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産後うつで入院したこと
2023年、7月。
「産後うつ」と診断された。
第2子が生まれてわずか1ヶ月のことだった。
診断が下りたことで正直ほっとした。
子が生まれた後、産婦人科の1ヶ月健診では、
「お母さんの心が心配。」
と言われた。
『子どもを可愛いと思えないことがある』
『涙が止まらないことがある』
『死にたいと思うことがある』
の質問全てに『はい』で答えた。
そこから心療内科を紹介してもらった。
下の子が生まれて私は2児の母になった。
正直言うと、上の子だけで手一杯な部分があった。
上の子は、完全母乳で育てたが、授乳拒否が酷く、なかなかおっぱいを飲んでくれなかった。
体重は成長曲線を外れ、体重増加不良のため病院に通った。
離乳食が始まるも、これまた少食でなかなか食べてくれなくて苦労した。
毎日食事に2時間はかかる。
毎食、つきっきりで食事を与えた。
そしてちょうどイヤイヤ期の2歳になる頃に弟が生まれた。
上の子の時は、完母でかなり苦労したので下の子は完ミで育てると決めていた。
まさかとは思ったが、下の子も生まれた時から授乳拒否が酷かった。
なかなかミルクを飲んでくれない。
たった80ml飲ませるのに1時間はかかる。
30分飲ませ続けてたった10mlしか減ってないなんてことが毎日のように起こった。
私はどんどん疲れていった。
日中は下の子の授乳に時間がかかり、それが終われば上の子の食事の介助。
それが終わればまた下の子の授乳・・・の繰り返し。
育児に没頭すればするほど、私じゃなくなっていく感覚があった。
子どもを生む前の、オシャレが好きだった私も、ライブが好きだった私も、飲みに行くのが好きだった私も、もういない。
見た目はボロボロで、好きだったものには目もくれず、スマホを見るのもしんどくて、ただ授乳と食事の介助をして1日が終わる。
母親をすればするほど、私から「色」がなくなっていく。
ある日、限界がきた、
その日の夜、上の子はご飯を1口も食べてくれなかった。
「なんで!!!!!!!食べてよ!!!」
私はいつものように怒鳴り散らした。
動画で気を引いても、違うメニューにしても、どんな手段を使っても食べてくれない。
今思えば、お腹が空いてなかったのかなとか、1食くらい食べなくても大丈夫と思えるのに、あの時はもう正常な判断ができなかった。
夫が「もう今日はおしまい。」と言って食事を下げた。
しかし私は怒りが収まらなくて、怒鳴り散らした。
涙も止まらなかった。
その日はなぜか食べないことがどうしてもどうしても許せなかった。
すると夫は言った。
「なんでいつもそんなにネガティブなの?もっとポジティブに考えた方がいいよ!もっと気楽に生きなよ!」
その言葉で、プツンと糸が切れた。
確かに昔から真面目で完璧主義で、生きづらいとは思ってはいたけど。
こんな私はいない方がいいんだ、と思った。
「もう死んでしまおう。」
今までぼんやり思っていた「死にたいな」が「死んでしまおう」に変わった。
夜、子どもを寝かしつけている時、「これが最後」と言いながらギュッと抱きしめた。
そして夫と子どもたちを寝室に残して、自分だけリビングに戻った。
心療内科でもらっていた大量の薬を一気に全部飲んだ。
冷静に考えたら薬を飲んだだけで死ねるわけがないのに、その時は本気でこれで楽になれると思った。
その後の記憶は、全くない。
気がついたら病院のベッドの上にいた。
「目を覚ましてくれてよかった〜」と看護師さんに言われた。
あのあと、家で倒れて救急車で運ばれたらしい。
私はその日から入院生活が始まった。
周りを見渡すと、そこはお年寄りばかりの大部屋だった。
だけど私だけその部屋から出ることは許されない。
院内のコンビニに行くこともできない。
私のベッドの上だけカメラがついている。
行動を24時間監視されている。
トイレに行く時もドアを開けて用を足さなければいけない。
シャワーに行く時も看護師さんがついてきて、後ろで見張られている。
スマホの充電器は没収された。
あぁなんか大変なことをしてしまったんだなとそこで初めて気が付いた。
精神科医との面談が行われた。
「子どもたちは児童相談所とかに引き取られたりしますか?」
私は真っ先に1番心配していたことを聞いた。
