キミたちに語るボクのこと
ご覧になりました? 『竹花センセイ! キミたちに語るボクのこと』。
もう1年前のこと。見終わったわたしは、NHK+に登録して4度見ました。
番組を何回も見るなんて今まで一度も無かったのに。
今も、個々のシーンがクリアに蘇る。センセイの子供っぽい姿、はずかしがりの目・・・。
記憶力の弱いわたしなのに。。
いいえ、当時、わたしはNHK+を見ながら文字起こしをしていた。
そんなことわたしの人生で一度も無かった。
教えてた先生が「自分はゲイなんだ」とカミングアウトしそれが全国に放送されました。いっぱいの反響があったと思います。
でも、わたしは、カミングアウトされた生徒たちと同じ感覚、同じ反応だった。
先生はゲイかもしれないけれど、それがなんなん?って。
ああ、、こころがほかほかした。
いったい何がよかったんだろう?何が嬉しいんだろ?? じぶんで確認したくて、書きます。ごめんなさい。。とても、長いです。
1.こんな先生、いそうでいない
番組冒頭、ある高校に生徒に大人気の先生がいるらしいというテロップが流れた後、制作側が生徒たちに「どんな先生ですか?」って聞きます。
生徒たちの反応が、おもしろかったです。
「めっちゃ、好かれてる。みんなに好かれてる!」
「存在が元気でるんですよ。めちゃ、推しです。魅力的じゃないですか。なんか分かりますか?底知れぬ魅力感。」
男子はこんなこといいました。
「同じオーラを感じるんですよ。いっちゃ悪いんですけど、高校生のようなひと。」
で、また女子がいう。
「でも、センセイ一番秘密隠し持ってるよな。こっちさらけ出しているのに、センセイが一番秘密隠している。」
秘密??
京都の八幡高校なんですが、あまり入学に必要な偏差値は高くはないそうです。
誤解を恐れずにいえば、勉強が得意ではないであろうその高校の生徒たちが使う言葉は、しかし、抽象度の高い「存在」や「魅力」というものでした。
その当人が階段登ってゆく姿をカメラが後ろから追う。
センセイ、背が小さい。顔もぱっとしない。ちょっとはにかんだような、表情のひと。教師オーラ無し。
完全に生徒たちに紛れてしまい、どれがセンセイかがこちらも分からない。
切り替わったシーンは今度は音楽室、のようなところへ。
センセイ、生徒がギター弾く前で『時代』を一生懸命に歌う。
センセイ、「回る回るよ、時代は回る」と歌った後、数人いる生徒の方を見た。
ひとりの生徒が、「音が狂ってへん?」と。
センセイ、がくっとしたところに、生徒たちが笑う。。。
見事なオープニングでした。
続いて、制作側はセンセイを深堀りしてゆきました。
1年1組の担任なんです。担当は社会科。30歳ぐらいだとおもいます。
生徒たちが普段着ているような服装です。少年顔です。外見は高校生とまったく区別がつきません。
授業の風景が出て来るし、スカートの丈が短い生徒の生徒指導のシーンもあるんだけど、いつも生徒たちの話を”聞いてる”んですよね。
頭ごなしに叱ることはしません。自分の考えもしっかりあるんだけど、それを押し付けない。
よく聞いていて、そして、生徒が自ら考える部分というのは生徒に委ねる。
好きなんですね、生徒たちのこと。とても大事なんです、きっとね。
スカートの丈が短い生徒との対話は、こうでした。
教室で彼女と話してるシーンをUpしました。(だら~とし頬杖をセンセイついて、女子生徒の方が保護者かと見間違うほどに力入ってない。先生っていう感じじゃ無い)
「なんで、学校は見た目で判断するの?・・・この話、しょうもないと思ってるやろ?」と女子生徒が責める。
スカート丈が校則に違反するというクレームに対して女子生徒は怒ってるわけです。
「あんたが話してんのは、しょうもないとは思ってない。
あんたが、この間違ってるかもしれない社会にどこまで合わせて、どこで戦うのって言ったときに、今別に戦わんでいいんちゃうと思ってる。」とセンセイ。
スカート丈が短すぎる女子生徒に、それ以上は言わなかった。
センセイ、脱力してへらへらしてるんだけど、目だけはずっと生徒から離さない。
聞いてきたとき、聞かれたことには最小限答える。すこしはにかむような笑顔で、生徒をじっと見た。
一緒に悩み、一緒に考えることを心がけているわけなんです。
これは生徒との間だけなのかというと、かれのパートナーとの間もそうでした。
カメラがふたりの住んでいるアパートに入る。
パートナーのはるさんは、体は女、心は男というLGBT。で、センセイはゲイなんで”男”に惹かれる。
センセイは言ってました。
ゲイにもいろいろあるようで、外見も男でないといけない人もいれば、自分のようにそこはあまり気にしてない人もいると。
で、同性婚が認められていない日本でなんでふたりが4年前に結婚できたのかというと、そういうわけなんですね。
そして、そもそも相手を人として好きだと。
たしかに、はるさん、振る舞いはおとこらしい。ちょっとややこしい。。
かれは道徳論や職業意識で、人との間合いを取っていたわけでないことが、だんだん沁みて来る。
かれの目、表情を見ると、なんて魅力的なひとなんでしょう。
魅力っていったい、何なんだ??
