
文章スキルが上達しないワケ
衝撃な記事を読んだ。
ので、書きますほろほろ・・。
1.二十歳の文章からの成長
mokomokopenさん、短大生の頃にMIXIに書いていたものを今読んだのだという。
20年ほど経っていて、働き子育てする彼女。
きっと、青春の日を振り返るような気恥ずかしさが来るだろうと思って読んだ。
ところが、違ってた。今と同じじゃん、と本人、気が付いた。
当時の文章をご参考にと見せてくれたんだけど、ほんとだ、今と変わらないぞ。
ツッコミ方、引き方、語り・・たしかに今と同じトーンだ。
ということは、わたしも、10年前、20年前に書いたものは今のこんな感じなんだろうか?
当時のサイトは閉鎖したので、確認しようもないけど、今と同じようなことを書いていたような気もしてきた。
あなただけじゃないかもしれない。。。
人は、考え、感じ方、表現は年齢を通じて変わらないということなんだろうか。
思ったのは、芥川龍之介と三島由紀夫のことだった。
たしかに、彼らはもう大学生の頃から書けていた。
少なくとも大学生の時にそのレベルに達していた。若い頃から、龍之介だったし、由紀夫だった。
10年、20年と書いたからといって、この世界の感じ方、自己の捉え方、表現の仕方はほとんど変わらないのだ。
ですよね、龍之介くん?、由紀夫くん?
とすると、思考を深めたい、書くスキルを上げたいと読む本は、ぜんぜん役には立たないということでしょう。
”自己啓発”はしてくれるけど、”自己改良”はできない。
一度ガチッと組み上げられた内部は、外からツンツンしても変わらないのだ。
がんばれば、少しは前進できるんだというポジティブ・シンキングは幻想だろう。
もう少し良い人になろうという、道徳教育もたぶん、無駄なのだ。
ああ、、イエス様のおそばにいたらりっぱなクリスチャンになれるという教会宣伝も、かなり疑わしい。
そういえば、わたしの性格も根性も二十歳の頃から、ぜんぜん変わってないような気もしてきたぞ。
なによりも、苦労かけたあなたに報いるよう、わたし改心しますほろほろ、なんていう想いはかなり無駄な気がする。
ああ、、悲しみよ、こんにちはなのか?
フランソワーズ・サガンも、二十歳前に既にうまかった。
彼女は、18歳で処女作の『悲しみよこんにちは』を書いている。
世界や自分の捉え方というインプット、わたしを表現するというアウトプットは、ほぼ10代で固定されるん?
才能が与えられれし者のみが、しあわせになるん?
2.サガンの話
悲しみさん、どんな生だったの? 我が聖典、ウィキペディアから引用いたします。
彼女の父親は大手電気会社の重役、母親は地主というブルジョワ家庭で動物に囲まれて育ったんだそうな。
で、一家は第二次世界大戦の間はリヨンに疎開し、戦後、パリ17区の自宅に戻った。
彼女は学校生活に馴染めず、私立校を3か月も経たずに退学になる。
8区の私立の女子寄宿学校に入れられ、さらにカトリック系学校3校で転校を繰り返した頃は「非常に良い子」で過ごした。
その後私立在学中、2度目の受験でバカロレアに合格する。
1952年秋からソルボンヌ大学に入学。
在籍中は無関心な学生で卒業はしなかったものの、この頃から処女作の『悲しみよこんにちは』を書き始める。
当時、女性は結婚するのが当たり前だったが、書くことができなければ医者になりたかった。
実際には、勉学や研究を行う勇気はなかったでしょうし、書く以外に何もなかった、という。
大学在学中、処女作の原稿を書きつつ、グランゼコール準備級試験を受けるが不合格に。
1953年、親友が、サガンの母にその原稿を見せた。
が、作家だった母はろくに読まないまま出版社に原稿を渡し、出版社も目もくれなかった。
すこし変遷があって、翌年、最終的にある出版社が出版を決める。
家族との昼食の席で、出版社との契約と『悲しみよこんにちは』を出版する運びになったと報告した。
父親から、実名の姓「コワレ」は表紙に使わせないと反対されている。
で、彼女はペンネームが必要になり、「サガン」と付けた。
1954年、選考委員にジョルジュ・バタイユ、ロジェ・カイヨワ、マルセル・アルランらお歴々が揃った批評家賞を受賞。
で、これがキッカケとなりデビュー作『悲しみよこんにちは』は、書店店頭で売り上げをぐんぐん伸ばして行く。
サガンは「文学界のマドモワゼル・シャネル」とベルナール・フランクに呼ばれ、取り巻きに囲まれて過ごしたのです。
莫大な収入は服や宝石、原稿など周囲の者にとても寛大に買い与えては浪費し、息子ドニにろくに残さなかった。
アメリカで旅行を楽しみ、1957年には自動車事故で重傷を負う。
結婚は2度、そして、どちらとも離婚。