こんな大変な事態にしてしまったのは自分なのに、子どもに会えなくなるのは困ると思った。
病院の先生には、
「だいたい何錠薬を飲んだかも自分で分からないくらいの精神状態なのに、今1人で子どもなんて育てられないでしょ。」
みたいなことを冷たく言われた。
その日はなかなか眠れなかった。
看護師さんと話をした。
子育てがしんどいこと、子どもがなかなかご飯を食べてくれないこと、初めて話した。
看護師さんは、分かるよ、うんうん食べないよね〜と話を聞いてくれた。
「子育てって本当にしんどいよね。でも確実に大きくなるから。」
「心配しなくても絶対にいつか楽になるから。」
と看護師さんは言っていた。
産後うつになってからは今まで誰に何を言われても否定的に捉えてしまっていた。
だけどその日の看護師さんの言葉だけは心に響いた。
そこから私は数日間入院し、無事退院できた。
退院後は地元に帰り、2ヶ月間実家で子育てをした。
実母には上の子の食事はほぼ任せっきり、下の子の深夜のミルクもお願いすることが多かった。
おかげで夜もちゃんと寝られるようになり、ご飯も普通に食べ、精神的にもかなり楽になった。
保健師さんからの勧めもあり、上の子は保育園に入れることに決まった。
実家を離れ、家に帰ってきて、またワンオペが始まった。
何度も何度もつまずくことはあったし、泣いたり怒ったり忙しい毎日だった。
あれから1年半が経った。
あの時看護師さんが言っていた「絶対にいつか楽になる」という言葉の意味がようやく分かってきた。
毎回毎回怒鳴るくらい辛かったミルク拒否も体が大きくなるにつれて少しずつ和らいでいった。
ミルク缶に書いてある標準の量には全然届かなかったが、子はすくすく大きくなった。
上の子も2時間かけて全介助で食事を食べさせていたが、1人でご飯を食べられるようになった。
一生忘れることのない、本当に本当に大変な1年間だった。
出産が終わったら、「お疲れ様!ゆっくり休んでね。」と周りからよく言われる。
私も友達が出産したら、常套句のようにこのフレーズを使ってきた。
だけど「休んでね」と言われるわりには休める時間なんてさらさらない。
今、誰かが出産したらなんと声をかけるだろうか。
自分だとしたらなんて声をかけられたいだろうか。
「休んでね」じゃなくて「サボってね」だなと思う。
または「子どもから離れる時間を作ってね」かな。
私のメンタルや体が少しずつ回復したのは子の成長もあるが、子どもから離れる時間をたくさん作った(作ってもらった)のが1番大きいかなと思う。
保育園や1時保育、託児所、実母や夫に預ける時間。
きっと真面目な人ほど、「自分がやらなきゃ」「サボったらダメだ」と頑張る。
今だから断言できる。
サボっていい。
むしろ母親はサボりまくれ!!
結局1番子どもに優しくできる時って、自分に元気があって余裕がある時だ。
子どもと離れて1人時間を満喫した時。
友達とご飯を食べた日。
子どもと離れているときに限って子どもたちに何買って帰ろうかな〜なんて考える。
結局、母親が元気なのが1番いい。
怒鳴りまくって家族に当たり散らしていた頃より、離れる時間を作って余裕ができた今の方が、子どもも私もお互いに表情も心も豊かになった。
私は時間があればダラダラし、好きなものを食べ、好きなものを買う。
晩御飯だって平日は宅配サービスに頼り切っている。
掃除も片付けも苦手だから、自分ではできることだけやってあとは夫が帰ってきてからやってもらう。
子どもが保育園から帰ってきても、自分がしんどい日は動画を見せている。
大好きなオシャレもする。
お酒も飲む。
好きなアイドルのライブだって行く。
もう書いていて恥ずかしいくらい、サボっているし好きなことを存分にしている。
させてもらっている。
でもそれでいい、それくらいで、やっと幸せを実感できる。
一生懸命子どもと向き合うことだけが母親ではない。
我慢することが当たり前ではない。
サボること、これも立派な母親業だと学んだ。
どうか全てのお母さんたち。
自分の「色」をなくさないで。
好きなことをしていい。
サボっていい。
時には逃げてもいい。
私はサボり、自分の好きなことを取り戻し、最近はやりたいことや夢を追いかけられるようになった。
そうやってようやく自分の「色」を取り戻せた。
これからは子どもたちのことはもちろん1番大切に。
でも、自分のことも1番に大切に。
子どもの人生も、自分の人生にも色をつけながら進んでいきたいと思う。