独りよがりで毎日書き続けてるのかもしれません
書いて見て、ずいぶんわたしはじぶん自身を知らなかったんだなと思いました。
1.カリコさんの話
いつもなら、わたしは受賞に関心はありませんが、今年は違いました。
新型コロナウイルスワクチンの開発に貢献した者に2023年のノーベル生理学・医学賞が与えられた。
カリコさんたちは、遺伝物質「メッセンジャーRNA」を使ったワクチン開発の基盤になる成果を2005年に論文発表し実用化に大きな役割を果たした、と。
ペストは、6世紀から始まり14世紀に起きた大流行では当時のヨーロッパの人口の1/3が死滅しました。
これを考えると、確かにカリコさんたちの偉業といえます。たしかに、わたしたちの目の前であっという間に対応ワクチンが開発されていった。
で、受賞が決まった米ペンシルベニア大のカタリン・カリコ特任教授(68)は、記者会見に臨んだ。
謙虚でこころ広い彼女。苦労して来た彼女はこう言いました。
「何かの賞のために研究しているわけではないのです。大切なのは役に立つものを作ることです」。
さらに、彼女は”晴れがましい舞台に上がって述べる者”自体を否定し、科学者へのメッセージを問われこうエールを送ったのでした。
「スポットライトを浴びたいのであれば、俳優や女優になればいい。でも、自分が問題を解決したいと思うのであれば、あなたは科学に向いているわ」。
ブログ書きたちの場合で考えてみると、「何かの賞のために発信しているわけではない。大切なのは役に立つ文章を作ることだ」となる。
自閉せずに同胞に手を差し伸べることにこそ、あなたの存在する意義がある。
直木賞や芥川賞は結果でしか無くて、どうやって人たちの役に立つかをあなたはいつも考えているの?と聞かれたことになるでしょう。
ああ、、それでも派手なスポットライトを浴びたいというのがあなたの主題ならば、俳優や女優になる方がよっほどあなたに向いているし早いと。
この会見を読んで、わたしは林修さんを思い出した。
塾講師として「いつやるの?今でしょ!」でブレークし、ピン芸人のようにすぐにテレビから消えるのかなと思いきや、せんせい、今や不動の地位を築いておられる。
2.林せんせいはどちらの軸で考えるているのか
林修さんの「初耳学」という番組でした。
以前、有名大学出たニートの人たちを集めてせんせい、講義しました。
高学歴なのに仕事で優遇されることもなく、思ったような人生が送れていない・・と世の中の理不尽さを嘆くニートたちが集められた。
できる人とできない人の差はどこにあるのですか?という直球の質問が出ました。林せんせい、こうキッパリ答えた。
「社会で働くようになると、たくさんの問題を解かなくてはならないです。
テレビの仕事なら視聴率をどう上げるか、予備校講師ならどうやって受講者を増やすのか。
そんな時に要求されるのは、解決する力と創造力・・この二つです。
どちらかの能力を持っていれば"できる人"と評価される。学歴は関係ないんです」。
そして、高卒ながらも想像力を武器に不況といわれるアパレル業界で新しいビジネスモデルを作り大成功したZOZOTOWNの前澤社長の例えを挙げられた。
好きな仕事でないと働きたくない、収入や休日の数などの条件が見合う仕事がないと嘆くニートたちに対して、せんせい、こうも言ったのです。
「"好き、嫌い"と"できる、できない"、どちらの軸で考えるかが人生の大きな分かれ目だと思います。
この場合の"できる"とは、多くの他者が認めてくれる"できる"のことで、僕はこちらの軸の方が大事だと思う」。
「やりたい事、好きな事というのは"偶然"だと思っています。
人間の願望というものは、環境や情報など外部の要因で出会うものだけど、"できる"というのは偶然ではなく"必然"です。
(自分は)決して好きなことではないが、周りが"できる"と認めてくれる予備校講師の仕事を続けてきましたが、結果うまくいかなかったことや悩んだことは何ひとつないです」。
すごいことをせんせい、さらり言った。
3.せんせいの失敗
塾の講師をしていたとき、ある大手出版社の編集から、「仕事がうまくいく話し方講座」とか「受験必要論 人生の基礎は受験で作り得る」とかいうノウハウ本を書かないかと誘われたんだそうです。
自分ではぜんぜん書きたいとは思わなかった。興味も無かった。
でも、彼は社会から期待されたチャレンジに対してはいつも全力でベストを尽くすといいます。
