あなたが確かに生きた足
あなたは90歳を超えた人の足を撫でたことがあるでしょうか?
もう筋肉はほとんどありません。大腿骨やスネばかりです(リアルなミイラのようです)。
骨盤もげっそり骨ばかりとなり、歩くという以前に足を持ち上げること自体が無理だと実感できます。
皮膚のあちこちが黒く、あるいは紫にかわっています。
もう皮膚の再生が難しいのは、食事に関係します。
お義母さんは食欲はあるのですが、抹消まで栄養と酸素が来てくれません。
お義母さんは車イスに載ってこの関西に来ました。
もちろん、お嫁さんの世話になるより、実の娘の方が気が楽なのです。
お嫁さんは稼業をしながら、夫と孫の世話もし、みなの食事も出す。洗濯もし掃除もする。
そのたいへんさが分かっているので、お義母さんは実家では我慢して待ってることが多かったのです。
朝目が覚めてから、かなりしばらくの間ベッドに腰かけています。
やがて、お嫁さんがお義母さんがベッドで待っていたことに気づく。。。
「ばあちゃん、ばあちゃん、服を着ようね」。
お義母さんは、手が上がらず自分で服を着れないのです。
でも、娘とわたしは、暇にしているのです。いくらでもケアできるのです。
お義母さんは気を使い遠慮しながらですが、ここなら、トイレに行くのでベッドから立たせて欲しいとか、お湯をもらえんじゃろうかとか言える。
わたしたちは、フル・ケア出来る。
それにここは段差の無いフラットな居住空間です。海に面した眺めも十分。。。
でも、お義母さんに聞くと、一大決心だったといいます。
ずーっと自宅兼事務所の実家で働いて来た人です。
体が動かせなくなっても、なんとか洗濯物を干し、店にかかって来る電話にも出てた。
「はいはい、ああ息子ですか?、今出ております。はい、帰って来たらも一度電話を掛けさせます。ごめんなさい。」
タバコを買いに来て自販機では買えない客にもタバコを売る。
「ばあちゃん、万札じゃけん。ピーズを1つくれんかの」。「はいはい、ピースですね」
年寄りなら年寄りなりに「役割」があったのですが、ここでは”お役”がまったく脱落してしまう。
完全な”お客様”になるって、それはそれでたいへんなのです。
わたしも完全退職でお役の無い辛さはわかります。自分のお役、居場所が消えてしまいます。
でもそれだけでなく、お義母さんは他者の世話にもならねばならないのです。
高齢者向けマンションって何だろう?マンション?お義母さんはそもそもマンションなる居住を経験したことがありません。
どんな施設で、どのような隣人がいるんじゃろう?
九州弁まるだしだから、そもそも話が通じるのかな?
いや、わたしはもうどんどん耳が遠くなってるんじゃもの。。
リューマチと胃腸の病気(ガン)、皮膚病。。病気の百貨店なんだけど、病院はあるだろうか?
週3回のデイケア施設は近くにあるんだろうか?(お風呂は施設でないと危なくて、わたしのような素人では入れてあげれません)
自分にはもうお金が無いけれど、娘夫婦に負担をかけてしまうんじゃないか?
