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見渡す限りのパイナップル畑でポツン


他者のうまい記事を読んではよくへこんできた。

いつまでも隣の柿眺めてても仕方無い。

そのうち、また気を取り直しせっせと励んできたのです。

が、今回はさすがに辛いほろほろ。



1.見渡す限り一面のパイナップル畑だ


ある方が、「また読みたい記事」を集めていた。

1つ読む。ああ、、うまい。正直に心を展開している。

別なものを読む。うん、これも申し分無し。素敵だ。

で、もう1つ読む。。。うん、いいねっ。

5つほど読んだところで、わたしに異変が起こった。

わたしが奈落の底に落ちて行く。


今日のはだんぜん違った。絶望に近かった。

そのフォルダはどれもいい記事ばかりなので、みんな同じように見えたのです。

品質管理され出荷されて行くような感じの。

きっとわたしの好きなヤマザキパンの工場ラインは、こんななんです。

いや、かのじょの大好きなパイナップルたちか。

そこは、一面のパイナップル畑だった。

しっとりとした話もある。わたしのようにグダグダしてないし、説教臭くもない。

みんな、真剣に素晴らしいが同じ顔に見えた。だから、陳腐に感じた。


じつは、フォルダ主はわたしの記事もそこに格納してくださった。

記事畑では、わたしの実がとりたてて貧粗、というわけでもない。

わたしはずっと”情緒”ということを追っかけて来た。

黄金の畑に紛れ込んだわたしは、そんなふうに多くの兄弟に囲まれていた。

でも、そこは無渡す限り、ざぁーっとどこまでも情緒の実のなるパイナップルしか、ない。



2.何が不満なの


夢のパイナップル畑だったわけです。

1つ、2つと抜かれて人に食べられちゃっても、また誰かがきっと植える。

ひとりふたりがアカウント削除しても、何も変わらずにまたパイナップルが育つことでしょう。

でも、そこでは美味しく、美しいパイナップルしかない。

不揃いのものはないし、バナナやリンゴなんてどこにもない。

画一的なパイナップルが生産され続けている。

なにも、わたしが書かなくとも。。


いや、もちろん、そのフォルダにわたしも入れていただけたんだもの、有難いことなのです。

人様が評価してくださったんだもの、、ねぇ、、文句のあろうはずもない。

そして、どの作品もフォルダ主の眼力通り、秀逸なのです。

でも、どのクラスにもいる優等生を1つの教室に集めたような感じです。

わたしは、ある種の優等生を目指していたのかもしれない。


優等生は、範囲の決まった中での模範解答は書けます。

でも、急に戦争がはじまり子どもたちが蹂躙され、パンデミックが起こりバタバタと死んで行く、という範囲はカバーしない。

このクラスには、暴れん坊みたいな、暴走族みたいな者はいない。

わたしは、ワイルドな表現を求めているん?

どれも、個人的な狭いしあわせだけを述べているのが気に入らない?

もし書くのなら、ガザの子どもたちを救うキャンペーンで汗を流すべきなんだろうか?

あるいは、こう書いたら良いですよというような世の規範フレーム、ステレオタイプな、金太郎飴に染まってることが気持ち悪いんだろうか??

いや、人のせいにしているけれど、わたしゃ、書くのに飽きたん?


少なくとも、わたしが書かなくとも、みんなが素晴らしい記事を書いていた。

わたしがここに居る必要も必然性もないのです。

もう存在する意味が無い。

底にわたしが沈んでゆく・・。


わたしの暗黙の”素晴らしい”が、ずっと何かをはずしていたのでしょう。

わたしが、ドーンとへこんだのは当然かもしれません。

いままで、わたしは気が付かないようにして来ただけかもしれない。

誰もが想いを発信する時代。

書く世界でも、創作や創造という言葉がよく使われます。

もちろん、わたしのようなアマもそれを願っている。

でも、願ってるだけで、時代に合わせた新しいチャレンジをわたしはしていない。

じぶんだけに閉じた範囲の感想、考えの表出はもう時代遅れでもある。

今までの”良い文書”というのは、もう”気休め”でしかなくなっている。でしょう。

わたしが、捉えていた創造のレベルがとても表層的だったということです。

そういう意味で、じぶんが愕然としたということは、素晴らしいことなのかもしれない。

また、新しい山を目指したいと、わたしの胸が言ってるような気もする。

ぜんぜん、わたしに自信はないけれど。



3.他人のフンドシ、なんだけど


こういう時、基本に戻るのが一番です。名言を調べた。

「すべての人が同じ考えをする所では、だれもあまり考えることをしない。」

   ウォルター・リップマン(ジャーナリスト)

ああ、わたしは、書くのに精いっぱいで、じぶん自身を疑い、根っこを考えて来れなかったのでしょう。

13年も書いて、そしてようやく離れる時が来たのです。


「存在するものだけを見て『なぜそうなのか』と考える人もいるが、私は存在しないものを夢見て『なぜそうでないのか』と考える。」

   ジョージ・バーナード・ショー(劇作家)

わたしの違和感はここにあったのかな。

わたしは無意識に、どこかの文化規範にすり寄って「良い文」にしようとしてきたでしょう。

わたしの中を無条件に掘って夢を見るということをしていないのです。

それは、情緒から離れるということでもないし、ギャグ満載な文になれば良いなんて話では無いでしょう。


「あなたが他の人と違ったり、変だと見られるのなら、それはあなたの強みである。」

   メリル・ストリープ(女優)

そう。。一番の問題はここにあるなと気が付く。

創造とは、新しく生み出すもの。

だから、既存の人たちはすべて拒否反応を起こすぐらいの気迫がいる。

受け入れて欲しいなんていうタオヤカな岸辺で、いくら貝をさがしても無駄なのです。

無難な、予定調和な「良い話」をいくら書いてもパイナップル畑の中からは出れない。


「想像力は人間特有の能力で、『それは違う/普通じゃ無い』と想像する/気づくことができるし、全ての開発や革新の元となる。」

  JKローリング(小説家)

ええ、彼女は苦境のさ中に見事なお話を紡ぎました。その根っこを教えている。

それは違うという声を恐れたり、まよったりを彼女だってしたでしょう。

でも、それを超える程に真剣だったのです。

世間に、文化に、伝統にすり寄り媚びても、何も生まれないのですから・・・。

最後はこれ。

「内なる声が「おまえには描けない」と言ったら、何としても描け。そうすれば何も言わなくなる。」

  ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(画家)

誰しもがネガティヴな自分を心の内に飼っている。

その内なる自分を黙らせるほどの作品を見せつけてやるのだ、そうして、クリエイターは成長していくんだと言っている。

ネガティヴな心の声を隠し、わたしは安全、安心を求めていたでしょう。

「おまえには描けない」はむしろ、わたしには素晴らしい言葉となるかもしれません。

ああ、、種を蒔くゴッホよ、とてもとてもありがとう。


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