before, after ― 毎日書くとどうなる?
毎日書くと決めてやってる人が多くいます。
なぜ、毎日書くのか?
うまくなる、繋がる、自分の根性をみてみる・・・とかいろいろあるでしょう。
でも、書きたい!という自己表現欲求の根っこには、確かに何か表現しにくいけど大切なものがあると思います。
以前、1000日間毎日1つ記事を書くという行をじぶんに課しました。
それ以降の10年間は、週に3日ほどのペースで書き続けて来た。
はじめにお断りせねばなりません。
わたしに関しては、毎日書いてもまったく何にも変わりませんでした。
そして、なぜ書くのかの答え(目的や理由)をわたしは言えません。
わたしたちは結果に目を向けやすいのですが、プロセスにこそ価値があるのかもしれない。長い話です。
1.ふつうの人ではやれない1000日
13年ほど前のこと。
以前にも書きましたが、千日回峰行というのを知ったのです。
滋賀県と京都府にまたがる比叡山山内で行われる、天台宗の行の一つだった。
1回満行するのだって命がけ。人生観、変わりそうでしょ?
平安時代に始まったもので、記録がある範囲で、この行を2回終えた者は酒井雄哉を含み3人、3回終えた者は1人だけ。
かなり過酷な行なので、行者は死を覚悟して始める。
無動寺で勤行のあと、深夜2時に出発する。
真言を唱えながら東塔、西塔、横川、日吉大社と260箇所で礼拝しながら、約30kmを平均6時間で巡拝する。
なぁんだ1晩、30キロかと思うかもしれませんが、真っ暗闇、提灯下げて、山の中、峰々を走り抜けて行く。
ケガ、ネンザなんてしょっちゅうで、風邪ひいても熱あっても止めない。
途中で行を続けられなくなったときは自害する。
朝方、寺に帰って来ると通常のお勤めがあって、深夜の出発までに寝れるのは2,3時間。
700日を満行すると、最も過酷とされる「堂入り」が行われます。
9日かけて断食・断水・断眠・断臥の四無行に入る。
まあ、ふつうなら数日で死んじゃいます。なので、入る前に葬式をあげてもらう。
これを生き延びると、これまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、1日約60kmの行程を100日続ける。
1日約60kmを真言を唱えながら山の中を疾走するって想像できます?
ここまでで合計800日。
その後、もう200日を行う。
はじめの100日は全行程84kmの京都大回り、後半100日は比叡山中30kmの行程に戻る。。これで1000日に。
1回満行するのだって命がけなのに、それを2回、3回とやる者もいるということは、満行すれば、はい、上がり!じゃないということです。
結果が大事ではなく、行者はもっと違うことを願ってる。
で、当時、停年が見えて来て、こんなナマッチョロイんじゃだめになる!、とわたしは思っていた。
停年をこころが待ってるなんて情けない、主体的に生きているとは言い難い。
それに、定年後はうんと時間があるんだそうな。
酒井さんの放送を見て、ビビビッてわたししびれてしまった。
そうだっ!、わたしもわたしのブログ千日回峰行をやる!
毎日、2時間ほどをあて、次の数個のネタも考えてから寝た。
ネタは、じぶんのこころが振るえたことでないといけない。
しかも、あなたを励ますものでないとしました。
仕事以外の時間は全てこの行に費やしました。読書もかなり多岐に渡った。
その詳細は既に書いているので、今日はbefore, afterについて書きたいのです。
2.before, afterへの答え
回峰行を終えた酒井雄哉がNHKで放送されたのでした。
で、番組制作側もやっぱり聞きたいことは1つだった。
そんだけ死を覚悟してやったんだから、before, afterはどう違うのかと。
酒井さんは、涅槃が来たとか、仏陀に毎晩会える、なんてことは言わなかった。
背中に羽生えたお子たちが天井を飛ぶようなこともなかった。
「そうですね。前と後は、何にも変わらないですよ」と笑った。
見た目もどこにでもいる人。ただただ善さげな笑顔の人。(写真をUpしました)
NHKも粘って聞いたのだけれど、ほんとに毛1つほどに変わらないというんですね。
考えてみれば、そりゃそうなんです。
1日、30キロを例えば10日間走ったからといって、人間存在が変わるなんてないわけです。
それが100日になっても、ううーんたいへんだったぐらいでしょう。
1000日走っても、10日が100個、あるいは100日が10個な感覚かな。
体は変化するでしょうが、心の景色が変わるわけではないのです。
わたしも1000日間ブログで走りに走ってみた。
納得ゆく日もあったし、ぜんぜん出来の悪い日もあった。
書き終わって読み直し、じぶんで書いたものなのに涙した日もあるし、
誰も読んでくれなくて情けなく悔しい日もあった。
振り返ると、そうやって喜怒哀楽した1000日間は楽しかったです。
でも、事前に酒井さんの放送を見ていたので、じぶんのヘナチョコ行なんか何にも変化が無いだろうと予想していた。
実際、人生観も変わらず、達成感とか感慨なんてものは無くて、少しほっとしたぐらいだった。
ブログ書きをきっと、1万日、10万日続けても、何も変わらないのです。
とにかく書きたかったわたしはいったい、何を願っていたんだろう?