相手の話をよく受け止めていれば出て来るものなの?受容だけじゃ、生徒たちも見ているわたしもそんなにかれ?に魅入られはしないのです。
2.バケモノってなんやんねん
センセイ、高校生のとき、恋愛の対象が男性だと気が付いた。
その事実を受け入れられず、気持ちはどん底へ。真っ黒な服装ばかりで過ごすようになったそうです。
「自分が普通からはずれてしまった。で、オレはバケモノやねん、みたいな感じで自分のことを表現してて、めちゃめちゃ大袈裟なんですよね、今考えてみたら。
別に同性が好きってだけでバケモノってなんやんねんって感じなんですけど、やっぱり言わんことによって、少しずつしんどさがたまっていく。
友達ともほんとに大事なことが話できない。それはやっぱり寂しい。」
センセイが長いトンネルから抜け出せたのは、大学4年生のときだった。
ゼミで、自分がゲイであることをカミングアウトした。もう隠すことがつらくなっていた。
そしたら、ゼミのみんなは、「あっちゃんは、あっちゃんのままでええんちゃう」と、どんなあっちゃんであっても丸ごと受け止めてくれた。
それが、かれにとっては救いの言葉やったといいます。(竹花センセイの名は”あつし”)
世の常識からはみだしているから、のけ者にされバケモノ扱いされるんだけど、そういう少数者がカミングアウトしないといけないということには抵抗があるといいます。
自分の意思でそうなったわけではないんですよね。
勇気を振り起して、なぜ当事者が告白しなければならないんだろうかと。
「当事者が努力をしなくちゃいけないという状況、それはおかしいよなって正直おもいます。」
この世界は未だ”当事者”が正当に扱われていないんだという事実を指摘した。
3.深い部分での肯定を願うひと
で、なんでセンセイが生徒たちにカミングアウトしたのかですが、かれはもうじぶんのためではなかったんです。
番組は、劣等感にさいなまれている生徒たちの実情を掘ってゆきました。八幡高校のみんなは、すごく自己肯定感が低い。
頭の良い兄弟に囲まれ、始終比較してくる親。
どうせ自分は何をやってもだめなんだとあきらめている生徒。
なんにも特徴がないと悩み、感情がゆれるとすぐ泣いてしまう生徒。
あるいは、女性なんだけれども、自分が女性でも男性でもないということに悩む生徒も。
性のゆがみ、勉強の出来なさ、外見の劣り、学校や社会のルール縛り・・・。
進学校よりよっぽど生徒たちはじぶん自身と向き合っていて、そしてひどく悩んでた。
「表面では自分のことばかりでわがままでという子が多いですけど、
どっかであの子たちが深い部分で、自分自身のことを肯定できていないというか、どっかで投げやりになっちゃう、将来とかに対する希望が持てへん。
自分のことを大切にできていない、、というのはあるのかな」
センセイには1年1組(20名ほど)の全員がとってもたいせつなんです。
始終、「頼むから全員進級してくれ」って言ってた。
で、自己肯定感の低かった過去の自分のこともあるから、かれらに自分がどうだったのかの話をしようと思ったのです。
でも、センセイ恐れた。
カミングアウトしたけど「ああ、そうなんだ、へぇ、、」で終わってしまったら・・・。一生、ゲイの竹花センセイと呼ばれるかもしれない・・・。
かなり、怖い。
しかも、これ、天下のNHKが全国に放送しちゃうと言う・・。
で、パートナーのはるさんに相談しながら、センセイは学年最後の日にカミングアウトすることを決める。
最後のさいごのロングホームルームの時間が来ます。
「今日は自分の話をすこししようかなと思います。聞いて欲しいなぁと思ってます。
ただ、いくつかお笑いポイントもあると思うので、その瞬間は笑ってくださいね」、と切り出した。
生徒の表情に緊張と集中が起こりました。
大好きなだいすきな竹花センセイが、最後のさいごの日にいったいなにを話すんだ?