私は、資本主義というこの世を競争ゲームのように思っていますと補足しました。(ちなみに、塾講師もこの高学歴ニートの番組企画もほんとは自分がやりたいことでもないし、好きなことでもないです、と率直に答えました)
結果、累計100万部以上売れた。売れて印税も入った。
でも、せんせい、すこしも嬉しくなかったし、売れたことに関心も無かったと言う。
ただ、声を掛けて来た編集者は臨時の立場だったんだけど、その“成功”によって出版社の正社員になった。
その方のご両親がちゃんとした会社に就職できたというのでたいへん喜ばれていましたよと付け加えた。
で、林せんせいにもその成功が起点となって、好きなことを書けるチャンスが来たそうです。
で、林せんせい、おもいっきり「自分が好きなこと」を書いた。
『すし、うなぎ、てんぷら ~林 修が語る食の美学 』という本だった。これがまったく売れなかった・・。
自分が書いた本で重版にならなかった唯一の本だそうです。「すごくすごく苦い想い」がありますと言った。
「すし、うなぎ、てんぷら」? そりゃ売れませんね。わたしでさえそう思う。
でも、、わたしも毎日ここに「すし、うなぎ、てんぷら」を書いてるだけなのかもしれない。。
3.かのじょに聞いてみた
カリコさんの話も林せんせいの話も、読む限り、そうだよなってわたしに依存はまったくありません。
でも、他者を支援したいという気持ちがあるのに、そうはしていない・・。
「役に立つ」ことより、「じぶんが好きなこと」に目を奪わてしまってます。その分じぶん自身をよく見ていなかったのでしょう。
じぶんの両親から引き継いだ能力は何か、手元に持っている武器は何かを知らずに、生きる戦いに参加してしまってた・・
これってなかなかマグレ以外に当たらない、世間から称賛されるなんて無いのです。必然でしょ?
いっしょに林せんせいの番組を見ていたかのじょに聞いてみました。だいたい、こんな会話でした。
「林せんせいはあなたによく似てるなぁ・・って思ったんだ。自分のしたいこと、好きなことより周りからの要求に先ずミートする。
もちろん、自分が好きなことってあるにはあるけど、それを第1に置いて行動するってない。だよね?」
「そうね、どちらかと言えば、近いわ。でも、わたしは林せんせいのように有能じゃない。
出来ないことの方がいっぱいだから、来る者拒まずということになるだけなんだけど。」
「せんせいがすごいのは、自分が好きなことをしたいってことはきっぱり諦めているところだと思う。
それより、周囲から認められ期待されていることに精いっぱい答えようとするんだ。いくら人生ゲームと捉えているからといって、みあげたもんだなぁ・・。」
「あなたは、誰がこれに向いているか、誰がやりたがっているかをいつも的確に見ているように思うの。
そうして人たちを組み合わせて目標を攻略するのに秀でているわ。チームを作るのがうまいの。
だから、あなたが自らするというよりも、編集とかプロデューサー、組織の組成とかいうことの方が向いていると思うの。わたし、ずーっとそう思って来たわ。
でも、あなたはそれはあんまりやりたがらず、自分で創ったり考えたりすることの方が好きなのね。」
「うん。。。けっきょく、会社はわたしにそういう組成や企画の仕事をさせ続けたんだけど、わたしは納得してなかった。
わたしの願望としては、自分が考えて、自分がやってる姿が好きなんだ。
組成や企画というのは、自然とじぶんが出来ることでしかないんだ。わたしは自ら信じることをじぶんでしたい、そういうのが好きだと思う。」
「そうね。あなたが好きなことと、社会があなたに期待したがることとはいつもすこし離れているように思うわ。」
4.勘違い
あれれれれ?もし、かのじょの言うことが正しくて、林せんせいの在り方が真実だとすれば、わたしはブログも勘違いしてた?
わたしは、雨の降る様、あなたが辛がるシーンにとんでもなくこころつかまれてしまう。
だから、なんとかあなたに橋をみずから架けたい。
わたしはこう感じた、わたしはこう思うんだってじぶんで書き表したい。それが自己を表現するってことだと思って来ました。
でも、とかのじょはいうのです。あなたは若い人たちの相談に乗るような活動が向いているんじゃないか、と。
でも、わたしは相談に乗るより、自らなにかを生み出すことを望む。
主体感を求めるわたしは、直接じぶんで橋を渡したい!
