夢は未来をつくり出すのか
1.コックになりたい?
「夢」という言葉に、抵抗があるひともいるかもしれません。
小学5年生ぐらいだったか、将来、何に成りたい?と聞かれ、わたしは無理やり作文させられた。
うんうん唸ってやっと「コックに成りたい」と書いた。
食いしん坊だった。家は貧しい農家だったので食いっぱぐれが無いと思ったんでしょう。
でも、コック?
よりによって、わたしがもっとも苦手な職業を無意識にあげていました。
コックは、素材や調味料の組み合わせで、水分や分量の過多でどのように味が変化するかをイメージできないといけません。
でも、わたしはそこのイメージがうまくいかないので、レシピを見ながら作っても味が再現できない。
こうすれば味がこうなるという予想が付かないので、学習されない。
なので、ぜんぜん楽しくない。
嫌で嫌で仕方ない。
「夢」には、そう成れたら「素晴らしいな」っていう憧れがあるでしょう。
そこへと向かうエネルギーの高まりがある。
甲子園に行くぞとか、企業するぞとか、世界一周するとか。
ワクワクしてたり熱中する人は、傍で見ていても輝いていて羨ましく感じます。
でも、「夢」には今はそうではないから、これから頑張って獲得し実現するものだという前提もあるでしょう。
「夢」と言われると、今現在の自分を肯定していないので、どこかに抵抗が出て来るのかもしれません。
わたしたちが使う夢という言葉の語源は、「寝目(いめ)」でした。
「寝(い)」は「睡眠」、「目(め)」は「見えるもの」。
Gemini君によると、眠っている時に見るものだったというのです。
平安時代の頃、この「寝目(いめ)」は「ゆめ」に転じます。
「はかなさ」や「現実離れしたもの」、「ぼんやりとしたもの」といった意味で使われ出した。
夢が「将来の希望」といった意味で使われ始めたのは、近代以降だそうです。
何にじぶんが引っかかって来たのか、語源を調べてみてはっきりした。
わたしは、あの作文を書いた時から、なるべく「夢」という言葉から離れています。
そう在りたいのなら、既にそう成るよう努力が本人に始まっているでしょう。
ことさら、「夢」なんて言わなくてもいいんだ。
ましてや、先生に無理やり書かせられるものでもない。
「夢」という言葉をわたしたちが使う時、「そう成りたい」という宣言ですから先送りしています。
だから、あの娘と仲良しに成るのが「夢」だなんて言わない。
どうしたら近づきになれるのかなと先に行動が始まっているでしょう。
海外のディズニーランドにぜひ行ってみたいのなら、行けるようにさっさとバイトを始めてる。
作家に成りたいのなら、具体的に書いてどこかの出版社に無理やり駆け込む。
「夢」という言葉は、具体化を妨げるように思うんです。
2.自分に添う
でも、コックに成りたいと書いたわたしは、大切な教訓を後のわたしに与えました。
調理学校に行っている生徒たちは、みな、味がどう変化するかをすぐにイメージする人ばかりでした。
テレビで見たのですが、例えば、よぶんに大根入れるとどう味が薄まるのか、深まるのかが分かったのです。
お塩や砂糖をあとどれぐらい足すと、どう成るかが分かる。
でも、味覚をイメージ化する機能が足りないわたしは、そこがチンプンカンプン。
ということで、料理を作ることは、わたしには苦行です。
自分が楽しかったり夢中になれるのは、「わたし」という個性に沿った延長線の上でしか起こらないのです。
だから、他人をマネたり、羨ましがったりするものではない。
コックに成るのが夢だという人は、さっさと調理学校に行ってるし、また、その行動に相応しい舌を受け継いでいる。
他人を羨んでも仕方無いです。
すべては、自分の資質の上で芽を出すというわけです。
そして、努力という水で開花するんだけれども、その努力も本人の資質に合うから苦にならない。
これもテレビで見たのですが、小学4年か5年生ぐらいの元気な大柄な男の子でした。
足し算、引き算がかなりできない。特に、引き算は指が足りない。
その少年は、43引く7はと聞かれてモジモジした。
でも、戦車や戦闘機のことはやたらと詳しい。
そこで、番組の制作側が今、きみは戦場にいると言いました。
きみの部隊は43台の戦車だったんだけど、もう7台がやられてしまった。
何台残ってる?と聞いた。
そしたら、少年はあっさり36台って答えた。
おお。。、キミ、やれば出来る子じゃん!
