最初からRTする際に相手の気持ちを考えてほしいものだ。
そして彼は最後にこう締めくくる。
「とにかく、危険を感じるのでリツイートは控えたい。それでエビスバー半額もなしだというのなら、やむを得ないです」
彼のリスクを重視しまくる思考はすばらしい。きっと向いている職業があるはずだ。
交通費が足りなくなるかもしれない、そんな未来の危機を想定できるのに、なぜこんな金欠になっているのだろうか。そのボーダーラインはどこにあるのか。この謎はきっといつかNASAが解明してくれるに違いない。
そして1時間後、人格が変わったあさちゃんからまた連絡が飛んでくる。
私も鬼ではない。彼がスペアリブをむさぼり食う姿をカメrではなく記憶に留めたいのだ。
*
そんなこんなで6月2日。
この日は遊図に出勤することが突然決まる。
緊急事態宣言が解除されたこともあり、森くん、稚児さん、私の3人は久しぶりにすごろくを開催しようということになった。
すごろくというゲームは物理的には3人でも成立するが、全体的に点棒の動きが鈍くなるためイマイチになる。ちょうどエビスバーをご馳走するという約束もあったので、絶賛本走中のあさちゃんに声をかけることにした。
森 「ノーレートはギャンブルじゃありません」
私 「それね」
本走でしんだらしい
二度と入んないらしい
交通費がないらしい
マジでやばいらしい。
我々は何年も前からこう伝えてきたが、そのたびに「僕は常に平常心で冷静に打てていますよ」とたわごとを吐いてきたあさちゃん。ようやく自身のトリップ属性に気づいてくれたようだ。気づきとはすなわち成長である。
そしてその翌日。
彼のフォロワーならこの光景を10回は見ていることだろう。彼のマンスリールーティンはこうだ。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という有名な言葉がある。これをお読みになっている皆さまは、このあっさじーん伝記を反面教師として学んでいただけていることだろう。
あさちゃんにおいてもこの貧困化は初めてではない。すでに9回くらいは経験しているはずだ。なぜそこから学ばないのか考えてみた。
1. 浪費癖
これは考え方の問題ではなく、病気の一種にあたる。要は、たいして必要でないのに分不相応なものに金を費やしてしまうということだ。例として1000円以上の外食であったり、フリー雀荘で遊びたおす行為などが挙げられる。給料日前にお金がなくなるような財政状況の人は1ゲーム300円の遊びをする身分ではないだろう。彼も「お金使わないほうがいいよなぁ」とは自覚しているはずだ。それでも使ってしまう。これは依存症と言ってもいいだろう。早めの診察をおすすめします。
2. 愚者を超える愚者
私には好きな言葉がある。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶが、究極の愚者は経験からも学べない」。もちろん私が(あさちゃんと知り合ってから)作った言葉だ。
一般的な愚者は失敗して痛い目に遭うことで、ああこれはいけないんだな、ここが良くなかったんだなと本能的に学ぶ。そして賢者はそういった愚者を見て、こうやるとこういう失敗につながるのか、と学ぶ。
一方で究極の愚者はこのどちらにも当てはまらない。ああやっちまったを永遠に繰り返しているだけである。 これは認知能力、記憶、知覚、注意、言語理解、判断、推論などの機能がうまくはたらいていないことに原因があるのだと思う。ゲームでいうところのNPC(Non Player character)みたいなものだ。これはもうどうしようもないので、どうか健康に長生きしてくださいとお祈りするしかない。
3. 気持ちよくなっちゃってる
これはかなりマズい問題で、パチ屋や競馬場などで「お札が機械に吸い込まれていくのが気持ちいんだよ」というイっちゃってる発言をする人がいる。浪費癖と似通った部分もあり、お金を使うことでストレス発散になるタイプの人もこれに当てはまる。
あさちゃんがこのタイプだとすれば、給料日後には財布のヒモが消失したようにスルスルとお金を使ってしまい、次の給料日前になって「あと530円で給料日まで生活しなきゃ(^ω^;)」とツイートすることに気持ち良くなっちゃってる可能性もあるということだ。
もしこれが真実だとしたら治療するのは本当に大変である。そもそも治療しなくていいのかもしれない。
将棋棋士の故 米長邦雄氏は、最後のA級順位戦に向けたインタビューでこう語っている。
あさちゃんの人生はやりたいことをやれているのだろうか?金欠のせいでやりたいことができないのではあるまいか?
思うに、長い極貧生活のせいで「まあこのままでも幸せだしいいか」と麻痺してしまっているのではないか?
いまの人生で満足しているならそれでいい。しかし、こんなはずじゃなかった、もっとやりたいことがたくさんあると少しでも思っているならまだやり直せる。あさちゃんの周りには手を差し伸べてくれる人がたくさんいるのだから、困ったときは周りに頼ればいい。ただし横柄な態度はダメだ。どんなに人の手が必要な状況でも、傲慢な態度で「手伝うのが当然だろ!」と言ってしまえば誰も目を向けないだろう。ものすごく下から、下水道のさらに下から見上げるくらいの低姿勢でいかなかれば誰も振り向かない。
あさちゃんにいま必要なのは謙虚な姿勢、それと情熱だ。それを前面に出せば、きっとみんなで協力して幸せな未来にたどり着けるだろう。
そんな抱負を込めて、私は今回、動画のサムネを3秒で作った。
タイトルはもちろん
『 あさじんは救わない』 である。