おい、おい、おい!何、何、何??? みたいな。
「おれは実はむかし、あんたたちぐらいの時にね、自分のことが大嫌いだったわけよ。」
生徒たちが笑う。
照れながら、センセイは、「まだそこは笑うとこじゃない」と。
「実力以上の進学校に行ってかなり下の方になったんだ。
当時、普通に女子に恋して普通に女子に告白して、普通にふられてた。
自己肯定感はひどく低かった。
でも、普通に高校生活を過ごしてたんだけど、高校の終わりの頃に、どうもおれは自分が男子を見てるんじゃないかと思うようになった。
意味分かる?
それを思ったときのおれ自身の自分に対する感想は、”うわ、キモ。ありえへん”って自分のことを思ったわけよ。
だって、男子が女子を、女子が男子を好きになるの当たり前でしょ。この社会は。
自分はそうやってずっと育ってきた。
だから、自分が男子でありながら男子を好きになるなんて、ありえないって思ったわけね。
で、めっちゃその時点で自分のことが大嫌いになって、そんなこと考えたくもないっていう気持ちになった。」
教壇の机に背の小さなセンセイは手を載せ、その手に顎を乗せ、目をつぶった。
「で、その時おもったのは、”おれみたいな人間はたぶんこの世界ではただ一人っていうふうにおもってしまったわけよ。
もうその時点で自分の人生終わったなって思った。というか、どうなるか分かんないから不安だった。」
生徒たちはじっとセンセイを見つめ続けた。誰もことりとも動かない。
「で、ずっとしんどいままやってんねん。
じゃあ、どうしたかって言ったら、大学4年のゼミで、卒業論文出し終わったあとの、飲み会のときにそこでやっと言えた。
そのときに何て言ってくれたかっていったら、”あっちゃんはあっちゃんのままでええ”。って」
すかさず生徒たちがあっちゃんという表現をからかう。
センセイが「おれ、”あっちゃん”ってよばれてんだ」と照れて下を向く。はずかしい」とぽつり言う。
「そのときの友達が”あっちゃんはあっちゃんのままでええんちゃう”って言ってくれたわけ。
すんごい簡単な話なわけよね。
自分があんだけ悩んでたことが、結局他人から受け入れられて、他人に自分の心の内を話して受け入れられたら、
結局それが自分が受け入れられるいちばん簡単な方法だった。
そんなことを大学の時に感じた。なんかごめん。べらべらしゃべって。」
「もうここまでしゃべったら、こいつがどういう人間かってことは分かったと思うから、飽きてくるとおもうから、この話は今日限定や。なんかおれに聞きたいことある?」
センセイが恐れてきた瞬間が来た。
どううけ取られたのかな?メッセージは伝わったんだろうか?