若年期に成功し、サン=ジェルマン=デ=プレ界隈で文学者ら名士と交遊した。
人々はサガンを小説のキャラクターと混同し重ね合わせた。
彼女はすぐに、裕福でのんき、カジュアルで性的に解放された世代の「女性版ジェームズ・ディーン」のような象徴になる。
莫大な金銭を得た人物にありがちなことに、たちの悪い取り巻きに囲まれて生活し、薬物やアルコールに溺れた。
生涯を通じ過度の浪費癖やギャンブル癖も直らず、数百億円も稼いだのに晩年には生活に困窮。
破天荒な生活を続けてコカイン所持で逮捕されたり、脱税で起訴をされたりと前科もあった。
バイセクシャルでもあり、夫以外にも男女両方の愛人がいた。
芸能人顔負けのゴシップクイーンでもあった。
後半生のおよそ12年間は、預金などを差し押さえられて生活に困り、また心身ともに薬物中毒の後遺症に苦しんだ。
晩年は、ノルマンディの広壮な別宅にこもりきり、病院で心臓疾患のため69歳で死去。
長々と引用したのは、文才があるからしあわせに成れるのじゃないという月並みな話とともに、
才があっても無くても、人は筋書き通りに生をおくるのだといいたかった。
そう。。既に二十歳前に感じ方、構えというレールがひかれるんだろうって。
あまりにも、本人が悲しみさん、だった。
こんな生なら、本なんて書かなければよかっただろうに・・。
いや、余計なお節介だ。
たぶん、18歳のわたしは、この今日の文章は書けていただろうし、
向こうに逝く直前の文章も、もしボケてなければ、同じようなことを書いている。
ひとは、みなレールの上を凝りもせずに走り続けるのか?
ああ、、運命論者に鞍替えしそうだよろよろ。
3.二十歳固定節
龍之介くんに限らず、多くの優秀な作家が自殺して行った。
なぜ死んだのかがずっと引っかかる。何に追い詰められたんだ?
恵まれた彼らも、ある時、当時のMIXIか何かに書いてた10年前の文章を友人が見て、龍之介くんに言ったのだ。
おまえ、ぜんぜん変わらんなと。
頑張って来たつもりの龍之介くんは、愕然とする。ああ、、おれはもう、だ、め、だ・・・。
ほとんど、二十歳の頃から進歩しないという事実を彼も認識したのだ。
が、彼らは有名人であり、憧れの上級国民だった。
そこに、世間はさらに上を期待してくる。果てしなく。
天上知らずの期待が、がんじがらめに龍之介くんを縛って行く・・。
かれらは、二十歳固定節を知らなかったのだ。
それが人間の普遍的な事実とは思えなくて、己の才の無さだと思った。たぶん。
おれは、このままなのだ。もう世間の期待には応えられない・・・。
35歳ほどで向こうに逝った龍之介くんの絶望たるや、想像に余りある。
いろんなパターンがあるんだろうけど、世間に注目されると、一律に碌なこと無い。
しかも、結末はみんな同じ顔になる。
たとえば、お金持ちに憧れ、宝くじに当選する。
周囲の者たちの運までかき集めて、奇跡が起こる。
お金が口座に振り込まれる。と、ほとんど例外なく不幸になるのによく似ている。
生は皮肉だ。
いや、ずーっとこんなのしか書けないじぶんを慰めたいわけじゃない。
幻想、雰囲気に包まれて来たけど、うまくならないと言うことをそろそろ受け入れないと生けない。
これ以上には成らないと、覚悟したらどうなる?
比喩はへたくそだし、優先順位が付けれないからいつも長文になってしまう。
話題も限られ、内省的なものばかり。
人には興味の無いようなことばかり書く。ユーモアも無し。
この10年が早かったのなら、この先の10年もきっとこんななのだよ。
どうする?
このままだとして、それでも、じぶんはやっぱり書きたいとこの胸が言っています。
そう、わたしはうまい文章や、素敵な文を書きたいのじゃない。
どうだって!、人たちにおのれを見せびらかしたいわけじゃない。
こんなことも、あんなことも出来るんだって言って、認めて欲しいのじゃない。
わたしは、なぜか、言の葉のパワーを信じているのです。
わたしたちの遠い先祖たちが生み出した言葉というものの、畏れと不思議を想うのです。
その儚くも厳かな、調べという存在を。
文才無いわたしが書いても、それでも、もしひとたちのこころを少し励ませれたら、それは素敵だ。
そのためだけにここに来たのだとしても、すごいことだ。
人たちの期待は表面的なものだ。ほんとは、その下にメロディが流れている。
切なさや虚しさや寂しさといった情緒だ。
どうしたらいいの?
うまく言えないのだけれど、文才無くたって、へたくそだって、悲しくたって、わたしたちが供に生きているという調べは奏でられる。
それは、技巧以上のものだ。
そこにフォーカスし続けられるだけでもいいんじゃないのか。。
ううーん、うまく表現できませんほろほろ。