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あなたの居場所が無かったら
1.ずいぶん前に起こった衝撃
もう40年以上もむかしのこと。
その海外の心理系の論文では、幼児の行動を分析していたのです。
2,3歳ぐらいの子どもを集め、母親から離して遊ぶかどうかを見た。
結論をいえば、母親が不安傾向にある子は親の姿が見えなくなると、泣いた。
一方、母親に対して安心できる子は、親の姿が見えなくとも遊び続けたのです。
そりゃそうなんでしょうが、わたしにはショックだった。
わたしは、論文のことを何度も思い出しては、何度もシーンを思い描いた。
たとえば、あなたが少し大きくなり外で近所の子たちと遊ぶようになる。
ある時、あなたはいじめられる。
うぇーんと大泣きし、あなたは家に駆けこんで母に訴える。
1つの母親のパターンは、なにがあったのかを先ず確認するでしょう。
「どうしたの?何があったの?」「いじめられたの?誰に?」
もう1つの母親のパターンは、きっと確認より先に受容から始まる。
「まぁ」「よしよし」と抱っこし、抱きしめ子が落ち着くのを待つ。
わたしの母は不慣れな農家に嫁ぎ、22歳でわたしを産んでいます。
閉鎖的な村。
早朝から深夜まで、家事、農業が連続したそうです。
負けず嫌いな母は、大勢の舅姑、小姑に囲まれ、いじわるもされた。
穏やかな夫は、しかし、若い妻を守るということを知らなかった。
さらに、母は実家に帰っても、「わたしは良い所に嫁がせてもらいました、しあわせです」と言った。
母の母は、幼少期から不幸の生い立ちだったから、娘はその母を不憫に思い、心配させまいとしました。
自分の母親は、おしんより、辛い目にあった人だという。
娘はその母親の死の直前まで、自分の辛さは隠し通した。
わたしの母は、わたしに”甘え”を許しませんでした。
また、わたしはバカ、バカをよく言われた。
わたしは、勉強が大嫌いだったので、逃げようとするたびに尻を叩かれました。
すべきことをせよ、ということだったのです。
母にはそれだけだったはずですが、わたしには「私に従ったら、そしたら愛してあげる」と聞こえていたでしょう。
こうして、わたしが求めていた愛が資本主義のように等価交換物にすり替わった。
わたしは、あの観察実験の”母親が不安傾向にある子”だったのだと思うのです。
どんなに我儘言っても、理不尽なことしても、そのままに母親に受容されるということはあり得なかった。
等価交換されると、子は困惑し不安がるのです。
何が起こっても常に信じるべき、基準のようなものが持てなくなるでしょう。身が分裂し揺れやすい。
わたしを受容したくなかったのではなく、母はできなかったのです。
彼女もまた、その母から受容されるという育成史を学べなかったのですから。
受容姿勢は、気性という遺伝子ではないのです。文化遺伝するものでしょう。
わたしは、母のことを書くたびに、その文化遺伝の連鎖をじぶんの代で断ち切らねばと自身に誓って来ました。
わたしが道を走っていて転び、膝をすりむく。
痛いっ、どっと出て来る血にいっそう恐怖が押し寄せる。
わたしは、わーんと泣いて母の元に帰る。
泣いて帰っても、わたしを無条件に抱きしめてくれる時空が無い。
その子は大きく成って行く。
でも、子には何があっても絶対に安堵できるという居場所が依然として無いままです。
子は、無意識に母の認知を求め続けるのですが、
それが他者評価や社会的なステータスの獲得へとすり替わるでしょう。
そして大きく成ると母依存は恥ずべきことです。
子はこころの根底に流れ続けるていることを恥じ、気が付かないようにします。
わたしは、先の論文を見るまでそうしていたのでした。
2.何者かになりたい者が、筆を絶つ
先日、ある方が筆を絶ちました。
退会しないけど、もうこのような文は書きませんという。
喜びも苦しみも率直に書ける人。他者に読ませるという力の優れた方だった。
なのにもうその手の文章は書きませんと宣言した。フォローワーたちに動揺が走りました。
彼は、「賞やコンテストの類に応募して落選するたびに、自分でも驚くほど落ち込んでしまって、
挙句の果てに、家族や友人たちをその自分のストレスのはけ口にしてたくさん傷つけていた」という。
どんなに子を愛していてもそうなってしまう。
そんな父を見ていて辛くなった息子に、「お父さん、そろそろやめたら?」と言われた。
本末転倒なことを繰り返していると、そのうちおまえは大切なものをすべて失うよ、という神様からの警告のように彼には聞こえたという。
リアルに自分を分析していました。
選ばれない側に立つたびに、「自分が何者でもない」という事実に耐えられずに、気持ちが激しくかく乱されるのだと。
彼は、こんなシーンをあげていた。
「何者じゃなくても、今の僕には、愛する家族や、数は少ないけれど気心が知れた友人たちがいて、じゅうぶん幸せなはずなのに・・・。
にもかかわらず、どうして僕の胸はこんなにも、息もできないくらい苦しくなるんだろう?