4.もうちょっと肩の力を抜いて生きて行けるようになったんだ
女子が真っ先に聞いて来た。
「今、彼氏いますか?」
「はい、良い質問ですね。今まで相方とかいろんな言い方をしてたけど、います。一緒に住んでます。」
「センセイは結婚してるんですか?」
「はい」
生徒たち、おおいに驚き、動揺する。「えっ、センセイ、結婚してたん?」
だって、推しどころか、かれらはセンセイの大ファンなのです。もう、センセイ大好き!なんですから。
生徒たちはいろいろ突っ込んで来ました。
相手はタイ人なのかロシア人なのかとか、いっせいにわぁーっと聞いてくる。
やがて、相手はトランスジェンダーかと聞かれ、そうですと答えた。
「もともと女性で今、男性?」
「言い方をより気を付けて言うのであれば、体は女性として生まれているけれど、本人の自認する性が男性。」
「体は女の人?」
「体はたしかに女性であって、今も手術とかしてない。
本人がしゃべっていいって言ったからしゃべるけど、何もしてないので戸籍上は女性なんです。」
「だから、結婚できたの?」
「そういうことです」
「あのさあ、あんたたちにカミングアウトしてもさ、こんな感じじゃん。」とセンセイ。
「すっきりしたやろ?」と生徒。
「うん。ありがとう。聞くけど、今おれから聞いてどう思った?」
みんな一斉に、「まあ、いいんじゃない」と合わせたように言った。
この反応にセンセイ、ずっこけた。
「もう少し感動的な反応があっても」と。
「それでいいんじゃない」と生徒。
「でも、それが嬉しいんだろうな、おれは。」とセンセイ・・・。良かった。
「いつ言うんかなと思ってた。言ったところで否定するわけじゃないし」と生徒は付けたした。
「なんでこんな話をしたかっていったら、あんたたちだったらええかなと思った。
ただ、タイミングは自分で決めたいなって思ってたから、それだけ自分にとってはまだやっぱり大事なことなんやろうな。
でなんで、おれの話をわざわざしたかって言ったら、ううーん、、自分のことを大切にするっていうことが、後からでもできるんだよってことをおれの経験から知って欲しかった。」
「何もできへん、男らしくない、身長もない、顔も良くない、体育もできない。
でも、そんな自分でもまあ好きかなと思えるようになったのは、自分が悩んで勉強して、ゲイだったからというのがあんのよ。
そこからもうちょっと肩の力を抜いて努力できるようになったのかな。」
生徒たちは、今度はセンセイの言葉をじぶんの内に向けたのか、視線を下にして耳で聞いてる。
「で、こういう鎖って、男らしさっていう鎖で言ったけど、あんたたちも多分、多かれ少なかれそういうのあると思うのね。」
生徒たちはまた一斉にかれを見つめる。
「自分はこうだから、こうでなくっちゃいけないという捕らわれ。
できれば、あんたたちのそういう鎖みたいなものを、ジタバタあがいて引きちぎってほしいな。
そういう方法もあるんだって。
今はそう思うことはできひんかもしれんけど、でもおれもあんたたちのときは絶対できひんと思ってたけど、
自分が大学終わるくらいになってようやっと自分が変わったから、時間がかかるわ。
時間かかるけど、でも、あんたたちも変わることはできんで。
大丈夫だよっていうことを自分っていう実例を通して知って欲しかったな。
そのためには、やっぱり先ず生きなあかんし、ジタバタしていろんな人に出会って、勉強というのも一部大事ではあるけれど、
でも、先ずはあんたたちが何者であったとしても、
たとえ何もできない人だったとしても、別にそのまんまでも、あんたたちは、おれにとっては大切だよ、っていうことは伝えておきたかった。」
「正直、2年生は一緒になれたらいいなと思ってます。でも、分からへんからね。
もしかしたらこれが最後かもしれへんから、言えるうちに言っておきたかった。
そのままでええんちゃう?あんたらはっていうところをね。
それだけ伝えておきたかったからこんな話をダラダラとしました。」
とても恥ずかしかったでしょう。
話し終えた竹花センセイは少年のように机に顔をうっぷした(伏せた)。
そこへ、生徒たちが寄ってきた。
ホームルームの時間の終わりを告げるチャイムが鳴りました。
見ると、教室のあちこちで生徒が泣いている。男子も。。
「ああ、センセイが泣かせた!泣かせたっー!」と生徒がからかい出す。
「センセイが泣かした。きらいっ!」という。
センセイのまわりには、笑ってる者、泣いている者が集まりぐるり囲む。
センセイ? ええ、もうセンセイはみんなをみながら、笑ってた。
5.その人がそうであるとわかったからといって、センセイ嫌いとかは全然ない!