3.ブログを毎日書くということ
天台宗が回峰行をどうとらえているかというと、何かを得る、為すというためにやるわけじゃなかった。
我が聖典、ウィキペディアを引用すると、こうあった。
「悟りを得るためではなく、悟りに近づくために課していただく」ことを理解するための行である。
ですって。回りくどい言い方です。
悟りを得たいと願うバカ者が多いので、どうその傲慢さを超えて行くかということで、この行はあると言っている。
「悟り」を、「ほんとの自分に会う」に置き換えてみたい。
「ほんとの自分を知るためではなく、ほんとの自分に近づくために課していただく」ことを理解するための行である。
悟りという概念と、ほんとの自分を知るということは、ある意味似ています。
玉ねぎの皮むきみたいなもので、剥いても剥いてもいっこうに姿が分からない。
主体は「ほんとの自分を知りたい」というけれど、それでは分からない。
だから、自分を受動態に置いて「ほんとの自分に近づくために課していただく」とする。
それでも、まだまだ自我が残っているから、「課していただくわが身が有難いなぁ」と実感するだけの行だ、と。
剥いても分からないのであれば、どうするかというと自我を捨ててしまうのです。
自我が「知りたい」とか「おら、がんばる」というものだから、余計分からなくなってしまう。
だったら、「課していただく」というまったくの受け身にして、為すがままにしてみる。
1000日なら1000日実行するとかいうルールに自分をはめてしまうのです。
ふつう、坊さんだって自我を落とせないから、そんな手しかない。
毎日行として記事を書くということは、自我という主体感を残している限りとうてい触れないところに出会いたいということでしょう。
それは書き手自身も気が付けない願いかもしれない。
この世界は、わたしを貶め、型にはめようとしてくるのだけれど、わたしの深いところにある声が、絶対違うと言う。
その声をわたしは信じれなくて、世間に迎合しようとする。
でも、違うんだと声は譲らない。
誤魔化しようも無く、違うと叫び続ける我が子に会いたい・・・。
そういう”ほんとの自分”に出会う旅だったんじゃないかとわたしは思うのです。
だから、既定路線の「有名に成る」とか「作家になる」とか「10万人のフォロワがいる」を外さないといけない。
ひたすら行を行うだけにする。
ああ、、有難い、有難いって泣きながら。(そんなのムリでしょうが)
そもそも、「有名に成る」とか「作家になる」とか「10万人のフォロワがいる」に成っても、あなたは満たされない。
憧れはあるかもしれないけれど、既にあなたはその無意味さも知っていると思う。
成ったら、どうするの?という次の問いが続くだけですから。
そこの地平は、キラキラしてるけど、不毛な土地でしょう。
なぜ、毎日書こうとするのか?それは回峰行とよく似ていると思います。
直感的に、何か自分はそうしなければいけないと分かっていて、やろうとすること。
もちろん、あなたの自我は折々、何でやるんだろう?とか、こんなの無駄じゃない?と言って来る。
そう問われたら、あなたはYesかNoで答えてしまい、もんもんとする。
もんもんとしてしまうということは、その問いが正しい問いでは無かったということです。
なぜ、こんなに断定的にわたしは書いているんだろう?
それは、ほんとにbefore, afterで変わらなかったし、行の専門家もそういっているから、きっとそうなんだと信じれる。
あるいは、before, afterの変化を期待するという主体感がある限り、なにも変われないとも言える。
4.世にはびこる悪しきものから
世界には、がんばれば報われるモデルが伝染しています。
テニスだって、英語だって、かなり時間を投入すればうまくなる。
だから、インプットされれば、自販機から何かのアウトプットが必ず出て来ると信じて来た。
結果には原因がかならずあるという因果の法則を信じて来た。
でも、この世のたいはんは、因果には拠らないとしたら意外だろうか?