気づいたら、そんな僕の目の前に、小学生くらいの男の子がひとり立っていた。
白いアディダスのキャップを斜めに被った彼は、いつものようにおどけてみんなを笑わせようとしていたけれど、よく見るとその両目からは涙があふれていた。
「僕はみにくいあひるの子だ」
「僕は憧れのお父さんみたいにハンサムでもなければ、頭も賢くない。
だから、いつもお父さんから、おまえはダメだ、ダメだって言われても仕方ないんだ」
「でも、仕方がないことなのに、どうしてこんなにも悲しくて悲しくて涙が止まらないんだろう」
「でも、こんな僕でも、頑張って、偉くなったり、有名人になったら、お父さんも認めてくれて、いつか僕のことを優しく抱きしめてくれるかな」
そう言いながら、少年は泣きじゃくっていた。
賞を獲得し誉れ高き者に成りたがっていた自分だったのです。
賞という他者認知。それをどこまでも求め続けてしまう自分と決別したい、と言う。
愛は求めるものではなく、与えるものだと彼は言いたかったでしょう。
彼がわたし自身と二重に重なりました。
3.子を捨てる
YouTubeのショートを見ていると、生まれたての動物を拾って育てる人の多いことに気づかされます。
雨の降る中、どしゃぶりに叩かれながら子猫が震えてる。
降る雪に半分覆われた状態の子犬が死にかかっている。
それは鳥、リスでもアライグマでも、チーターやピューマ、ライオンでもある。
頻繁に子が打ち捨てられています。
たまたま通りかかった者が、それに気づき可哀そうにと家に連れて帰るのです。
小さなスポイトでお乳を与える。すこし食べれるようになると、肉を与える。
最初は警戒していても、日々が過ぎると養育者を信じれるようになります。
養育者は動物の子に餌をやり、添い寝し、全身をくすぐったり、ハグする。
とにかく口を動物の顔に近づけキスをする。
どの養育者も行為が同じことに気づきます。
やがて捨てられていたことも記憶の彼方に消え、養育者に全力で甘え、家じゅうを走り回ります。
やがて、子はおもいっきり大きく成る。
ライオン、クマ、ピューマはあなたが想像する以上に巨大です。
でも、けっして養育者を傷付けません。
どの動物もわたしたちとまったく同じだったことに驚きます。
どの子も親に全身で愛を表現して来るのです。
ショートを見ながら、わたし、ああ、、良かったって思う。
もちろん、人間に育てられたらもう仲間の元へは帰れないのだけれど。
もちろん、出産で亡くなる母親も多いのです。
でも、たいはん、にんげんが動物の子に気が付いた時、すでに母親の姿はなかった。
肉体が母になることはできても、精神がそうなれるとは限らないということです。
人間と同じように、一定割合は子を愛せないのでしょうか。
それは遺伝子のせい?
いいえ、そういう遺伝子は後世に伝わらない。
やはり、母の愛の加減はまた文化遺伝するでしょう。
親が子を愛するのは当たり前という人がいますが、その愛にはかなりブロードな幅があるのです。
でも、子はまちがいなく一途に親に愛を捧げる。
4.悲しみの目
子どもが産まれて1週間目ぐらいのこと。気が付くとじぶんの子が微笑んでいました。
ああ、、かわいいっ。
同時に、わたしは驚いた。
子は生れたばかりなので、わたしが誰かが分かるはずもない。
きみとわたしとの関係は未だ一行も紡がれてはいない。
彼は無意識に埋め込まれていた反応をしていた。
わたしに微笑んだわけではないのです。
それは分かっていた。けど、嬉しいっ。
わたしは子が与えてくれたことに無上に喜びました。
先の方だけではないのです。
わたしも、子はかわいいが自分がピンチになってしまうと、情動がじぶんを貫徹しました。
子を邪険に扱った。煩いっというわけです。
かれらは、親に愛されたくて全力でわたしにむかってくれていたのに。
わたしはどこまでもじぶんファースト。
かれらは、悲しみの目でわたしを見ました。
たしかに、命に代えて全力で子に向き直さねばならない時もある。
その悲しみの目をふたたび起こさせてはなりません。
でも、とわたしは思うのです。
筆を絶った方は、N.O.T.Eさん。
以下から勝手に引用させていただきました。
でも、とわたしは言いたい。
わたしたちは、自分ファーストに成ることも必要であり、家族ファーストも必要です。
要は、そのバランスのとり方がへたくそだったということでしかない。
そのヘタの原因を受容できれば、ひとはもう解き放たれるのです。
ようやくバランス運用ができるようになる。そうやってまた、居場所を作る。今度は家族とともに何者かを見出す。
あなたは、すごく読ませるひと。
人は飛ぶ前には一度、かがまねばならないと言います。