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働くを止めるに当たって恐れたこと
仕事をしなくなったら、もう書けなくなるんじゃないかと恐れました。
あなたとの約束を守れなくなる。
あなたが読んでくれる限り、わたしは書くといった。
退職して1年経ったので書きます。
1.桃源郷に浸る
職場とは、果てしなく無理難題が来る所でした。
出来ないと言えない空気、来ない励まし。
心穏やかに通勤できた記憶もありません。常に警戒しているのか、みな不機嫌です。
競い、争い、比べる空気を関東で何十年も吸ったのです。
いや、職場の行き帰り、こころ緩むことも起こりました。
冬の早朝の凍えるバス停、稜線と雲が朝日に染まる様、鳥たちの起床の騒がしさ。
帰りの電車内で赤ちゃんをあやす若い母親。
漂う駅ソバの匂い、焼き立て明太子パンを運ぶ店員さん。
駅前でバスを待つ、溜まった雨で道路に逆さ写りして行く夕闇の街の灯り。
バスを降り歩く、道に漂う秋草の匂い、虫の音の始まり。
外ではいろんなストレスを受けるから、家でじっと守られていたかった。
けど、働かなくなったら、と思いました。
いっさいの好悪のインプットが無くなる。
嫌だーっと反発するわたしのエネルギーも消えてしまうのです。
嵐が吹き鬼が出るから踏ん張って書けたんだと思う。
なのに、退職すると、とつぜん穏やかなお花畑で終日レンゲ摘みする。
見上げると、背中に羽生えたお子たちがピヨピヨ空を飛び跳ねてる。
桃がたわわに実り、妙なる香りのする果樹園にまどろむ。
ああ、、これじゃあ、何の欲求も起こらないんじゃないか。
飢えるから食べようとする。
わたしは、もう書く意欲が消えてしまうんじゃないか。
2.世界から脱落して
関西の街の探索もほぼ終わりました。だいたいどこに何があるかは分かった。
ああ、こういう街なんだなという感覚ができました。
働かない生活に慣れても来ました。
日々があっという間に後ろに飛んで行きます。
でも、働かないことにプチ後ろめたさはあります。
同僚たちは依然としてあそこで四苦八苦している。
じぶんだけお気楽でいいのかな。。。
今も書けるし、書いています。
でも、読まれるあなたも気付いているかもしれない。
さいきんはかのじょのこと、昔の記憶しか、書いてない気がする。
もちろん、自己模倣をしないようにと気をつけてはいますが。
入力がだんぜん減ったからだと思うんですね。
わたしは、同僚や知人の怒りや涙を食し書かせてもらって来たでしょう。
外でかれらに会うからそういう話が書けた。
インプットが減ればアウトプットも細る。
意外なことに、書きたい気持ちが減るわけではありませんでした。
でも、書くことの厚みが違うのです。
辛いなっていう苦しみ、ああ、、嬉しいっていう喜びが薄い。
きっと、働くってみんなが思っている以上に重い役割があるように思います。
3.老化は、人生からの退職のせいかもしれない
年寄りに感情豊かな人をあまり見かけません。
それは心身が衰えパワーが無くなった結果だと思ってきました。
痴ほうになると多くは施設に入れられます。もう家族では面倒を見切れない。
施設では、虚ろな目をしてただ職員の言いなりに食事をし体を洗いお歌を歌うのです。
その目は、ぞっとするほどの虚ろさです。
でも、以前にも触れましたが、彼らをハグする活動をテレビで見ました。
ハグされると、その目に光が宿りました。
どろんとした虚空の目がはっきり輝いた。
あなたに関心があります、大切に思っていますと世界が声掛けして来る。
と、抜けていた魂が再び肉体に戻って来るかのようでした。
衝撃的な映像でした。
いっぽう、人は、孤独になると早く死んで行きます。
わたしたちは、他者に関心を寄せてもらい、他者に関心を寄せることでスピリッツが吹き込まれる存在でしょう。
書くということは、このスピリッツの交換をしているのでしょう。
老化を誤解してもいました。
たとえば、老人は骨折や入退院で動けなくなる。飲み込みや咀嚼もヘタになる。
味もいまいちしなくなり、目も悪くなり耳も聞こえない。
生きるパワーが無くなるから衰えて行くと思っていた。
いや、入力情報がどんどん欠落して行くのです。
仕事や仲間を失うと目に入るもの、耳に聞えることが減る。
目も悪くなり耳も聞こえないというけれど、たぶん、逆なのです。
責任を背負い、子や同僚やお客さんの言う声、動きを必死に追いかけてきた。
でも、仕事を辞めれば、もう追いかけないので、退化してしまう。
施設に入り人任せにしてしまうと、この退化がぐんと加速する。
追いかける情報が減れば、アウトプットも減り、昔のことを繰り返して言うしかない。
生活の為に90歳を超えても働く人は、生き生きとしています。
ミッションを抱える限り、人は頑張れる。
以前住んでいた横浜では、近所の奥さんは早々に認知症になりました。
夫、息子それぞれがひどい扱いを彼女にした。
雨が降る中、家に入れてもらえず、軒先でずぶ濡れになっていた。
認知症になると、たいがい数年内に死んで行きます。
いや、そうではないでしょう。
生きる希望を失い、インプットもアウトプットも閉じるのです。
自らこの苦難の世界から脱落したかったのかもしれない。
奥さんはまだ50歳を過ぎたばかりでした。
4.大事なインプットはどこから?
それは、今度こそ、ちゃんとじぶんに向き合うということでしょう。
会社を辞めて外からの情報の授受が無くなりましたが、自分自身とは続くのです。
いえ、外からのインプットが激減したのですから、
そこの質量はかなり違うレベルが必要になったということでしょう。
わたしは、ほんとの自己をよく知っていません。
ああ、、これだっていう感覚が掴めていません。
じぶんへの問い掛けも、聞くこともヘタです。
仕事が終わるとは、それらを深めるシーズンが始まるということ。
いや、そういったことをやれるシーズンが来たのです。
アウトプットの質が落ちたのを機に、さあじぶんを見直せと胸が励ましている気がします。
あなたとの約束をもうすこし続けれそうです。
毎日、暑いです。
ご自愛くださりませ。