知り合いのまったく居ない街。なじみの無い所。。。
お嫁さんからは始終ぎゃあぎゃあ言われていたんだけど、根が善良な人で精いっぱい面倒みてきてくれたのでした。
なによりも、姑を追い出したとそのお嫁さんが近隣から非難されやしないか。。
(実際、お嫁さんを非難する人が現れたそうです。なんで行かせるんだ!お前が追い出したんじゃろ!って)
91歳までずっと暮らした地を離れるというのは、いっぱいいっぱい心配事が起こるのです。
お義母さんは91歳です。19の娘ではない。
変化に対応できないし、そもそももう後何年も生きるわけでもないのです(本人ももうじゅうぶんとも言ってます)。
いや、年取って来たお嫁さん自体がたいへんなのです。
お嫁さん自身が病を抱え始め、しかも子が産んだ孫たちの世話がすごい。
家業をしながら、家族の世話をしてくれてたそのお嫁さんにも限界が。。
娘が「来ないか」といい、お嫁さんは「ばあちゃん、どうする?」と聞いた。
お義母さんは、「行きたい」と答えた。
いいえ、そう答えるしかなかったのです。
お嫁さんは、関西の空港まで飛行機でお義母さんを車イスに載せて連れてきた。
わたしたちはお礼を言いました。
「どうぞ、ばあちゃんをよろしくお願いします」とお嫁さんはいいました。
お嫁さんはお義母さんの方を向き、「ばあちゃん、迷惑かけんよう、しっかりせんとね!」と言い、
わたしたちには「3時には甘いものを食べさせてね」と。
バタバタとお嫁さんは去りました。
九州の実家からこちらに送られて来た段ボールの中は、こまごまとした普段お義母さんが使っているものばかりでした。
入れ歯を入れておく茶碗やポリデント。目薬。リューマチ薬。
たくさんのメモ帳とマジックペン。
メモ帳ですが、トイレに行った時刻を書き込みます。もう排尿信号が自分に来ないので、お医者さんに言われた通りに2時間おきにトイレに行きます。2つのツエを交互につきながらトイレまでは行きます。
腕が上がりませんから、足の先や肩のあたりに薬を自分で塗れるようにした器具(孫の手を工夫したもの)が入っていた。
息子や孫たちから餞別もろたんじゃとお義母さんは言います。
からだと違って、お義母さんの頭脳はそれはそれは聡明なままです。誰からもびっくりされます。
かのじょ(お義母さんの娘)がどんなことが餞別の手紙に書いてあるのかと聞きます。
餞別には孫たち(かのじょの甥っ子たち、姪っ子)が書いた手紙が寄せられていた。
30歳をとうに過ぎたかれらですが、可愛いことが書かれている。
ああ、、ばあちゃんを愛しているんですね。
姪っ子は「わたし、ばあちゃんに育ててもらったの」と言います。
甥っ子はそこは触れませんでしたが、彼は高校生のとき、足をバイクで怪我し二度と走れない体になりました。
ささくれ立った彼を根気強く高校まで送り迎えし続けたのもお義母さんでした。
「そうかいそうか、もう高校は辞めたいんじゃね?でもね、辞めるとね、仕事に就くのがむずかしいんじゃ。もう少し行かんね?」
いっぱいお金が寄せられてた。
お義母さんは移動直前に腸に穴が開いて大きな出血をしました。
入院は短期ですんだのですが、ほんとはもうすこし養生させたかった。
でも、飛行機のチケットはとっていた。
コロナがばんばん増加し、台風が南をうろつきはじめた。
そんな隙間を縫ってようやく関西に来たのでした。
かのじょが孫たちにも電話をしました。ばあちゃん、無事に着きましたと。
それぞれ判で押したように、「どうぞ、ばあちゃんをよろしくおねがいします」という。
いやいや、わたしはばあちゃんの実の娘ですから(当然のこと)とかのじょは笑って答えるのですが、かれらは真剣にそう言う。
孫たちは他人ごとではないのです。かのじょに祖母を託した。
それは今生の別れだったでしょう。
関西に来てばあちゃんに顔を見せてねとかのじょは言ったのですが、おそらくそれは無いでしょう。孫たちは子育てと仕事でますますぱんぱんになるのですから。
(いいえ、姪っ子はすぐにここまでドライブして顔を見にきてくれました)
暖かな想いの人たちから切り離されたとはいえ、お義母さんの娘も同じ血です。
お義母さん、娘、孫たち。。
どの人たちもすごく可愛い。
可愛いとは、素であるひとのこと。
自他を偽りません。他者比較をせず、他者の評価も気にしません。
お義母さんの極限にまで細った足をさすりながら、わたしにも91年生きたその果実が娘であり、孫であることが分かりました。
苦労した生でした。
けれど、確かにお義母さんが生きたことが分かる足です。
P.S.
Upした写真は、今朝5時のマンションからの眺めです。大阪梅田の方を見ています。
肉眼ではもっと燃えるような、驚く赤なんです。
闇が薙ぎ払われ、太陽がぐぐっと現れる瞬間。
移動から3週間経って、すこしお義母さんも落ち着きました。