教室から出て来る生徒たちに制作側がひとりひとり感想を聞きいてゆきました。
「センセイが男の人好きやったとしても、別にわたしたちとの関りがおかしくなるというか、
変になるわけじゃないから、そのまま関わってゆくだけやし、男の人好きってわかったからセンセイ嫌いとかは全然ない。」
「自分が嫌でどうしようもなく悩んでて、センセイもそういう長い時期があったんやなって思うと一緒やから、自分も抜け出せるかな。。」
真剣な眼差しで答えようとするかれらの顔はひどく美しかった。
最後に制作側はセンセイに、生徒たちとはどう向き合っていきたいですか?と問うた。
「変わんないですからね。別に。向き合い続けるだけですよね。
それはわたしがゲイだからどうのは全く関係なくて、あの子たちが自分のことを大切にして幸せになれるようにするためやったら、やれることはやる。」とぽつり。
相手が生徒だからとか、女だから、部下だから、妻だから子だからとは、いっさい見てないということ。
センセイは、自分自身に対する期待値が高くないせいもある。
自分に中心を置いて相手を見るという空間にはいないのです。
センセイの視座は、自分自身さえも俯瞰対象にしていた。
で、僕は僕のやれることをするだけだという。
こんなに若くてボクチャンみたいな風貌の人が、さらっと誰にも出来ないことを言った。
6.仲間のためなら
『竹花センセイ! キミたちに語るボクのこと』。
この番組を詳細に書き出したのをNHKに詫びねばなりません。勝手引用すみませんっ!
わたしはどうしても何度も見てしまったのです。魅入られたのです。
きっとこの番組は、京都になぜか生徒に大人気の先生がいるという情報を頼りにNHKは取材に入ったと思います。
制作側は、めずらしいLGBTのカップルがセンセイしてるなんてしらなかっただろうし、ましてやその先生がカミングアウトするなんて想像もしてなかったでしょう。
特に、センセイという立場はカミングアウトするには難しいですもの。
センセイが類まれなのは、生徒たちと同じ悩める生き物として同じ目線で接していたからでしょう。
虚栄や自己顕示欲をきっぱり落としていたのは、自分がハズレ物だからです。世間に沿えない欠陥品だからです。
どうしても、他者に劣る部分を抱えた者は、他者を裁けないのです。
ああせい、こうすべきだと他者を管理もできません。
自分の中に負を抱えて生きる者は、また、他者にある負にも気が付く。負を抱く者はにんげんのリアルを知ることと思います。
もちろん、センセイ自身はそうなりたくてなったわけではありません。
そして、自分の負をようやく受け入れたとき、今度は苦しむ仲間を目にし、かれらを励ますためにリスクをおかした。
自分自身だけのためには挑めないことを、仲間のためならすることができる。
いや、まっすぐに生きようとするセンセイに、まっすぐに答えて来る生徒たちがいたのです。その生徒たちのひたむきさがセンセイの背中を押したのです。
さあ、いっしょに前に進もうって。
P.S.
殺伐とした世相、戦争とパンデミックが重なっていました。その時、センセイとその生徒たちをみました。
センセイが投げかけた問いを生徒たちが引き継ぎ、その生徒たちがまたその輪を周囲に投げてゆくでしょう。
たぶん、わたしにとってはどんな映画やドラマよりも感動したものでした。
なにせ、生れて始めて4回も見て、文字起こしまでしたんだもの。
どんどん我を削ぎ落して行って、最後に残るのが”個性”だと言った人を思い出しました。
もう意地も見栄も、いっさいの虚栄心を剥ぎ取られた”あつし”さんが、”個性”を見せてくれた。
こんなにもありふれた外見、能力の人が、こんなにもみなを元気づけるのは、最後に残る”あつし”さんの「まごころ」をわたしたちが個性として見るからでしょう。
苦しくて辛くて悲しくて、あなたは今日も切ないかもしれない。
でも、その辛さをじっと受け取ることで、こうして自他を照らす光となり、
あなたにふたたび生きる勇気を与えてくれるとわたしは思うのです。
あなた、どうぞ、御身たいせつにしてくださりませ。
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