教えるということにはわたしのこころは振るえないのです。
そう言えば、歴代の担任たちは、わたしに先生になれなれと言ってきました。(小中高とどの担任からも言われウンザリしました)
教えること自体は嫌いではないのですが、でも、わたしはいろいろ理屈は付けてその道を選択しなかった。
わたしの適性(あるいは社会の要求)は、「主」ではなく、サポートする「従」の立場である、と言われてるようなものだったのです。
とんでもない!そんなの嫌っ!
わたしはばりばりのスポットライト派なんです。ああ、、俳優に成れば良かった・・・。
高校時代、ブラバンにいました。わたしの隣でトランペット拭いていたワタナベケンのようになれば良かった?
彼はトランペットが上手かった。すこし切り立ったオーラがありました。
そんな未来の俳優がそばにいるなんてぜんぜん気が付きもしなかった。(サインもらっとけば良かった)
いや、わたしは演じてみたいとも思わなかったし、演じてみてはという声もじんせいには無かった。
その2つが揃わないと、ケンの道には進まないのは当然でした。
「じぶんが好きなこと」、「じぶんがしたいこと」を落としてみて、それでも誰かに要求されることがわたしの「個性」や「適正」だということになるのでしょう。
わたしが進むべき道はじぶんでは定義できない。それは、自分をよく見ている周囲の声が決めることだと。
あなたも自分の人生は自分が選択し決めないといけないと思ってるかもしれません。
しかし、その制御感は、結果からみれば『すし、うなぎ、てんぷら』という本に終わる可能性が大、なのでしょう。
5.パラフレーズしてみる
ブログ書きたちの場合にあてはめると、「何かの賞のために発信しているわけではない。大切なのは役に立つ文章を作ることだ」となります。
ということで、「人の役に立つ文章を作るには、自分が書きたいことではなく、今まであなたに求められてきたことだ」となる。
誰にも、「求められてきた」ことはあるはずなのです。
いや、そんなの無いという人は、それに気が付かないようにしてきたのです。わたしのように。
でも、それこそがあなたが「できること」なのです。
直接的に「きみはこれが向いているよ」、「これを書いてよ」なんて言われることは滅多になくて、「あれっ、こんなこと出来るんだ、すごいね」とか、「こうしてもらってすごく助かった。ありがとう」という声になります。
それを素直に受け取れるかという1点に集約されると思います。
とても不思議なことに、わたしたちは世間が注目するステータスには興味を持つけれど、自分のやってることが「どれほど人の役に立つ」かとは、ほとんど考え無い。(お決まりのように”社会的動物だ”と言われる割に)
人の役に立つことをするよりも、正直言えば、自分を見て見てと自閉する方が簡単だし安心でしょう。
他己よりも利己な方に傾くのが当然でしょう。
でも、自己に自閉する者が、他者の尊敬を受けたいと言い続けるの?、人間としてもっと高い喜びを目指しません?
カリコさんなら、ブログ書きたちにそう問うのだと思います。
P.S.
ハンガリー出身のカリコさん。
高校生のころ、科学者を志し、20代で遺伝物質の研究を始めます。
当時、社会主義体制だったハンガリーは、1980年代に入り経済が停滞しました。
研究費が打ち切られ活動が続けられなくなった。30歳。そこで、夫と、2歳の娘とともに、アメリカに渡る決断をします。
当時、ハンガリーでは外貨の所有が認められてなくて、国外へ持ち出せるお金が、わずか100ドルと限られていた。
家族3人の生活をつなぐには、とても足りないのです。娘のクマのぬいぐるみの背中に入れて上から縫って持ち出した。
mRNAをワクチンなどに用いるアイデアは、以前からあったものです。
ただ、研究者の間では「実現困難」とみなされてきた。体内に入ると異物として認識され、大きな炎症反応が起きるからです。
カリコさんたちは、mRNAを構成する物質の1つ『ウリジン』を、『シュードウリジン』という物質に置き換えると、炎症反応が抑えられることを突き止め、安定的に抗体が作り出せることを発見しました。
ペンシルベニア大学研究室の向かいに、病棟があった。
そこを眺めるたびに『私は、あそこで苦しんでいる人たちを助けるんだ。それで自分を奮い立たせて、今日まで来た』と言っていたと当時の同僚が証言しています。
もし他者から「きみはこれが向いてるよ」と言われなかったとしても、「どうしたら人の役に立てるんだろう?」という問いがきっとあなたを導く。
これが、わたしたちの”居場所”を作るためのゴールデン・ルール。
たかがブログですが、これをその門の裏にそっとわたしも掲げたい。
すごく地味な人、カリコさんにようやくスポットライトが当たった。
おめでとうございます。