がんばれば、彼女と心が繋がれるのか?
心癒されたいと何かをすれば、心は癒されるのか?
不安を取り除きたければ、なにかをすれば取り払える?
毎日書いたら、あなたに伝わる文章が書けたり、深く考えれるのか?
そんなことは、無いのでした。
物理世界では因果があるから、誰がお皿を手から離しても、確実に床で割れる。
だけれど、メンタルな精神次元では因果律は成り立たない。
しかも、わたしたちが使う言葉が、そもそもいい加減過ぎた。
「うまくなる」とは一体、誰の目から見た、どんなことを意味しているんだろ。
「深く考える」もそう。
主観が色濃く関わる事象で、そもそも、問うているおのれが言葉をよく分かってなくて使ってしまっている。
毎日、書いても何も変わらないのでした。
書くのが上手くなったわけでもないし、友だち増えたわけでもない。作家になれるわけでもない。
それは坊さんたちの回峰行をイメージすると納得いただけるかもしれない。
1000日間走り続けても、基礎体力は付くが、驚くほど早く走れるようになるわけじゃない。
走るのが上手くなりましたか?と聞かれれば、いいえ、それほどと答えざるをえない。
走ったら、すんごいこと起こりましたか?と聞かれてもねぇ・・
では、なぜ書くのかとあなたが問いたい気持ちは分かるけれど、この世には問うても意味の無いことがあまりにたくさんある。
これを書きながら、わたしは思いました。
これは何かに成る、何かを得る、何かを為そうとする行為ではないのだと。
ほんとのわたしに近ずくために、させて頂いている行です、ぐらいしか言えないと。
もちろん、キンドルくんに本を出す人もいるし、記事が有名な人もいる。
でも、きっとその人たちは、たまたま、因果が働いたように見えるだけでしょう。
がんばったらから、そう成れたというふうに見えるだけではないのか。
なぜなら、多くの人が毎日書いても何も起こっていないのですから。
真剣さ、努力の量、才能、運・・・。
そういう点でいっけん説明した気にはなるだろうけど、ほんとはそんな直線的な因果律の世界ではないでしょう。
その事実を受け取る、ただそれだけの為に書くのかと思う。
この悪しき汚染から、そうやってこころ広々とした時空へ解放されることを願って。
「悟りを得るためではなく、悟りに近づくために課していただく」ことを理解するための行である。
そんなふうに、坊さんたちは言うんです。
P.S.
酒井 雄哉(さかい ゆうさい)とは何者だったのか。
自分勝手で、非常にダメダメな男だった。ほんとに。
33歳の時、従妹と結婚するが、新婚早々、妻が大阪の実家に帰ってしまう。
連れ戻そうと迎えに行ったが、しばらくして妻がガス自殺を遂げる。
わずか2ヶ月の結婚生活だった。以後、抜け殻のような生活を送る。
ある日、叔母と比叡山を訪ねたことがきっかけとなり、折に触れて通うようになる。
1965年(昭和40年)、39歳のとき出家、得度。
ここが最後の砦と自覚し、十代、二十代の若者に混じり、天台宗学の理論と実践を学ぶ。
叡山学院を首席で卒業。
千日回峰行に挑む前には、明治時代に死者が出て以来、中断していた荒行で知られる常行三昧も達成している。
1987年(昭和62年)7月、60歳という最高齢で2度目の満行を達成した。
2度の千日回峰行を達成した者は、1000年を越える比叡山の歴史の中でも3人しかいない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/酒井雄哉
彼は、もうどこにも行く所が無かったのです。ダメダメな男が生きて良い理由はもはや無かった。
でも、比叡山で彼は救われた。
こんな自分でも生きていて良いと。
そこからは、自分の好き嫌い、自分の為にという生き方がコロリ転換してしまう。
それは自分の意志の力ではなく、彼にはたぶん、お導きに見えた。
彼はすごい人に成りたくって行をしたんじゃないのです。
この世界の間口に合わせられなくて、辛くて辛くて仕方なかった。
嫁さんまで死なせてしまい、もう死ぬしか無かった。
自分の為から、みんなの為、仏の為へと我を捨てざるを得なかった人でした。
長くある行為を続けるとき、そこに自身が救われるということがあります。
目標や結果ではなく、そのプロセス自体に意味があるのです。
ああ、、こんな話書いちゃうと、みんな坊さんに成ってしまうっ!
そんなわけ、無いかっ。
うまく書けてはいないのですが、ここまで読んでいただき、ありがとうございます。ぺこっ。