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保育へ対する気持ち 〜私の原点〜

私が幼稚園の先生になりたいと思ったのは自分が幼稚園の時だった。担任の先生に憧れていたからだ。そして、近所の年下の子どもたちをまとめて遊んでいたこともあり、自分は小さい子が好きだ、小さい子の世話が上手いという自信につながった。そして無事に幼児教育の4年大学を卒業し晴れて幼稚園の先生になった。

幼稚園の先生になりたいという気持ちは誰にも負けないくらいある自信があった。

1年目は副担任からだった。その園の流れであり、4年目の先輩の下で3歳児の副担任をした。そして2年目は自然と1人担任になれると思っていた。

しかし、違った。1年目の学期末に来年も副担任でと言われたのだ。

ショックだった。

私は、誰にも負けない気持ちだけはあった。だから、園長に直接聞きにいった。「なぜ副担になるのか?親からのクレームなのか何が原因なのか具体的に教えてもらいたい。直せるところがあったら直して次の年には、1人担任を持ちたい。」と言いにいった。

そしたら、2年目で副担ではなく担任を持たせてくれた。その年に入ってきた経験者を副担につけて(心配されていたのだろう)

後から知った話だが、保護者のクレームとかではなく一緒に組んでいた先輩が私のダメなところを学期末に上司に伝えたのだ。

悔しかった。

何も教えてくれなかったし、何も注意されることもなかった。そして、そのままその評価が私の評価になったのだ。

でも、その時私はこうも思った。

私はかなり消極的だった。自分から聞いて学ぶ姿勢がなかった。空気を読みすぎて完全に空回りしていたのだ。だから、自分が悪いと繰り返し唱え、そして自分が先輩になった時同じことはしないと心に誓った。

私が園を辞めるまでの6年間ずっとそのマイナス評価を園長に持たれながら担任としてやっていくことになる。

どんなにいい保育をしても、頑張って仕事をしてもそれは上司にとっては当たり前だった。

他の同僚が保護者からのクレームにより担任を外されたり、結果辞めることになったりと社会は自分が思っていたよりシビやで甘くないことを知った。

上司は常にクレームに怯えているように見えた。

そんな上司に私は怯えていた。マイナスから始まった私はもう大きなミスはできないと思っていた。

6年目になり、一番古株になった。園全体の仕事は把握し、余裕も持って仕事に取り組めるようになった。勤めている間保護者からの大きなクレームもなかった。
そして、新しいことに挑戦するために一度保育から離れた。

私がここで勤められたのは他の仲の良い先輩が私のことを見てくれ、認めてくれたからだ。

そして、私の仕事のモチベーションは園の為でもなく、上司の為でもなく、“子どもの為“だった。

6年間、すごく大変だったし、たくさん悩んだし、できない自分に何度も向き合わざる終えなかった。けれど、今思えば充実した楽しい日々だった。何より同僚に恵まれた。“子どもの姿から保育に下ろす“素敵な保育をする先輩と働いたことは、今の私の保育観に大きな影響を与えている。

あの経験があったから今の私がある。

話すだけで悔しくて嫌な記憶もあるけれど、それ以上に心を動かさた経験をさせてもらった。

感謝でしかない。

私を幼稚園の先生にしてくれた場所。

保育というものを身につけさせてくれた場所。

今でも私は保育が大好きだ。

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あさみ
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