少年は、戦場をイメージできればすぐに数えれた。
夢中になれるのは、「わたし」という個性に沿った延長線の上でしか起こらないでしょう。
3.半世紀後の夢
コックに成りたいと書いてから、もう半世紀以上経ちました。
わたしは、すっかり年を取り、退職もした。
呑気な生活は脳も体も衰えさせます。
そこで、デイトレードを始めました。
朝は6時前から起きて、米国市場を調べ、前日の国内相場も見返します。
9時に市場は開き、11時半に前場は終わる。
ずっと、株価の動きを見て売買するので、頭がうっ血します。
なので、前場が終わると、ランニングや筋肉トレーニングに脱兎のごとく向かう。
興奮状態なせいもあって、昼は食べません。
1日、2食なのでスマートになりました。内臓の負担感が日々から消えた。
場中は交感神経が昂るので昼寝もせず、夜は朝まで熟睡します。
午後の1時から3時半まで、また、じっと市場を見ています。
市場が閉じたら、失敗した所を洗い出す。
なぜ、失敗したんだろう?
1日に100回、200回と売買を繰り返すのでデータに事欠きません。
なぜ、そんなバカなことやったんだろ?
やがて、わたしはあっと気が付きます。
わたしは、わたしのイメージできる戦場に置き換えねばなりません。
他人の言うような原因や対策では、わたしが吸収できない。
それでは、市場で瞬時判断できない。
わたしという性格、感性、感覚、クセ、制約を見つけ出し、それにあったルールを追加して行きます。
夜も翌日の銘柄候補を選び出します。
もう、寝ても覚めても株式市場のことばかり。
じっと見てるってかなり辛いことです。
食事も睡眠も体力作りも、統制下に置かれます。
他人が見たら、ご苦労なことだと思うかもしれません。
でも、わたしにはこれが苦にならない。
じぶんが失敗したことをじぶんの言葉に翻訳し、じぶんの身の丈に合ったルールを見つけて行く。
たぶん、楽しいのです。
通勤電車や人間関係、じぶんの虚栄心から解放され、後はただボケるだけだったのですが、
ほぼ現役の方たちと変わらないエネルギーを注げていると思います。
これは、わたしの「夢」?
ええ、きっと「夢」だった。
停年して、なにか専心できるものをと探しました。
マグロ漁船に乗り込むか、高野山に修行僧として入りたかった。真剣にそう思った。
でも、年配者は入れてもらえません。アブナイのです。
そうなると、スーパーや道路で棒振りするか、マンションの管理人ぐらいしかない。
それは、わたし、燃えません。
夢とは、夕暮れの草むらからぼんやりと物を見ているものではないのです。
わたしという存在を最後まで生き切らせる強い願いだと思う。
わたしという存在を授かったのですから、それに誠心誠意答えるということ。
最後まで前を向いて生きるには、やはり、「夢」は大切でしょう。
わたしに合った、わたしに沿った行為なら、いくつになってもそこに花が咲く。
もう3か月経って、デイトレードとしての資金もかなり溶けて来ました。
かなり、アブナイ。年は越せないかも。
けれど、わたしはやはりやって良かったと思っています。
そもそも年寄りだから衰えるのが当然、年寄りだから仕方ない、という構え自体が心身を劣化させます。
もちろん、日々に劣化はしますが、やはりスピリッツを高く掲げ続けたい。
心身は衰えても、精神は毅然とありたい。
それが、わたしの今の「夢」です。
死ぬ時、後ろに倒れたくない。
じぶんという存在の矢尽きカタナ折れた時、どっと前に倒れたい。
一歩でも前へ。